暫定ブロードキャスティング

近況: 農業高校ラブコメ 「のうりん」(GA文庫 ライトノベル) は8月12日からきっと大絶賛発売中!!! ちょっと何かに似てるかもしれないけど気にするな!意識してるだけだ!!

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■告知、「おれと一乃のゲーム同好会活動日誌その1 ごく個人的な世界の終わり」は7月23日発売予定です■・・・・・・ちょいやみ!?

おれと一乃のゲーム同好会活動日誌その1 ごく個人的な世界の終わり(公式リンク)

前作、天川天音の否定公式のラブコメ部分が某所で話題となり、魅力的なキャラクターとラブコメ描写に定評がある葉村哲さんの最新作「おれと一乃のゲーム同好会活動日誌その1 ごく個人的な世界の終わり」の紹介記事が公開されました。


>>心は苛烈な炎のような一乃と実は誰よりも非日常を生きる宗司。二人の行く末は……世界の終わり!? 葉村哲が贈る、新感覚ラブコメディ……、のようなもの、登場!

という紹介からするとラブコメなのか?との疑いがあるかもしれませんがきっと何かやらかしてくれることでしょう!!

前回の天音さん(※注 メインヒロイン)はピンクのツインテールでしたが今回のメインヒロインとなる森塚一乃さん(さん付けでいいのか?もしかしたら咲希様のような女王様系?)は無造作な黒髪ロング、しかもつり目という、挿絵のほんたにかなえさんとしては初めて(?)のちょいワルむすめっぽい印象です。絵師さんのファンのかたも是非チェックしてみてください。


前作天川天音の否定公式4のあとがきで次回作をほのめかしていたところからすると、水面下で企画は進行していたのでしょうからきっと準備万端!出来の方にも期待できます。

ところで天川天音の否定公式ではカワイイ系のヒロインがたくさん出てきたのですが、デビュー作の「この広い世界にふたりぼっち」ではS系ヒロインの描写にも秀でていたために、もしかしたらMっぽい方にもおすすめできるかもしれません。いじめる対象には暴力は振るわないものの、冷たい言葉と放置プレイで着実にいじめてくるタイプが好きなららばさりげなくチェックしておくがいいでしょう。もちろんいじめに耐え抜けば少しデレて軽い抱擁くらいのご褒美は与えてくれる、ふたりぼっち主人公の咲希さんはそんなちょっとお姉さんちっくなSでした。




さて一乃さんの他にも色々と主力級が集っている7月のMF文庫Jのラインナップのうち、おすすめなのが「僕は友達が少ない ④」です。今をときめく「残念コメディ」という独自の境地を切り開いた怪作で抱腹絶倒間違いなしのシリーズです。うつ状態の時にこれを読んで救われたという経緯もあり思い入れのある作品というのもあるのですが、そういう心理状態でもなお読み手を元気にさせてくれるいい作品です。こちらもぜひお手元にどうぞ。

さらにもう一つおすすめなのが「白銀の城姫 3」です。
中世ヨーロッパ風の世界を舞台に建築士を主人公に、ノイシュバンシュタイン城やモン・サン=ミシェルなどの建築物を擬人化した城姫(ベルクフリートと呼ばれる)ヒロインや敵キャラが登場する一風変わった本格ファンタジーです。「やってきたよ!ドルイドさん!」の作者さんということもあり独特の女の子描写にも強みがあります。強いんだけれども少し世間知らずでいじめやすい感じのヒロインが好きならば正ヒロインのシャト子はおすすめです。(天川さんをダメ川さんと読んでしまう方にとか)





そして来月は「緋弾のアリア Ⅶ」、6月の「神明解ろーどぐらす」から続くこのコンボがあれば勝つる! 

ところで7月新刊の表紙はリミッター解除どころかタガが外れてるようなのがちらほら・・・・・・6月分は午後6時時点でほぼ壊滅状態だったのですが、7月分は本屋にたどり着いたときに何冊残っているのだろうか・・・・・・
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いっしょうけんめいかきなおした

この広い世界にふたりぼっちの紹介記事を一から書き直した・・・というかダイジェストでしかないけど頑張って書いた。

傑作選のところの記事をもう少しいいものに見えるように書き直したいけど圧倒的に筆力がたりてない。
少ない言葉に強烈な意味を込める文章はとても難しい。
露骨に良し悪しが出る分ダメージもでかいし・・・

なんというか本をよんでいるときにストーリー以外にいろいろなものが頭に浮かぶ。
例えばふたりぼっちでは神話関係の本を読んでいるような情景が浮かぶし、天川天音の否定公式でも三巻のコペ子を探しに白い迷宮の中に入っていくところでは不思議の国のアリスのような色彩というか空間が浮かんでくる。
おそらくは書き手が触れてきたものがストレートに文章のアウトプットに反映されているのだろう。

たぶんこれは博多に育ったから博多弁を話しているとか言うのと同じ現象だろうと思う。




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日記 | コメント:0 | トラックバック:0 |

とある神話を回遊するまおーさま

パッチかアペンド2でまおーさまの出立描写が追加されたみたい、さっき気づいた。


今回のVERITAは同ブランドの作品を整理する意味合いがあるようで、ZEROから入ったにわかのわたしとしては少しわからないことがあったものの、そのへんも含めて次回作への引きのような物語構成になっている。


このブランドの白眉はなんといっても作品群の背景となっている世界観であり、その壮大な世界を様々な登場人物が駆け抜けていくというところこそが最高の見せどころである。
しかもそれが完成度の高いRPGという形で提供されているためにこれ以上にない魅力を見せてくれる。

今回の物語のは実質的に見て三者視点で進められていくわけだが、姫神メイドさんの成長部分が特に印象的だった。
序盤は自分のことだけしか見えていなかったこの娘は、自分より遥かに大きなものを抱えた神殺しとともに旅をしていくうちに贖罪以外のものを見つけ、彼女の言葉通り「生まれ変わる」のである。
何百年もの時を生きることが当たり前の神々の世界においてこのような言葉は重要である。
同作品には前作から長い年月が立っているのに変わらないものも多くある。
時間が何も解決しない世界においては彼女自身の経験から変わるしかなかったのだ。

その姫神がメイドとして覚醒していく過程というのは、言葉にしてみれば調教もののように見えるが、その中身は献身を生む余裕をもつまでの彼女の成長の物語なのである。


「世界から疎まれながら、たった一つの約束を守るために、いつまでもいつまでも・・・・・・」

神殺しは戦い続けるわけだが、その過程で時に誰かを勝手に救ったりする。
そこで救われた人々は決して彼を敵とはみなさず、どんな困難があろうと場合によっては付いていく。
その際たる例が彼女なのだろう。

長編物語の面白さというのはなんといっても過去に何かがあった、そしてその結末としてこの物語があるという一種の思い出のようなものを形作るところなのだろうと思う。

正直、重たすぎる物語ではあるものの、登場人物たちの魅力と様々な表情を見せてくれるからこそ悲しいだけという印象を植え付けることがなかった。

世界がどうなるとかいうそういう他人事の物語ではない。
どこまでも、個人はどのように考え、行動したのかの物語。

唯一女の子の顔してるアペンドディスクの盤面のカットがこの物語最大の救いのような気がする。




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読書感想文 2010年6月25日~ | コメント:0 | トラックバック:0 |

褒めちぎるスレ並の筆致が欲しい
ひとりついった | コメント:0 | トラックバック:0 |

いまジェットストリームで言ってたけど、ブロードウェイに映画スターが出演するのが流行っているみたいで、ハリポタのダニエルくんも出演予定なんだそうな

リーマンショックで死にかけたブロードウェイがV字回復したのは彼ら映画スターが生で見られるミュージカルという新たなうりができたからだとか

有川浩さんのシアターにも似た様な話がありましたがもしかしてこの情報をつかんでたりしたんだろうかね?

映画スターにも色々あるけれど、キアヌ ぼっち で検索してみるといい物が見られたりします。



ひとりついった | コメント:0 | トラックバック:0 |

1500円のハードカバーは高いなぁ・・・

と思ったものの、本屋で600円前後の本を買ってファミレスでドリンクバー頼んで読むようなことを繰り返しているので実質的に一冊の本を読むという行動にかかるコストは約千円

ならば1500円の本を読むのは600円の本を読むことの約三倍ではなくて二倍くらいのコスト差でしかない

この二倍のコスト差で二倍以上の読後感を得られるのであれば、ハードカバーラインが自分の中に確立するかもしれないとか

そんな言い訳をしながら久しぶりにハードカバーを買ってきた。


ただハードカバーはコストというか読んだあとの保管に手間がかかる

たくさん読むことを前提とした文庫はある程度刷数がたまってくると読み返さない分はアマゾンの箱に入れて保管しておくんだけれどハードカバーは一冊が大きいので一冊ぽつんと本棚にとどまり続けることが多い
ひとりついった | コメント:0 | トラックバック:0 |

ナツユメナギサ読んで不覚にも泣いた、本編は一年前のなのに

ノンポリカワエエ・・・

猫欲しい、絶対ノンポリと名付ける

さっき帰ってきたら、郵便受けの上に猫がいた

背中触ったら全力で逃げられたが絶対になつかせてみせる

らうんどつーすたーと
ひとりついった | コメント:0 | トラックバック:0 |

<ナツユメナギサ ~NOSTALGIE~>never give up ! ×11 for you

静かな森の一角に立つ、サナトリウム。
その一室、よく陽のあたる窓際にもたれかかりながら、少女は外を見ていた。
部屋には、森の奥から風が運んでくる葉擦れの音だけが、ひそやかに聞こえてくる。
傍らに寄り添う愛猫と、絶えずひとりの少年の存在を感じながら、彼女は暮らしている。
なんでいつも森のほうを見ているの?と聞かれ、人を待っているのと彼女は笑い、誰も知らない男の子の名前を口にした。私の王子様なんだ・・・・・・と。

彼女を、幸せな夢想に逃げこむ可哀想な少女と、人は見るかもしれない。

しかし、例えば家族や昔の親友が彼女の顔を見たならば、そこに昔のような・・・・・・見る者を幸せにする屈託のない笑顔が戻っていることに気づいただろう。
少女は、彼女を縛っていた様々な目から開放され、ただ海の向こうから現れるはずの光だけを待っている。少女は信じている。きっと彼は会いに来てくれると。

「なーご」

まどろんでいた猫が身を起こし、森に向かってひくひくと髭を揺らしている。
そして桟の上からしなやかに前足を蹴って身を躍らせると、柔らかく地面に着地し、森の方へと駆けていく。
なにかを見つけたのだろうか。
猫を追いかけるように、少女も窓から身を乗り出した。
そして、森の向こうに広がる海と、少年の姿を思い描きながら叫んだ。


「先輩愛してるぅぅぅぅぅぅ!!!」





君がいた夏⇒君がいない夏⇒君といる夏




ナツ ユメ ナギサ












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傑作選 | コメント:0 | トラックバック:0 |

●曲がれ!スプーン (邦画)

ゆるゆるほろり、ときどききょうき




たとえばさ、自動車産業の重要性を説いてモノづくりの重要性を強調するとみんなよくわかんなくても納得してくれる。
けどさ、ライトノベルの重要性を説いて第三次産業やサービス業の重要性をといても、ぷっ、くく・・・とわらわれて終わりです。

それは単純に自動車というものが数百万する高級品であり、さらに社会的なステータスを持っている商品だから、これを理解できるわたしはきっと特別な存在なのです、と思っている人が多いからなのでしょう。

そういう人からしてみればたかだか数百円程度のものが30万部売れて大ヒットになっているライトノベルの世界など、なんか気味の悪い奴らの集まりにしか見えないんでしょうね。

そういう人たちに、アニメはドラえもん、漫画ならよくてワンピースの話を振るとこう答えます、みんな知ってるし、売上もすごいんでしょ?



要するに金になるかならないかの薄っぺらな価値観がこの国を覆っているように感じます。






ちょいと小話をはさむとわたしは昔はマスコミが嫌いだったのに新聞社を受けました。
広告関係の仕事がしたかったからです。
例えば西日本新聞のようなところで低い目線から見所のありそうな商品や企業に唾つけておいて、将来的にお得意様になってもらう、そしてそういう人たちにとっての販路を創りたいと考えていたわけです。(挑戦したいと考えている人たちの窓口のようなもん)

結局福岡で受けられるところはすべて面接で落ちましたが、新聞社というのはやはり実力がないとやっていけないようで、某社で露骨なぷくくをくらった以外では、なるほどねぇという感じで話を聞いて理解しているような人たちばかりでした。

が、それをあんたにできるのか?という切り返しに答えられませんでした。

けど今なら答えられるような気がします。




車はライトノベルの代わりにはなれませんし、その逆もまた然りです。

数百円で買える楽しさや、そこから先につながる何かというものは、どれだけのお金を積んでも得られないかもしれない、本当に具体的なものなのです。

子供に車を与えても宇宙へのユメなど育つものではありませんし、その子供はiPadをつくろうと思うこともないでしょう。
宇宙へのユメを持つきっかけ、iPadをつくろうとしたきっかけというのはもっと別のものなはずです。

いまでもあそこの新聞は読みませんが、あの面接で哂われなければここまで意固地にブログを書き続けようとは思わなかったでしょうし、大衆迎合をここまで拒んでそれぞれの良さ悪さを考えていこうなどとの妄想に浸り続けることはなかったでしょう。




そういう、現代的な価値観が排斥していったユメのようなものがこの作品のテーマになっています。











「小さい頃は今よりずっと不思議な世界への扉が近かったような気がする」



ゆうれいなんか見えないわけがない!とか、UFOは本当にいる!など、主人公の米(長澤まさみ)はオカルトの存在を信じながら


それを、ある種のユメというかあこがれのようなものとして生きているわけです。

実際にオカルト番組でそのような超常現象をあつかう仕事につけたというのはある種の幸せだったのかもしれませんが、世間にとってその不思議な世界というものは、見世物であり嘲り笑う対象でしかありませんでした。



それでもそういう不思議な世界への思いを捨てられない米に送られる、本物の超能力者たちからのクリスマスプレゼント。



なぜか感動してしまうような物語です。





と書くとなんかカッコいいんですが、締まりの無い中高年たちが主役です。
この物語にイケメンなど必要ない!



物語構成の部分だけで言えば、前半はほとんどが伏線のためのゆるい話でしめられているために正直コメディ部分が肌に合わなければ面白くありません。
正直なところわたしも、開始30分くらいまではこういう話の筋ならラノベで美少女いっぱいにしたほうが面白いよなぁなどと考えていたのですが後半になると完全にぶちのめされました。何がなんでも全部見ましょう。



この物語に登場する超能力者は、すべてが小悪党で、超能力を持っていながら社会的に成功することもなく、世間から身を隠して生きています。
ですが彼らにも超能力者なりの意地や矜持があるようで、米の思いに応えないわけにわいられないわけです。

しかしそれは超能力者だけの特権ではなく、なんの特殊能力もないびっくり人間や、近所のケーキ屋も不思議な世界を通して誰かのユメを守ろうとして奮闘しているわけです。

あのトナカイが伏線になっていたり、様々な伏線が張り巡らされて入るもののお話自体はシンプルなものです。 
あくまで表現したい内容が大事なのであって、それを伝えるための最低限の脚本で物語が構成されていると見たほうがいいのかもしれません。



邦画らしい邦画。のように見えて独特のテンポがあります。
とてもよいB級映画。
アクションもののような派手さとは無縁の淡々とした超能力者達の日常の一コマ。

そういう日常を面白く再現している役者さん達の演技がとてもゆる~くて心地良く、そこに志賀廣太郎のダンディボイスが追い打ちをかけてきます。


けれど、決して寝てはいけません。


最後まで起きていれば、サンタの正体も明らかになるのです。



そのサンタの正体を目の当たりにして、その惨めったらしさを笑えますでしょうか?




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読書感想文 2010年6月25日~ | コメント:0 | トラックバック:0 |

●不墮落なルイシュ●プリンセス・ビター・マイ・スウィート●ともだち同盟


ベネズエラの人の足跡をたどる。

以上の三冊を左から右に読んだ。


少しその経緯をば。


もともとこの人の作品とは相性が良くないというものがあったんだけれど、それでもなかなかに良かったベネズエラを求めてしまった。

ベネズエラでは物語が完結していないという不満があったので、ともだち同盟が400~500ページクラスの本なら即買いするつもりだったんだけれど、実際には本編が234ページということで一応保留にしてルイシュを買ってみた。


感想:生足さん何やってんですか!8月15日に月見月理解の探偵殺人3が刊行されるのに!!とっととれーくんを誘惑しにいかないと交喙に寝取られますよ!!!!!


なんというか、微妙な出来。これがベネズエラの人の作品だとはどうしても思えなくて、プリンセス・ビターを買ってくる。


感想:おそらくMF文庫Jのひとつの到達点とも言える作品。ベネズエラの後日譚として書かれているために尺不足などの問題点を抱えているもののあえてさらに尺を縮めることによって、捕食者・タマシイビトそして、忘れる側ではなく忘れられるがわの畠山チャチャの本当に短い期間のシーンを切り取ることで清冽にチャチャの可愛さを描いている。群像劇に仕立てているぶん本当に小さな事件を取り扱っており本書一冊では物足りないかもしれないが、ベネズエラと対になる話として一つのテーマを遺憾なく食い破っている。まだ一作目であり、手なれないところがあったのかもしれないが次回作でさらに飛躍するものかと思われる。


そして、胸踊らせながらともだち同盟を買ってくる。





感想:すべて**が悪い






なんなんだろう?この微妙な感情は?
博打打ちぞろいのMFにありてひとりだけまだ博打売ってないような感じがする。

MFじゃなくてGAで叩き上げてもらうか、そのまま行くなら電撃か講談社でもよかったような気がしないでもない。兼業さんだからそこまではしないでも良かったのか?

某所でデスブログと囁かれている某一迅社文庫の某T澤さんの言動は、単に宣伝目的というだけではなくて自分ならこの人を使っていい作品を書かせる自信があるというようなもののような感じがするけれど今後も言及があるのだろうか・・・

角川の人はいったい何を読んでこの人に声をかけたんだろう?
文学的にはこのような作品がもてはやされるのかもしれませんが、少なくともベネズエラ・プリンセスを読んでのオファーではないような気がします。



以下各論。



●不墮落なルイシュ
時間軸的にはベネズエラのひとつ前の作品らしい。
ベネズエラの人の作品でなければ裏表紙の概略みて何も言わずにスルーしていたと思う。
ただ店頭を見る限りでは補充が入っているので売れはしているみたい。
ストーリーは公式を見ればわかりますので割愛。

パラパラとめくって見ると生足さんのような幼女の挿絵があるわけですが、この挿絵を見る前から理解?というような感じがしていました。ともだち同盟でも似た様なヒロイン描写をしているのできっとこの人の書き方が生足のひとと似ているのでしょう。あるいはミステリー関係ではこのような台詞回しをしているヒロインが流行っている、あるいは単に似た性癖の持ち主、あるいは文学方面での魔性の女の表現のテンプレートか。
挿絵の人もベテランのイラストレーターさんでイメージを外していないのにキャラがどうも汎用臭い。

なんというかいかにも僕新人ですみたいな感じの、力のある人なら誰にでも書けそうだったり、ライトノベルをあまり読んでなくて講談社のエンタメ系読んで小説書きました的な感じがする。


読んだあとにはなぜかよく生足を読もうと思ったよなぁとか思いながら生足をペラペラめくってました。
本当にあの手の話は嫌いだったりします。
ファンタジーはなるだけ読まないというのは黒歴史を開いてはなりませんというのがあり出来が良くても魔材はフォローしていませんしシャト子は建築物の話なので読んでいるというのがあります。
ミステリーってほんとになんで嫌いなんだろう?と考えると初期の西尾維新を読んでたからかもしれません。多分きちんとしたミステリーを読んでたらまた違った好みになったのかもしれませんが今となってはどうしようもありません。

そういう意味でもこの作品との相性が悪かったのですが、最後まで読んでいるところからするとそれなりのレベルにはあるものかと思われます。(自分のことなのに他人のような言い方、本当によくわかんないの、技量が高いというのはわかるんだけどそれ以外が本当にわかんない)

ちなみに作者さんのホームページで先程の幼女(仮)のサイドストーリーが読めます。


●プリンセス・ビター・マイ・スイート
ベネズエラの後日譚。左女牛朱美・実祈姉妹も登場するベネズエラ・ビター・マイ・スイートの続編。
本当にMF主流らしくない感じの作品だけれど似た様な雰囲気というのが・・・なんだろう、頭の中に出かかってるのにあと少しで出てこない。
あの、画像のイメージで言うと隕石が地球に向かってきて世界が終末の雰囲気に包まれている中で幼女がひとりバット持って山の上に立っている画像がネット上にあるんだけれどあんな感じ。
その娘が何をしようとしているのか?と考えながら以下の分を読んでみると面白いかも。

概要はさっき書いたのでだいたいあってる。

index
1.悲惨な運命に飲まれる男の話
2.哀れな弟と【死見会】の話
3.自己中心的で妹想いな兄の話
4.可愛くて恐ろしい女の子の話
エピローグ

可愛くて恐ろしい女の子の話というのがこの話の本質。
結構調子が良くて、したたかで、ここぞというときには意地を通すし、いざとなるとしおらしいという感じのヒロインの畠山チャチャの動きをほぼ全編にわたって描ききっっており、エピローグでキャッチボールをしながらプロポーズまがいの告白をするところなどはニヤニヤせずにはいられません。

「ノーコンだよ、畠山さん」
「関屋君を試してるんですよ」
 誰にでもこういうすっとぼけたことを言うのが彼女の特徴だ。だんだんとその扱い方もわかってきた。
「もう三十球は試されたんだけど」
「そうですね、じゃあ合格です」
「何にさ?」
「わたしのパートナーにですよ」
 完璧な笑顔で彼女は言った。
 なんだ、これ。

「わたしのノーコンボールのパートナーにですよ」

「あれ、もしかして何か変な期待でもしちゃいました?」


ちなみにこのチャチャさん、弟を女装させるという姉属性もちでもあります。

複数視点から一つの事件を見つめ、登場人物それぞれの想いを描くという特殊な書き方であるために、読み手にとっては分かりにくいか、あるいは尺不足のように感じられたかもしれませんが、キャラ描写だけで言えばこういう喜怒哀楽を人物ベースで描ける人というのは少ないような気がします。
映像に例えるとけカメラが登場人物に近いような感覚で、文章媒体にありがちなずっと俯瞰風景で物語が進むようなものの正反対の面白さがあります。
近くにいるから登場人物の表情がよく見えるという感じです。

自分の運命を小さなスコップで打ち返そうとするチャチャの姿は結構いいもんです。
そういう表情がコロコロと見えて来ます。
ひとりのヒロインを徹底的に可愛く書いていくというタイプの作品でハーレムものとは違った良さがあるのです。

このような視点が今回読んだ他の作品からは完全に消え去っているのはなんでなのでしょうか?






●ともだち同盟
角川の色に染まってしまったというか、もうベネズエラの跡形も無いような気がする。

それが過去のイメージを払拭する新スタイルの確立という形で成し遂げられていればよかったものの、なんというかレベルの高い人なら誰にでも書けそうな感じののっぺりした感じのいかにも文学系統の作品をなぞったかのような作品になってしまってた。

はなしというのも三角関係の痴情もとい友情のもつれと、なぜか無理に人を殺してみたり、ふらっと死んでみたり。なんというか勝手に進んでいくので?だった。ミステリーっぽいのに後出しジャンケンされるとほんとに?になる。?になるとかなんと頭の悪い表現か。でも?になるという表現がいちばん当てはまるような気がする。うまく言語化出来ないの。


大きく分けて前半と後半と最後の変な超展開に近い落ちのような、ペースというかリズムが全く違い、テーマまでもが違ってきているというのがなんというか違和感がある。

本当にプリンセスのような手法できちんと5か600ページくらいになろうが一つのおはなしを書き上げたならば、文学レベルの中堅作家程度でも太刀打ち出来ない様なものを書けるだけの可能性はあるような感じがする。ビター2作を読む限りでは。

けどこうやって連続して読んでみると、基礎能力が高いのにオーバーキルをもっていないような感じが拭えない。

電車にのって日常をめぐり、時に冥界をかすめてみる。ここまで来て未知なる森田節炸裂か!と思いきや99,999でカンストしてしまい999,999がでなかった。惜しい、惜しすぎる。

読んだ当初は角川の矯正が入ったのかとも思ったのですが、そういう独自色よりも優先すべきものがあったというよりも、どこか一点を突き詰めて書いたことがないがための出力不足のように感じた。あくまでもわたしの感覚では。MF作家なのに変態になりきれないなんてもったいなさすぎる。ましてやその頂点たる大賞を射止めた位置にいながら何をためらっているのだろう?




あとこの考察自体が妄想な上にさらに妄想を重ねると中国地方で一つの文化属性ってのがあるのだろうかと思うフシが少々。
この物語できになったキーワードは以下


電車のはなし、太陽が眩しいから人を殺したの異邦人の話(P171)、異世界迷いこみの話、二人ぼっち(P154)



二人ぼっち?



とくに異邦人と二人ぼっちの単語はなんか、とってつけたというか、この人の文を読んできてなんとなく浮いた感じがしてたんですが、まさか葉村哲さんを意識してたりするのか?と変な勘ぐりをしてたりします。

ええほんとに強引ですが。

ふたりぼっちと書いてたらなにかあるのかもしれません(妄想)が二人ぼっちと書いてるので違うとは想いますが。

ものすごい妄想力を働かせるとふたりぼっちをべた褒めしているタイプの人にどう思う?みたいな符号を送ったのか!!!とかとても自意識過剰なことを考えたりしたのですがそういうことはまずないでしょう。

広島と神戸って近いの?感覚的に博多小倉間を行き来する感じ?それとも博多熊本?
二人に交流あるのだろうか?


とかむちゃくちゃな妄想を繰り広げたりしたんですが華×花の人も空間を意識してたりするような書き方をしてるので地域属性のような感じなのかもしれません。大阪、中部と北海道にもそう言うのがあるらしいのでそういう感じのものでしょう。

とか考える以前にMFの同期か。





全体的に器用貧乏なんかもしれんね。

葉村哲さんのように特殊属性しか持ってないような人とは違い何でも書き分けられるようなタイプなぶん、二人ぼっちが終わって天音さんを書いてる中で瑛子を書いてしまうような不器用さがなかったのでしょう。
新シリーズでも過去の作風を引きずってしまうような不器用さがなかったがために、新シリーズを一から創り上げてしまえるぶんいくつもの作品を書いていく中で育っていく持ち味というのが育たなかったのかもしれません。

あくまでふたりぼっちを意識しているということを仮定すると、たぶん一巻までしか読んでません。
作風自体がなんかそんな感じです。淡泊でMFらしくないんです。
ものすごくいい始まりは書けるのに結末が結ばれていないような感じが4冊全てから感じられました。プリンセスは物語が終わっていないという不満の残るものではなかったのですが、その他がなんとなくえ?これからじゃないの?という感じで終わってしまっているのです。あるいは急に尻窄みになってしまうか。


ふたりぼっちというか葉村さんは世界中を敵に回して戦う咲希さんや、危険な状況に置かれた想い人のところに何も考えずに飛び込んでいくような瑛子のような強烈な意志をもった人物描写には強いのですがそれは彼女たちが行き着く先を明確に意識しているがゆえだと個人的には思っています。
ただ隕石を打ち返すだけではなく、必要と有らば逃げていった危機を追いかけていって粉々に粉砕しても当然でしょう?みたいな顔しかしない様な苛烈さがあるわけですが、この人の人物の書き方は神話などの建前など何も無い意志だけの化け物どもが徘徊しているような物語をベースにしているために普通の描写に変換する過程でかなり苦労しているのかもしれません。
そういう過程で瑛子ではなくシロコではなくコッペリアではなく、ただの一般人である天音さんを書けるようになったというのはきっとものすごい成長であったはずです。
そういう一般人の天音さんが強烈なヒロインたちに負けじと何かに挑んでいくのですからそれはもう大変なことでしょう。ダメ川さんと呼ばれながらも頑張っているところも結構かわいいものです。





とか変なこと書きましたがそれはそれ、これはこれ。人それぞれに作風というのはあるはずですので全くタイプの違う人の話をしても仕方ありません。

この人の本気がいまいち見えないのであくまでも今まで読んできた中でこれだと思う同系統のものは月見月理解の探偵殺人だと思われます。
ヒロインの書き方からそう思ったというのもあるのですが、ひとつのテーマを徹底的に解剖するような感じの書き方のほうが楽なんじゃなかろうか?
つき、長いので以下生足は難しいテーマを扱うタイプの中では結構特異な書き方をしておりしかも今まさに噛み砕かんとしている状況なので三巻を楽しみにしてる作品です。(白鳥さんの新作はまだだろうか?)
例えば生足一巻ではミステリーというテーマの外堀をまず埋め、二巻目で実際の謎解きゲーム内での理解達の交戦という流れになっていました。
もともとが熟練の作家さんがひしめいているような分野のものをなんとかライトノベルに飲み込んでしまおうとしているのです。
一応のところときどき、ほんとうに時々嘘つきみーくんと壊れたまーちゃんのようなミステリーっぽいものを読んでしまって勝手に気分が悪くなるとか言う頭の悪いことをときどき、ほんとうにときどきやっているのですがなぜかナマ足だけは読んでしまっているわけです。
謎解きが物語全体での交戦の舞台として位置づけられているのでゲームが終わってもまだ面白みが残っているという不思議な感じがするのですが、肝心の謎解きゲームのところで突き抜けられないかという状況になっています。
砂山を作れと言われて一救いずつ砂を積み重ねるのではなくてブルドーザーで一気に山を作って形を整えているようななんかそんな感じの書き方をしています。
ナマ足にはその他の魅力もあるのですがスタンスでだけ見るとビターと似ているような気がしました。




あと最後の結びでホーンテッド1のラストがよぎったのですが何か示し合わせてたりするのだろうか?





なんとなく、こう、紳士の皮を脱ぎ捨てて一作書いてくれないだろうか。
外から見ているとMFはとにかく書かせて勝手に育てという感じで、GAのように良さを活かしたまま調教するような環境は望めない。
自分の作品がどのように見られているかに鈍感なところがあるのでどうにかそのへんだけを軌道修正してあげられる偶然はないだろうか。

現行の商用文学がどういう状況なのかがほとんどわからないので文学的に成長するのならばこのままでもいいのかもしれませんが、ラノベ読みとしてはちょっと残念な気がします。
読書感想文 2010年6月25日~ | コメント:0 | トラックバック:0 |

●隙間女(幅広) ●オオカミさんと○人間になりたいピノッキオ ●星と半月の海

夏休みにおすすめの短編特集です。


●隙間女(幅広)


現代風学校の怪談短編集です。

contents

第壱話 『隙間女(幅広)』
第弐話 『消えない傷と恋占い』
第参話 『デコは口ほどにものを言う』
第四話 『花摘の園で相席を』
第伍話 『隙間女(飽和)』


本屋に行くと自分以外の人はどの表紙に釣られてるんだろう?というのがよくわかるのですが、本書は田舎本屋の発売日で後一冊というところまで減ってたんで買ってみました。
あくまでわたしは、そういった純粋な消費行動研究への欲求という動機から本書を手にしたのであって、決してロリノベが読みたいなどといういかがわしい理由で買ってみたわけであはりません。ほんとだよ!

各話出来にバラつきはありますがレベルの高い良作です。


第壱話 『隙間女(幅広)』
表紙の黒髪ロングの娘さんが隙間女です。
その隙間女・針美発言集

「はい、天性のストーカーですから」


もうこれでいいような気がする。
隙間に潜む隙間女のアイデンティティを死守するために問題発言を連発する針美と、彼女を飼育飼い太らせようとするポチャ専主人公との掛け合いが流れるように交わされる変態ラブコメのようなものです。
針美はそのアイデンティティ上ニートもかくやと、ひきこもりたいような感じの発言を連発し、変態主人公は彼女をいろいろな意味で外に連れ出そうとします。
短編というのはある種の様式美であり構成は簡単でもいい、その短い尺の中でいかに密度を上げるか、勝負すべきところはどこかなどの選択が要求されてくるものなのですが、つかみの一話目は流れるような変態トークと強烈なキャラです。




第弐話 『消えない傷と恋占い』

次なるは魔女のおはなしです。
個人的にはこれが一番好き。

主人公・吉山は魔女・黒田伊織の魔法により顔に一生消えない傷を受ける。
その傷のせいでクラスで孤立してしまった吉山は復讐を誓い、黒田の正体を暴くため彼女の所属する生物部に乗り込むが・・・


伊織がものすごくかわいい。
魔女の魔法の正体がものすごく乙女チックだというのも萌ポイントの一つですが決してそれだけではない。
短編というのは鋭い読み手ならある程度あたりをつけながら読むらしいのですが、あえて裏を読ませるというのも手の一つです。このおはなしでは伊織の心情を読みながら読んでいると萌え死にます。これを公共の場で読んでいてニヤニヤしていたわたしはきっと立派な変態です。

伊織はずっと御前様ボイスで再生されていたのですがああいう感じの脆さが似合う、黒髪ロングポニテ好き(わたし)にはどストライクだったりします。
凛としている人間がしおらしくなったりした場合にその動機となっているのは何か?
それが最後に一つの秘密に収斂するところで一気に読み手の中に蓄積された魅力が解禁されるわけです。

他の話よりも昔に書いたらしいのでラブコメのようなものにしては随所に刺々しさがありますが、それがかえって伊織の凛とした姿を引き立たせるような冷たさ?のような物になっていてマイナスには作用していなかったりします。
またこのような傷の痛さが最初に持ってこられたがためにハムスターをもふるところや伊織が指を咥えるところの柔らかさが引き立ちます。P105の挿絵ですね。萌え萌えです。

これはおそらく対比技法の一種なのでしょうけれど伊織がわざと喧嘩を引き出そうとする呼び水のような技法も盛り込まれています。
本当に伊織が吉山とコンタクトを取ろうとする様が魅力的です。



第参話 『デコは口ほどにものを言う』

残りの話は冒頭の二話に比べるとおとなしいのですが、冒頭の二話がクリティカルヒットであとは平常運転なのでしょう。
ようやく登場の炉理っこヒロイン。

おでこに人面疽(口だけ)の出来てしまった小石原春は、人面疽の治療費を稼ぐためにアルバイトを始める。
なぜか自分を払うためのお金を稼ぐアルバイトに協力する人面疽のそ~ちゃん。
二人の共闘関係を知ってしまった幸太郎は奇妙な三角関係に巻き込まれることになる。




第四話 『花摘の園で相席を』

便所飯、それは蔑称である。
花摘の園でのお食事を究めんとする近衛花子。
花粉という苗字のせいで死後トイレの花子さんに任命されてしまった太郎。

数奇な運命から誰もいない旧校舎のトイレの個室で便所飯を共にする二人の相互依存の物語。




第伍話 『隙間女(飽和)』

再びの隙間女。
ぽちゃに仕立てようとして太らせすぎてしまった針美は隙間に帰れなくなった!
針美を隙間にもどすため!針美にチャイナドレスを着せるため!
琢海は愛する贅肉に戦いを挑むのであった。




●オオカミさんと○人間になりたいピノッキオ

アニメ化しているらしいけれどこちらでは映りません!
とくに派手なものではないんですけれど独特の柔らかさがあり、しかも短編形式で10巻超という長寿シリーズになっています。それも次回で終わるのか・・・

毎度のことながら?シモネタ満載なのですがあくまでもそれは等身大の彼女たちの猥談というところにとどまっています。

パイレーツロック(映画)でもそうですが、文化的に優れた人間というのは結構面白く無い、かと言って下品な発言をするといきいきするのかというとそうでもない。
あくまでもそれは猥談が出来る関係があるからこその幸せなのです。


さて今回はヘタレ男特集のようで、数々のヘタレ男がヘタレなりに甲斐性を見せようと奮闘しています。
一つ一つのエピソードは小さなガラス玉のようなものばかりなのですが、それを一本のテーマを通して連ねると綺麗なアクセサリーになるような。そんな優しさというか、余裕というか、マイペースな書き方がされています。



くさすぎたか。

例えば水墨画のひとつひとつの描写を見て小学生レベルだ!俺でも書ける!などという人は結構いるかも知れませんが、んじゃ天橋立図が書けるのか?と言われると多分誰も書けません。
短編集の強さというのはぞれぞれの強さだけではなく、そのテーマにどれだけのアプローチを試みるかという意味合いもあるのです。


内容についてあまり言及していませんが、このシリーズは地蔵さんから続けて三冊目なので特に目新しい所がないだけです。





●星と半月の海


ラノベではなく一般書。

T澤さんがおすすめしてたので本屋で探してきた。

個別の強さとテーマの強さを兼ね備えた名作です。


取材に依る圧倒的な現実感と色を持つ筆致。

才能だけでも取材だけでも、決して到達できないような神域にいる作家さんなんでしょうなぁ



星と半月の海 目次

みっともないけど本当のペンギン

星と半月の海

ティラノサウルスの名前

世界樹の上から

パンダが街にやってくる

墓の中に生きている

解説 中島 駆



●みっともないけど本当のペンギン
絶滅したはずのオオウミガラズが日本にもいた?いる?
ペンギンの飼育係の主人公はその実態を探るために日本を駆ける。
なんかへんなおばちゃんのところへ、北海道の僻地まで。

そこで明らかになるペンギンぽいけどペンギンじゃないオオウミガラスの波乱のあゆみ。
拉致られ、撲殺されて食料にされ、ペンギンのパチモンとして買い叩かれて見世物にされ、

それでも、オオウミガラスという”種”はきっといまも生きているのだろう。


彼らは餌をねだる堕落した飼育ペンギンなどではない、本当ののペンギン(のようなもの)なんだろうから。




●星と半月の海
海遊館などでも人気のジンベエザメ。
その人気とは裏はらに、どのような生体をしているのかはあまり知られていない。

大きくなりすぎて水槽で飼育しきれ無くなると海に帰されることを含めて。

わたしは、子供そっちのけでジンベエサメを追う。わたしはミズ・リドルではないと自覚してからずっと。

ただひたすらにホエールシャークを追うわたしは水族館で飼育していた個体に再会する。




●ティラノサウルスの名前
<ティラノサウルスが危ない>
変なメールを受け取ったパパは変になった。
「ティラノサウルス最強じゃね!?」
けれど今の痛いパパはいきいきしてて憧れる。




●世界樹の上から
閑話。それぞれの出会いを世界樹の上で。




●パンダが町にやってくる
きみは真っ赤な肉塊っを片手で軽々と掴み、牙を突き立てていた。
口のまわりは薄く血に染まっている。一際はっきりとした赤黒い線が、口元から耳の方向へと伸び、君を鬼の形相に見せる。
くちゃっくちゃっ、と肉を噛む音が響く。
そして、カメラを見ると、メェッと鋭く甘い声を上げた。



●墓の中に生きている
生命の系統樹を歩く、枝葉となった先祖たちを踏みつけると仕返しにからかわれた。気持ち悪くなるほど無数のざわめきで。
自分もやがて遺体になり、先祖になる。
人は、いや、すべての生命は、遺体になるために生きているのか。
まだ分からない。しかし、やがて来るその日のことを思う。






さすがに圧縮できるほどちゃちなことは書いてないので紹介が難しい。

一見ふざけて書いているように見えてティラノサウルスの名前が好きだったりする。






わたしが小さい頃って言うと初代ジュラシックパークが公開されたりで、自然史博物館のようなところが賑わっていたような気がする。
今の子供達って言うのは商業的な商品に囲まれていて、恐竜に憧れたりはしないんじゃなかろうかと思うんだがどうなんだろう?

ほかにもバックトゥーザフューチャーが何度も何度も再放送されていて学校で盛り上がったりしたんだけど今どうなんだろうね?


子供の頃に触れた良く解らんすごいものというのは子供の成長の方向を、あるいは価値観を決めるんじゃないかと個人的には思っている。アストロノトが好きなのは子供に読ませたいというのもある。他にも新聞の好みなどからしてみてもおとなのためのスタイリッシュな新聞はあまり好まず、子供?うーんポケモン?というのよりもめんどくさかったり、広告主が動物園だからで動物の写真を載せてるようなものが好きだったりする。

大人が子供に媚びちゃいかんよなぁ




わたしのような偏屈な物の見方や言い方をする人間が言うべきじゃないかもしれんが、お客さんの需要を満たすことが目的の商業というのは最終的に残るものは何も無い。

ハッピーフライトの冒頭でも似た様な話がされるんですが、この世は盤面で区切られた観念上の世界ではないのでどうしても現実に縛られてしまうのです。安全な空の旅というのは快適なだけではなく、どんなトラブルにあっても必ず何とかできるようなものなんでしょう。


芸術家というか特定ゲームでもそうですが、売れ筋は金髪ツインテ、よしこれでいこう!というタイプはどちらかと言えば二流メーカーで、軌道に乗っているメーカーというのは俺のキャラで萌え殺してやるぜ!みたいな意識で作ってるようななんかそんな感じです。


売れることも重要ですが、売って虜にすることもまた重要。
これは商業と芸術という対立ではなく、営業と制作の対立なのでしょうね。
スーツとギークで語られるあんな感じです。

アップルはこの力関係を逆転させたような印象がありますが社会全体の意識が変わるのはまだまだのようです。
iPadを作るには!とかいう議論をしているようじゃねぇ

わたしのようになりたいやつが、わたしを目指してるようじゃダメだ

とか言う事がなぜか言えてしまう文庫というのも捨てたもんじゃないと思います。


科学的に証明されていないから言っても説得力ないか?


読書感想文 2010年6月25日~ | コメント:0 | トラックバック:0 |

他人に送った文章がいつもの電波文だったことが判明

肝を冷やす


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