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暫定ブロードキャスティング

近況: 農業高校ラブコメ 「のうりん」(GA文庫 ライトノベル) は8月12日からきっと大絶賛発売中!!! ちょっと何かに似てるかもしれないけど気にするな!意識してるだけだ!!

メディアの違いを理解せよ!/涼宮ハルヒの消失

見に行ってきた。

もうしばらく映画はいいや。

DVD!DVD!


まあなんというかオタクと言うよりはオタクを気取りたいクソガキどもが何かをむしゃむしゃばりばり頬張る音やむせてゲホゲホ気持ち悪い音を立て、こっちにまで食い散らかしが飛んできやせんかと気がきではなかった上にやめときゃいいのにまたなにか喰い初めて咀嚼の音が響き、またむせてはまた食べ始め。なに?美味しいの?それ?そこまでして食べないと死ぬの?ねえ馬鹿なの?死ぬの?
学習能力が無いのかね、全く。ソーニャさん、お仕事ですよ。
昔物を汚く食うなと教えられましたがああいう残念な子になるなという言葉だったんですよね。
モノを食うにしても口を閉めろ、少しずつ喰え、無理して喰うなと誰にも教えてもらえずに育ったんでしょうね。マナーが悪いとかそういう次元じゃないの、気持ち悪いの。

前半はもうイライラいらいらしながら見てたんですがそういうのが気にならなくなるくらいには面白かったです。前後左右に座ってた人は良く我慢したよね、ほんと。


正直なところなのはの方が観客の紳士率はたかそうだよなぁと思いました。


さて愚痴を最初に書いてみましたが、そういう変なのがあつまるくらいにはお客さんはいってたんですよね。隣でアバターがあったというのに競合した上で善戦ということを考えるとおそらく商業的には成功だったのでしょう。
けれど映画としてみると微妙なところ。
印象だけで言えば面白かったよねといわれれば頷く程度で面白くなかったといわれれば否定はできない。正直なところ微妙な出来。

ところで私の前提条件について。
原作は金帯がついている頃に一巻だけ読んでいて地上波放送のアニメは一期を放送当時にみて二期に関してはスルーしました。
アニメを見るに際して京都アニメーションの作画だから見るとかいう趣味嗜好はなく、最近のアニメーションで出来がいいものはと聞かれたらサマーウォーズだと答えます。

なんで見に行ったの?

という経歴なんですが、本当になんで見に行ったんでしょう。苦労して博多まで出て夜遅くまで・・・


実際問題ストーリーを追うことはできるのですがなんかぺらいなぁ。
作品あるいはキャラに入れ込んでいるのであれば面白いのかもしれませんがそういうものが無い人にとってもある種のSFとして魅せられるだけのものはあるのになぁ・・・
ストーリーだけはいいような気がします。ただ淡々と問と答え合わせをやっているだけのようでワクワクはするけれどそれ以上のものがないというか、あくまでもキャラ萌えありきであることを考えておかなければ辛いですね。ストーリーの面白みというのも客観的ではないといわれそうですが演出に関してもなんか音楽でゴリ押ししすぎているような気がします。

次に作画の問題について。これが一番気になりました。
テンプレ的な構図で客観的な見方を演出しているのがこの作品の魅力ですなどと語り始められると私には反論の余地がありませんが、なんとなく視点が遠すぎやしないか?動画、作画に関してもそんなに際立っているとは感じませんでした。むしろ何故か人物だけが妙な動きをして浮いているようなシーンもありましたし、終盤で朝倉さんがくるくるしてたくらいしか動画として面白いところはなかったような気がします。その他のシーンでも演出らしい演出はされているんですが特にそういう細かいところに世界的な定評がある邦画(実写、アニメ問わず)などと比べようものならボロが出るのも仕方なし。邦画ではそういう細かいことが出来ているのが普通なので特にどこどこのスタジオだからこの表現は出来ないというレベルの話ではないような気がします。背景画の技法にしてもあくまで表現技法の一つとしてはいいのかもしれませんがなんとなく違和感があります。毎週放送するアニメの作品ノウハウそのままで映画を作っている印象があり、アニメの延長としてしか見れないようなクオリティです。好きなアニメを大画面でみたいという人にはいいんでしょうけれど映画を見に来たという人には肩透かし感が強かったのではないか?


なんというかオタクと言うか一般人としてみると?な出来です。例えば私が強度のオタならば物販に並んだりしてグッツを買ったり原作を買って読んで流れに乗ろうとするんでしょうけれど正直なところそこまで労力を掛けたくないというのが本音です。ならほっときゃいいじゃんといわれればたぶんほっとくでしょう。
2時間40分を退屈しなかったというのは確かなのですが退屈しなかったからどうなんだといわれれば答えに窮します。



そうは言っても商業的には成功していることでしょうね。
変な方面から見てみるとおそらくはアニメ関係のコンテンツホルダーにとっての市場テストのような意味合いがあり、現在最高レベルの知名度や話題性を誇る涼宮ハルヒという商材をを使ってどれほどまでの収益が上げられるのかという基準として今後のアニメ関係のメディア展開を左右していくものになるかもしれません。
例えば仮にほかレーベルがヒットしたアニメを映画化するという企画が持ち上がったとき、例えば涼宮ハルヒの消失の興行収入がいくらで原作の販売部数から考えると初期予算はこれくらいで・・・という話が何年後かには当たり前にされているのかもしれませんね。
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全裸、色白、無口ヒロインとか

ねくろま。の続刊が届かない。
邪神大沼はたいしたことは書いてないのになんでこんなに面白いのだろう。
困った時のドルイドさんだのみ。主人公の名前はシャレ子なんですよ。
日本の現状を嘆く熊はどうだろう。
手違いでホーンテッド!を注文してしまった。まあいいや。
丸鍋猫はバランスが悪すぎるような気がする。
ゴミ箱二巻目はどこかから借りてきたようなテンプレ的マンネリから脱出できるのだろうか。独自色だけではいい感じなんですけれど文章体力が無いのかねぇ・・・

気づけば本棚が緑色。
見返してみても大して量読んでるわけではないんですよね。

にしてもねくろま。は・・・面白いのは面白いんですけれど・・・特に二巻目は・・・自主規制しますけれど・・・ねぇ?はがないはかなり制限して書いてるみたいですね。直接的な表現が無いぶん。反面、一点特化できるのではがないの方が現時点ではキャラがいい感じですが、一本の話としてはどんなもんだろう。
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2004年のライトノベル/ホーンテッド!

ヒロインと主人公がロシアンルーレットとかします。



たしかあれですよね。このころはまだライトノベルという括りが一般的ではなく、というかその時はまだ本格的にオタクをやっていなかったので良くわからないのですが私のような一般人でも買いやすい小説と言えば西尾維新とか乙一とかそういう文学系の傍流と電撃の灼眼のシャナやキノの旅が目についたような気がする。あとはフルメタあたりか?司馬遼太郎関係をほぼ読み尽くして次になにを読もうかなぁと物色していた時だったような気がします。

時代を感じさせるというか正直なところそういう大手の劣化版という印象が拭えないような気がする。

ただそれは現在から過去を振り返ったからこそ言えることであって、当時としては衝撃的なデビューであったのではないだろうか。
現段階でこの人の本で読んでいるのは僕は友達が少ないの1・2巻とねくろま。の3巻まで(続刊が届かない、どうしよう)とこのホーンテッド!一巻なのですが全体で見ればこの人ほど電波ヒロインをうまく書ける人はいないんじゃないかなぁという印象を受けます。

今でこそほぼ電撃の独力でライトノベル市場を展開できるだけのラインナップの厚みが整ってきて、大きな本屋なら電撃文庫とその周辺がライトノベルだという販売展開がなされていて緑の背表紙を見てもああMFだねと理解できるのですが、当時ってMF文庫とかしらなかった。というひとが多いのではないだろうか。
小売やってたからなんとなくラインナップの仕方を観察したりする癖がついているんですけれど電撃文庫があってGAだとかが置いてあるっていう本屋はあってもほかレーベルを置いてて電撃を置いていない本屋ってたぶん無いと思います。

そうは言ってもアニメイトなどは古くから福岡にもありますので目にしてはいたんでしょうけれどもおそらく理解はできていなかったんでしょうね。苦労して博多にまで出て買うものは良く分からないレーベルの新人賞作品などではなく売れ筋商品のグッズとかだったですしね。

これには漫画とかアニメのほうが娯楽の主流であったりこういう商品を目にするのが店頭でしかなかった時代もあったのでしょうけれど、その後のアマゾン(日本では2000年かららしい)の展開をはじめとしたネット通販や特定ゲームやキネティックドラマの隆盛などを経た現在になってようやく各種のレーベルが独自色で勝負できる時代になったのではないかなぁと思います。


変な話をしましたが要するになんとなく何かの真似みたいな雰囲気が拭えないものの独特の電波描写は健在なんですよね。

時代を経るにつれ余計な肉が削げ落ちてはがないに至っているわけですが抽象的な実力のある人ならだれにでも書けるようなものからだんだんと具体性のある話にシフトしていっています、こう言ってはあれですがうまいだけで換えのきくようなものよりもこれじゃないと駄目だというようなモノのほうが好きなので今のほうが好きですね、うん。
文章自体は簡潔になっているのに中身の濃さはむしろ上がっていますよね。
これは劣化というわけではなく、洗練と言っていいものでしょうしライトノベルというのがあくまで人に読ませて楽しませてなんぼというモノですから親和性(=誰にでも親しみやすい)というのも能力要件のひとつなのですから別にマイナス要件ではないでしょう。むしろ強みです。


・・・岐阜県出身?・・・あ~なるほど、そういうことか。うん、うん。


なんか変な前振りしながら書いていますが悪くない作品・・・ではあるのですが他のでもいいよねという作品。なんとなくらじエレも似たような雰囲気。方向性は全く違いますけれど強力なキャラ物、変態系、悪い意味での無方向性(シリーズ的にどうなるわけ?というようなのコンセプトが良く分からない)というようなところは似ています。
強烈なインパクトはあるのですがどうなんだろう。


キャラに関してはひかりさんの知性ある変態電波っぷりは他には無い気がします。
ただ正直なところそこまでか。

ねくろま。は今のところもっと評価されてもいい(あまり評価されると問題なのでプチブレイクくらいでいいと思います)と思うのですが本作に関してはあまり好きではない。
グロさがストーリーから浮いているというのもあるんでしょうけれど無指向性が気になります。

けれどヤンデレという言葉が成立する以前に高度のヤンデレを描いていたという点では時代がようやく作者さんに追いついてきたと言ってもいいのかもしれません。
タイピカルではないヤンデレをお求めならばいいかもしれませんが、可愛い病み方してるんで注意してくださね。


ところで来月はとうとう僕は友達が少ないの三巻目です。
その他、ISとかギャルゴの人の新作「神明解ろーどぐらす」やダブルアクセスの二巻目など目白押し
、今月の新刊を読むのはだいぶ先になりそう・・・

僕は友達が少ないが●●●●化?
コミック化なんでしょ?全編無修化で。

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神々の最終戦争、世界の黄昏

もしも、もしも本当に天川さんが打ち切りになるようだったらふりふり書ける絵師さんをつけてラグナロク書かせればいいのに。


神々の最終戦争だとかヴァルキリーとか戦乙女だとか骸を貪り喰うものだとか十二単を纏ったバルキリーだとか、現在でも一定の知名度を誇る記号を作品に取り入れるだけでそういった方面に興味のある人に対してこの作品は他のものとは一味違いますよ~というアピールが可能だと思います。実際にそういうアピールをしている作品はありますしね。

この広い世界にふたりぼっちでは巨人というキーワードが出てきますが、向こうの神話では巨人族と言うのは神に匹敵する勢力として一般的?に認識されているのですが、そういう極度にマニアックな設定というのは何の導入もなく持ってこられると読者は( ゚д゚)ポカーンという状況に陥るわけです。中には少々の知識がありニヤリとする人もいるでしょうけれどそういう人をターゲットにするまでのマニアックさはかえってマイナスに作用します。たぶん。

例えば正宗だとか村正、あるいは村雨という名刀の名前を出す作品はあれど国光や三条小鍛冶宗近、薬研通吉光などの名前を聞いたことのある人はそうはいないのではないでしょう。ちなみにおももりひまりに登場するひまりの佩刀「童子切安綱」には酒呑童子を切ったという逸話がありますが、宗近を装備すると確実に狐耳が生えることでしょう。狐耳のシューキュンが相槌を打ったのかもしれません。国光は薙刀の名手個人的に一番好きです、薬研通吉光は主の切腹には付き合わずくぉんの役立たずがぁ!!と投げ捨てたところ鋳鉄製(日本刀のような軟鉄では刺さるはずの無い硬い鉄)の薬研に突き刺さったという逸話からすると強度のツンデレです。
この他、日本刀の材料となる和鋼というのは時間をかけて低温で精製するため純度が高く柔らかい反面粘り強くて折れにくいという特性があり、いくつかの炭素などの配合比の異なる金属を何十にも折りたたんで作り上げる合金?というか複数の金属をくっつけているという構造をしており世界に類を見ない物なのです。これに熱を加えて冷やす、いわゆる焼入れなどの工程を経るわけですが、この構造のため時代によって刀身に現れる沸という紋様や冶金学上とても強固な鉄分子のつながりとされる金色の点や筋(稲妻や単に金筋ともいわれる)が現れるものがあります。
特に古い刀剣類にこの金筋などがみられるそうなのですが近代になるに連れこういう野性味のあふれる高貴さはなりを潜めることとなります。
一方で南蛮鉄といういわゆる近代あるいはヨーロッパなどの鉄というのは石炭の高火力などで短時間に精製する鋼鉄であり硬い分もろく、バスタードソードをはじめとした大剣のような大きさや古い三角形の刀身を持つようなモノのような形でなければ強度を保てなかったのではないかと個人的には思っています。
日本刀のよく切れるというのはあくまで生物がよく切れるという話であって鎧ごと真っ二つという話ではありません。斬鉄というのは剣客の時代にあってはひとつのスキルだったのです。一方で斬鉄剣というのがなかったのかというとそこは難しいところで和鋼のような純鉄ではなく南蛮鉄=鋼鉄を使った日本刀も作られていたようです。長曾祢虎徹は古鐵つまり酸化鉄を材料として使用したといういわくがあったりしますが草鍛冶(無名の町工場で作ったようなやつ)レベルでは結構あった話かもしれません。
なんか変な方向にはなしが向かっていますがリアルさという話で詰めていくと日本刀というのは武士の時代にあっては飾りであって古い剣客というのは中条さんちのお家芸ぐらいのもんで武士の武器といえば第一に弓、戦国時代にあっては槍です。戦で弓の名手(名前忘れたけれど三方原の徳川方にひとりいたはず、戦国時代大きな戦ではかならずひとりはいるけど殆ど無名に近い)や槍の名手(たくさんいる、戦功を上げることを槍働といいます)というのは時々出てくるんですが剣客で華々しい戦功を上げた人って足利義輝以外いましたっけ?現代の武装に当てはめるなら自動小銃が槍、弓は砲か狙撃銃、刀は拳銃というところなので刀を振り回すのはあまりかっこいいものではなかったような感じです。
一方で今と同じく刀剣をもつということはステイタスシンボルというと語弊がありますがしきたり的に持っておきたいものというみかたをされており例えば三条宗近は高位の公卿が儀式的に持っておきたいものでしたし吉光の短刀も高位の武家には必需品だったといわれています。
九尾の狐が現れたときに神が人間に授けるのも薙刀ですので日本刀に萌えているのは近現代人だけだったりします。

ぶっちゃけリアルさを追求するのであれば槍の話しようぜ!!ということになるのですが登場人物がみんな槍使いか弓使いの話なんていうのはまず売れないでしょう。
槍というとサリッサのような穂先の小さなものをイメージすることが多いかもしれませんが福岡市立博物館にある日本号(別名、呑取。黒田節で飲みとったやつ)を見てもわかるように当時の槍というのは結構穂先が大きいです。だからたぶん接近戦でも有効です。
正直なところここまで語ってもだから何だ?日本刀だせよ。といわれるのが落ちでしょう。

マニアックさというのも武器の一つではあるのでしょうけれども度が過ぎた変態には誰もついていけないのです。特にライトノベルならなおさら。ラノベだからできることもあるんでしょうけれどもね。


一方、全体的な市場を見渡してみると売れ筋はやはりキャラ物ですよね。電撃は規模というかラインナップが別格なので比較し難いですが中小レーベルで例外てきな長寿タイトルを除けばよく目にするのが生徒会の一存だったりこれはゾンビですか?だったり僕は友達が少ないだったり、おそらくこれらはメディアミックスがしやすい上にあたればデカイあるいは広報がしやすくネットあたりが勝手に萌えてくれるというのがあるんでしょうけれど、前回の大賞でMF文庫Jがキャラ物路線に舵を切ったように素人目には見えるのでキャラ物いいぜ!という風潮がどこかにあるのかもしれません。

ここで変な話に走りますが小売というか実際に本屋に並んでいる作品というのは規模が大きいほどよく売れます。
特に電撃の販売力というのはどんなところでも電撃文庫空間がライトノベルの世界を確保しているからこそ売れているというのもあります。悪く言ってしまえば商品なんていうのは多少品質が悪くても販売力があれば売れます。それは知名度だったり何たりするのですが、別に悪いということではありません。だってそれって営業とかのお仕事ですもんね。電撃が販路を拓いてくれたからこそ現状のライトノベルの隆盛があるのだと個人的には思っています。非常に悪い言い方をすれば他レーベルは電撃の尻馬に載っているだけの販売戦略しか打てていないようでもあります。たぶん実際には販路を確保できたのが電撃だけだったというのもあったんでしょうけれどもね。

ライトノベルというのはそういう販売戦略の過程で年齢層を極端に絞ることで確実に売れる主流年齢層を確保したところから始まっています。アニメ絵のカバーの本など大人は普通書いません。しかしそれでいいのです。おそらくは日本人みんなが読むような高尚な本ではなく閉じた市場で確実に収益を上げられる体制を作り上げたところから始まったのでしょう。

第二段階としてコアなラノベ読み、例えば電撃HPを買って読むようなコアな層とそこまではしないけれどラノベは好きで時々読むという層という本屋のお客さんとネットやとらのあななどで話題作なんかをついでに買っていく非固有層を意識したことが功を奏したのではないだろうか。ちょっとアダルティっくな話になりますが電撃萌王/姫だったかそれまでPushやテックジャイアンが個人的には主流だったような気がする業界に新規参入したわけですがおそらくは美麗なピンナップポスター何十連発というローテクながらもファン層の心を鷲掴みにする手法でおそらく絵師さんの重要性に気づきクオリティを追求しに行ったのが具体的な手法だったのでしょう。この絵を最大限に利用するという方式は同時代の他の雑誌でも等身大ポスターなどを突発的にやってはいましたが継続的に大判の最大ではないものの自分の好きな作家あるいは作品でもそれなりのクオリティのものを手に入れられるというのは他には無いものであったと思います。ひとりのエースではなく無数の中堅で勝負を掛けることにリソースを分けたという点でおそらくは革新的であったことでしょう。正直あまり使い道の無いグッズをつけられて定期的に買うものの値段が上がったりしかもそれが好きじゃない作品のものだったりした場合には販売不振に直結したりで売上は不安定ですがコンスタントに適度な販売力を持っているモノのほうが結果的に消えることが無い上に規模が大きくなりやすいのではないかという経験則があるのですがそれに当てはまるのがまさに電撃関係です。一点豪華はFestibalのような別枠に移したほうが良かったのかもしれませんね。実質的にここ五年程度のスパンの話ですが五年は結構大きかったのかもしれません。五年前ってGA文庫はなかったんだ・・・
非固有層の惹きつけは話題性や絵師さんの適切な場所への投入という作戦で成し遂げられたのかもしれません。


大佐というか部長クラスあるいは権限を与えられた電撃文庫の参謀クラスがどこまで考えたのかはわかりませんが結果から見てみれば電撃の販売戦略の重要ポイントは以上の二点にあるのではないでしょうか。実際には基礎的な営業力や業界内シェアで外さなかったという本当に基礎の基礎が他レーベルとは違ったというのもあるのでしょうが、トリコロの海藍さんの救済などから見てみるに根っからの本屋ではなかったことが一番のポイントかも知れません。


以上は販売戦略というかどちらかと言えば経営に関する話です。
実際にはやはり商品の力こそが鍵になってくるのですが単体の戦力も重要ですが組織としての能力において優れていいるのではないかという話になってきます。
正直なところ売れるものはよく売れるわけですが買い手にとってみればわざわざ手間かけてまで店舗特典付きのショップまで足を運ぶひとは少数派であると思います。アニメイト入るのしんどかった。とらはまだ大丈夫なんですけれどねぇ。ゲーマーズは奥までは行ききりません。めろんももう無理っぽい。という私のようなやつもいるわけですからね。
そうなると自然と一般書店で買うようになるのですがライトノベルは普通の本とは違い雑誌のような生物っぽいところがあり鮮度が命で定番の古い作品を並べるだけで果たして売れるのか?というところがあるように感じます。
そうなると売り場での編成は定番のシリーズよりも新刊を細かく回転させているショップの方が売れる可能性があるのではないでしょうか。実際に私が買いに行っているところはそうですし古いのを買おうとするのはおそらく私のような特殊なやつなのかもしれません。ここに電撃あるよ~っていうのがどこの本屋行ってもわかるでしょ、だいたい。伊豆行って蜻蛉日記なみに感動しましたもん。
そうなってくると商品のラインナップがシリーズ物と新刊が程よく揃い在庫として残っているものはレーベル結界を張る役割をになえるくらいの規模があるモノのほうが自然新刊も既刊もよく売れるようになります。
それに加え、電撃はレーベル一本でほぼすべての分野を巧拙はあれ網羅できており電撃さえあれば欲しい分野の本はある程度手に入るというのもあり、そういうイメージを伝える表紙を作るのがうまいのが電撃ですよね。嘘つきみーくんと壊れたまーちゃんの絵師にほんたにかなえさんを起用したらたぶん売れなかったでしょう。力量とかではなくイメージ的に。一見してその商品がなんなのかわかるというのが最も強い広告になるのです。ところで天神歩いていて展示品見ると売るきあんのかこいつというひどい置き方してるのが結構あるのですが殿様商売なんでしょうかね?


なんとかこじつけて来ましたがようやく言いたいことが言える。
ラノベの購入層というのは複数あり主流は金持ち始めた高校生から大学生くらいまででしょうが、その他のマイノリティも結構いるものと思われる。
レーベルごとのラインナップを分野別に見ると売れ筋はキャラ物にシフトしているが、それは一部での話であり単一の総合レーベルとして収益を上げるには各種バランスよく育成する必要がある。マイノリティニーズの一つ(個人的な)としてライトノベルだけれど少し本格的なものを読みたいというニーズに適合しそうなベクトルがメディアワークス文庫やGA文庫の一部に生まれ始めているのでその戦線に部隊展開をしてはどうか。
そのような視点からしてみると純系(ある程度知識に基づいた)ファンタジーに葉村哲さんを投入するのが人材配分的にいいような気がする。純粋なファンタジーというものは個人的にはとっつきにくくしかも世界観を一から構成しなければならないということもありある程度知識がなければ一般に受け入れられてなおかつ面白い作品は書けないような気がする。
ファンタジーでも現代ファンタジーでもなんでもいいがあの知識と独自性をこのまま潰してしまうにはあまりにも惜しすぎる。具体的な描写が標準をやや下回るので上位レーベルなどでやるには難しいかもしれませんがその他にこの人を活かせる状況ができつつあるのではないかなぁと、少しまじめに考えてみました。

天川天音の否定公式に関しては後ろで指をくわえて羨ましそうに雪道や瑛子を見ているだけではなく例え嫌われることや自分の手を汚してでも誰かの隣にあるいは対面に対等な価値のある者として向きあおうとした天音さんが今後の話しの中心になってくるのかもしれません。こういう人物描写が出来ているのに何故かストーリーが軽く見えてしまうところをうまく魅せていけるか、というところがキーになってくるのかもしれません。



・・・なに危機感感じてるんだろう、自分・・・
まじめに考えたこといろいろ | コメント:0 | トラックバック:0 |
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