暫定ブロードキャスティング

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ゾンビ五巻やっと届いた。

扉絵チェックの15点は私のこ・・・蕭何ですね、わかります。
今日の美の巨人たちは久しぶりにすごいの来た。

ルソーという人の話。

途中で紹介されたカーニバルの夕べは
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/rousseau_carnival.html
鳥肌ものでした。

構図だけで言えば日本画のように観念重視であり、目に見える有体物を描くのではなく、まつりの夜というシチュエーションを描いているわけです。何を描いているかは問題ではないわけです。
すでにこの人は個別表現、空間表現などという既知のものなど相手にしてはいなかったのでしょう。
ですので個別表現がいびつであろうがたいした問題ではないのです。

人はものを見たとき、映像として頭の中に絵を取り込むわけですが、その中にある映像からものを見分けるという作業は、人の頭の中の概念などと照らし合わせてこれは何だ!と識別をするわけです。
たとえばたくさんのメーカーのケーブルの切れ端を一般人に見せたところでそれはケーブルの切れ端でしかないのですがケーブルにこだわりがある人たちにとってはGOERZやカナレなどの同一種の中での違うものを識別できるわけです。
それは頭の中にケーブルにはさまざまな種類のものがあるという観念があるからであり、それぞれの特徴を示す概念を持っているからできることであり、それらの概念を持たない一般人にとってはケーブルなどみな一緒にしか見えないわけです。
虹の色が日本の文化(概念の集合体)の中では七色でもほかの文化の中では5色だったりするような話と同じです。

ひとつの絵を見てを見つけ出すかというものは反対にキャンバスの中に概念を塗りつけようとする人にとってはどのような概念を込めようかという話であるのです。
それは決して赤いりんごを書きたいとかそういうレベルではとどまらなかったのでしょう。

ひとつの完成された概念がある場合には、それをいかにうまく再現するのかという理論値と実際の製品の関係のようになるのですが、そのような基準を持たなかったからこそ誰にもかけないものをかけたのかもしれません。

個人的には絵の具の技法や書き方、構図のとり方というスキル以外の部分に共通点がほとんどなかったような印象があります。
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ひとりついった | コメント:0 | トラックバック:0 |
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