暫定ブロードキャスティング

近況: 農業高校ラブコメ 「のうりん」(GA文庫 ライトノベル) は8月12日からきっと大絶賛発売中!!! ちょっと何かに似てるかもしれないけど気にするな!意識してるだけだ!!

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広げた地図の上、痩せた指で

黒崎教会にて

ようやく帰ってきた。
昨日の6時に自宅に到着。

下道というか県道とか三百番台の国道とかを通っていたので渋滞に巻き込まれるということはほとんどありませんでした。

走行距離は車を返しに行くときに1200kmになりました。
ずいぶん走ったね。

今回お借りしたホンダのゼストは燃費では平均15、6km/lくらい調子のいいときには18くらいは走ってくれました。
日中はもとより夜間もずっと運転していたので走行時間は一日10時間以上だと思います。

無茶するなぁとか思いますが常時カーステレオでカラオケ状態だったので士気は下がることはありませんでした。ドラマCDやラジオCDは重宝しました。

それで今回の目的なんですが観光が目的といえばその通りなんですがいろんな地域事情を見ることが目的でした。
ただひたすらに突っ走っただけでしたがそれでも街の雰囲気が休憩を促すようなところや隠れたいい店なんか・・・というよりもメジャーな観光スポットではありませんが地元というか仲間内では結構有名なところを個人的に無理やり回ったようなもんですね。
おかげで考え方が大きく修正されたような気がします。

備忘録としていろいろと書いていこうと思います。

それで今回の装備はnanoに直でImagex10です。
正直これで必要十分です。
エージング効果なのかもしれませんがこれはこれで細やかな表現もできるうえに力感も十分、音像がやや弱い気もしますがこのモバイリティを考えた音質では一番いいもののように感じました。

少しだれてきたときにはD10環境で一喝。なかなかに役に立ちますね。




あまり土地の名物とかを食べまくったということではないのですが九州の三ツ星というもののご紹介です。

ミシュランの三ツ星というとものすごくうまいものというイメージなのですがそれがどれくらいのうまさなのかというとその三ツ星レストランの食事のためだけにその国を訪れる価値のあるというレベルのようです。

九州の三ツ星というとそのためだけに九州を訪れる価値があるというものになります。

それではその九州の三ツ星についてのご紹介。




●国道202号線

まあ、その、すでに施設ですらありません。私のことですからね、常識を求めるほうが間違っています。

通常長崎市を目指す場合には大村湾に沿って南下するのが普通なのですがこのたびは聖地巡礼をいうある種の奇行も含めての行動ですので東シナ海を通っていきました。

こういう観光シーズンでは最短距離をとろうとすると必ずといっていいほどつまりますので多少遠回りをしてでも渋滞なく進めるほうがいいと判断いたしました。

渋滞ありの100kmよりも渋滞のない130kmのほうがいろいろといい気がします。

この国道のすばらしいところはなんと言っても景色などの雰囲気です。

具体的に三ツ星をつけたいと思うのは南下路で西海市に入ってからです。

西海市に入った直後の橋では、まっすぐと西に伸びる河口の中に夕日が溶けていく姿に心を奪われます。

この西海橋が・・・と思ってgoogleマップで調べてみたんですけれどもこれ西海橋じゃない。
もう少し小さくて橋に乗る直前に西海市という看板が立っていました。
どこの橋?

とまあこういう地図にも載らないような小さな名所が存在しているわけです。
ちなみにこの橋は小さくてしばら走っても休憩スペースなどはないようなところです。
探してみるのも面白いかもしれません。

ここから始まる東シナ海のどこまでも続く金色の海。
夕方ということもありまだ明るさは残っているものの次第に小さな島や路肩の植物が夜の黒を纏いつつあります。

特に美しいと思ったのは雪浦以降の道になります。
この辺になるとドライブする人の事も考えているのか路肩にスペースが多くとってありました。


そしてこれらがある種の自然の美しさであるのに対して人工物の美しさを見せ付けるものに遭遇します。

墓地です。
断崖絶壁は一面の墓地。
マリア像か何かの人型を中心として多くの十字架と墓石とが夕日を拝しています。

ずっと自然の中を走ってきて現れるその威容にはある種の生命を感じます。
死者は必ずしも冷たい土の中に横たわっているわけではなく、暖かな土の中で生者の代わりに一日の終わりの祈りを捧げていることもあるのです。

これは反則ですね。

このすぐ先にある黒崎教会が今回の目的地。

残念ながら到着した時間が少し遅かったということもあり中には入れませんでしたが。翌日、また夕方に訪れて中に入ることができました。

写真については居合わせたおじさんに許可を求めてから撮っています。

後でアップしますが、冒頭の写真を撮ったのはステンドグラスを通した自然光の中でです。

蛍光灯をつけることができたのですが、そんなものは必要ありません。
太陽の光だけで十分な美しさを保っています。

またこの中では本当によく音が通ります。
声や物音、最後の一粒までが消えていく様がありありと感じ取れます。

ミサの時には香をたくと聞いていますし五感すべてに訴えかけるような計算がされつくされた建物なのかもしれません。

しかもこの建物は現在も使われている現役の教会でありご町内のお掃除当番表らしきものまでありました。

決して観光地化しきってはいない生活の中の気高さが一つ一つの備品の中にあふれています。
見たところぼろぼろになっている聖書や楽譜はありませんでした。

古い学校にあるような質感の木で作った机といすが並んでおりその一席ごとに楽譜などのファイルが収められています。

そんな中でとったのが冒頭の一枚。


このほか書くべきことは山のようにあるとは思いますがとりあえずはここまで。
一時間以上一人で建物の雰囲気に浸っていましたが、外に出てからもまた美しい。

海というよりも山が目立つ風景なのですが、鳥がものすごく近い位置で飛び交っています。
また、入り口の高い位置には緑色のよく目にするネットが張ってあり鳥が建物の中に入るのを防いでいるそうです。

観光地化するとこのような見栄えの悪いネットは取り払われてしまうのかもしれませんが、そんなことをしなくてもいいくらいにこのあたりの土地は飢えてはいないようです。

もしかしたら軒先にはツバメの巣があったりするのかもしれません。

観光地ではありませんので案内板などはありません。訪れる際にはお気をつけください。
それと生活空間にお邪魔するわけですから決して大勢で押しかけて礼を失するような真似はくれぐれもおつつしみくださいませ。
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まともに撮れているのがほとんどないという罠。

初心者向けのものを買うべきだったか。
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これは春先に撮った携帯の写真ですね。
いろいろと忙しいですがようやく私にも春が来たようです。
といいながら夏のように暑い五月。

昔縁のあった人にねたを献上しに行ったのですが社会部にいるの?といわれました。
そういう雰囲気があるそうです。ちょっとな毎期の入った・・・昔とは違うのです。

とか書いていこうとおもったのですけれども明日は一日使って小説ページをいい加減立ち上げてしまおうと思っていたので今日はもう寝ます。

昨日は盛大に鼻血を噴きました。
暖かくなってくると増血するようで毎年六月少し前くらいには大量に血を流します。

以前はただ流れるに任せていたのですが、これはもったいないということで献血にでも行こうかと思います。

ふと人の血を吸った花は果たして真紅に染まるのであろうかとか考えたのですが・・・無理か。

近所の桜は異様に色が濃いんですよね、特にその中でも濃いのが二本ほどあるのですが、もしかしたら・・・


いい感じに毒気が抜けてきております。
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もはや記憶もあいまいで

もう先週のことになってしまうのですが、というかすでに12日ということで五月ももう半ばということなのですが・・・何も進んでいません。

今までいろいろなものを放置していたということにようやく気づくことができました。

こういうものたちの中で優先しておくべきものは何か?
そう考えると始めに手をつけたいのは後々自分の味方になってくれるものを増やすというものですね。

これは初期投資とか先行投資とも言い換えられますけれどもとりあえず将来を見据えてどんな状況でも自分の力になってくれるものを見つけたい。

というわけで暇な時はずっと部屋の片づけをしているわけです。

捨てるものは捨てなければなりません。
このように考えるとDVDに焼いた昔の番組なんかは今にして思えば圧縮してそのままHDDに容れときゃよかったと思うわけです。
DVDも枚数が増えるとまじぱねぇ状態になってきます。
えっとね、五百枚くらいあるんだ・・・

実際にはもっとあります。
これを少しいいケースなんかに入れているもんだからとんでもない状態なんですよね。DVDだけで部屋の一角が占領されているという。

このような状態が将来的にはひとつのメモリーに入れ込んでしまえる時代というものはもうすぐそこまで来ているのでしょうけれども、というよりもやりようによっては旅の思い出をすべてHDDのなかに入れておける時代ではあるのでしょう。

それでもやはり形あるものにこだわりたがるのが人の佐賀。

データ化もいいことはいいのですがそれがデータベース化されていない状態でただ乱雑にというかたちの悪い図書館みたいにそもそも論の分類がなされている場合には役に立ちません。

長崎旅行、とかいうフォルダを設立してそこの中に記憶のすべてを集積するほうがいいものと思われます。確かフランスの法律ではこのような編纂の仕方をしているそうです。

一方で日本の法律なんかでは定義ごとに法律を整理してあります。
旅行フォルダというものはなく写真というフォルダのなかに写真だけが隔離して収められています。
納められているだけならばいいんですけれどもこの中で項目わけされていないとちょっと引きます。

日本のような編纂の仕方をする場合にはそのばらばらになった情報の管制する作業が必要になってきます。
このような部分は人の中に要求されるのです。
かといってこのようなスキルを初学者に求めることはできません。
法律を学習する際に必要なのはそれを運用する経緯を想定することなのです。

つまるところ意味によって情報を管制する必要があるのに、その意味を教えるという初歩的なものが意識されていないということが問題なのです。

これは理解するうえでの問題で、これを法律関係の文書として記述するのは別の問題です。私は記述のほうがだめだめです。こんな文章書くようなやつですからね。

というわけで情報を整理するためにはそれを引き出すときのことを考えて保存しておかなければなりません。

このように考えるとブログというものはいいものですね。
文章もかけるし写真も載せることができます。
今まででは少し難しかった編集作業やそれの保存という手続きが簡単に行われているのです。

どのくらい邯鄲なのかというとじいちゃんばあちゃんでもやろうと思えばできるくらいにです。
顧客の母集団を多くとろうとする場合には機能を多くするよりも簡略化するほうが有効というよい例だと思います。


それでは本題です。
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光の足跡(黒崎教会)

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妨害工作

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OP

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何らかの違和感

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坂坂

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津崎教会のUMA

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おしゃかな


なんかいろいろとぼろが出てき始めたので今日はこれまで。
今回宿らしい宿にとまることがなかったので日時の感覚があまりない。
大切ですよね、食事とか寝床とか。

こういうものがなくなるともはや人として扱われないような世界が待っています。
国民一人一人に背番号をつけるという某制度はこのようなイレギュラーになったとしてもある程度のセーフティーネットを繋げることによって革新的な制度となる可能性があったと思うのですがこれは私の妄想です。

善意とはすばらしいものですがそれに期待できるのは極少数の規模と質でしかありません。
そう思った今回の旅。

つまるところ正攻法に勝るものはないということです。
正攻法を構築せずに絡め手に兵力を集中することが兵法だとしている不思議な国があるようです。




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優しい嘘に居場所見つけて、夢の中に逃げ込んだ

いかん、今無職なのにとんでもなく忙しい。

特に人に会うということをしているわけではないのに、スケジュールがつまりすぎ。
なぜだろう。

ということで今月の更新は先月の更新数には遠く及ばないようです。


今考えているブログネタはいろいろあるんですけれども、パソコン関係の改造ネタ、というよりも一万円でできるパソコン最低限のアップグレード作戦、とか愛用しているMX510というマウスが遊撃部隊と化している現状でメイン用にMX518を追加した状況とか、あさってから始まる裁判員制度の解説とか、geforce7600gsからradeon4670に交換した場合の画質の向上の件とか、光の液晶保護(目保護)パネルに関する追加報告とか、中国から手に入れた怪しげな光ケーブルについての情報だとか、いま読める新聞が読売だけなんで今回からは一日一日ごとに各紙のまとめというかウェブログのようなことをやってみようかとか考えていることとか、小説ページを立ち上げたはいいものの市街戦の描写がまったく想像がつかずに停滞していることとか、その資料のために頂き物の猫の写真集を見ていることとか、部屋を片付けていたら出てきた三大テノール夢の共演のCDでごく一部の歌について皆さん異様なテンションをお持ちになっていらっしゃったようなこととか、町歩きのこととか、そもそも長崎、熊本旅行のことについてほとんど書いていませんし、新しく始めたことについても、時間がとられそうですし、何やってんだろう、この状態で仕事見つかるの?

全部私事じゃん。

とは思うんですけれどね。
今挙げたのは私事なんですけれども、ほかにもやらなくてはならないことが山積みで仕事を言い訳に放置してきたことが今が好機とばかりに攻め立ててきます。

へるぷみぃ~

死ぬ、死ねる。

引っ越したい、何のしがらみもないどこかへ。

もう九州万歳とか言いませんから・・・どこか遠くへ行きたい・・・北海道とか・・・


小説というのは難しいですね、現代ものの簡単なやつとか短編なんかは昔書いていたんでかけなくはないんですけれども、そもそも会話がほとんどないようなものなんでどちらかというと筋書きというか思考速度にあわせていると何かの原作レベルの筋書きにしかなっていないようなものばかりだったのですけれど・・・そもそも思考がぽんぽん飛ぶために順を追って何かを描写していくというものは難しい・・・

何かを学んだというわけではないんですけれども・・・どうなんでしょうね。才能というか書けば何でもできてしまうというタイプの人というものはいるもので、それは小説にしろ仕事の文書にしろです。
うらやましいなぁ。

わっちはそんなふうな適応が苦手な部類なんでいつもいつも初めで躓きます。

躓きはするんですけれども、慣れれば結構楽にこなせるようになります。


そろそろこのブログが一周年を迎えようとしています。

始めはあのくらいの分量を書くのに何度も頭を悩ませて、時間をかけてどこかで見たような文体とか基準とかを使った自分らしくない文章が出来上がっています。

普通の人はそこからもっとその文体を練習して状況に見合った文体を取得するのが普通の学習という過程です。


でも変な方向に向かう私。

どうしようもありません。
ただ書きたいように書いているだけですから。

ただこういうことは私事である分にはいいのですが人とというより社会とつながりを持つという段階にあってはそうも言ってられません。

自分にあった仕事を見つけて苦痛なくすごしていくことがこの国では至高とされています。
そして、そういう言葉を失敗した人間にかけることがやさしさを示す儀式であるのです。


くだらねぇ。


別にもう思い出したくもない某所のことを言っているわけではありませんが、こういう言葉というものは成長を抑止してしまうものですね。妹が働きたくないとか言いやがりましたんで俺のようになりたいのかといってやりました、私の場合には体の問題とかあるんでなんとも言いがたいんですけれども何かに合わせて自分を変えるということを続けていかなければずっと子供のままでいることができます。

子供と大人の違いは庇護してくれる人がいるかどうかです。
その庇護というものはたいていの場合愛玩動物としての庇護です。
そいつの将来がどうなろうと知ったこっちゃない、今が甘ければそれでいいと考えている人ですね。

幸運にも私の周りには多少つらい思いをするかもしれないが将来に向けたキャリアといえるものかどうかわからないけれど決してマイナスにはならない経験をして見なさいといってくれる人が何人かいてくれました。

ただ対照的にね、優しい人に囲まれて育った人を見てしまったんですよね、そういう人たちって大体同じような共通点があるようです。

そういう人生に片足突っ込んでいる自分を見つけてもがこうとかそう思った。

まずはやせなきゃならん。ということで毎日腹筋は300回、腕立ても。がんばっています。
意外と時間をとらずにできるもんなんですよね、こういう努力は。
一分一秒を大事にするという緊迫した状態というものではないんですけれども一分一秒でも集中することができるという意味合いのものなんだと思います。

決して、ながら作業にはせずにその行動に集中する。ということを続けています。

そのおかげで腹筋がわれ始めてきました(わぁ~い)

あれですね、腹筋もいいんですけれども肩甲骨を引き締めると疲れが吹き飛ぶというか気合が入ります。お試しあれ。

こういうことを書いてくれているいい本があるんでそれについても今後紹介していこうかなと思っております。

自分変革作戦行動中。
そのほかには新聞の音読とか一分間フリートークとかの練習をしています。

一月に撮ったものと比べて声が腐ってやがる。これも何とかしなくてはならないと思いました。

それと難しいですね、一分間のフリートークというものは。プロの方でも五分のフリートークは難しいといわれていたので自分なら一分で十分だ!!とか思ったんですけれどもね。

ちなみに今回用意したマイクはオーテクのものと、ロハス?とか言うところのエリザベスカーラーつきのもの2980円のものなんですけれども確かに音が違いますね。

これはインピの問題もあると思うのですけれどもオーテクのほうが主線がスムーズに連続しています。
これに対して、安物とはいえもしかしたら蟹が偉大なのかもしれませんがロハス?の方がやや腰高の泡だった音になります。こっちのほうが無理のない規格だというだけなのかもしれませんが普段はこちらのほうを使っています。
使用録音ソフトはサウンドレコーダー。


こういったちまちましたところにほころびというか何かの影が付きまとい始めているようです。
敵は必ずしも狼の皮をかぶっているわけではありません。

たいていの場合には羊の皮をかぶってやってくるものです。

そういう優しさを示す場所になるだけであろう裁判員制度解説の予告編ということで今回の落ちにつなげようとしたんですけれども・・・無理がある。
何もない一ヶ月 | コメント:0 | トラックバック:0 |

ひとり往く夢の汀

MP足りなくてつまる。あるいは魔法とかスキルが成長せずに途中でつまるなんていうことはよくあること。
属性というものは大事ですよね。
序盤は物理属性ばかりが育ってしまいますが中盤に差し掛かるころにはいろいろな属性の敵が登場してきます。

一般的な属性持ちなんかは普通に物理攻撃で何とかなりますが、アンデットあたりが登場してくると非常に困ります。
光属性持ちというのは結構貴重なんですよね。
意外にもにも火が効くということは後になって知ったんですけれど特殊な攻撃ではないと倒せないという条件が終盤になるにつれて要求されてきます。

攻撃が通りにくいというものに関しては最終的には手数で叩き潰してしまうということで何とか対応できたのですけれども、向こうの攻撃がこちらの主力の弱点属性でなすすべもなく粉砕されてしまうような状況では属性を管理することは必須のスキルとなってしまいます。


何を言ってるんでしょね?
今回は裁判員制度のお話です。




今回久しぶりに複数の新聞を手に入れてきました。
やはり色が違いますね。

これは赤いとかそういう問題ではなく、白かどうかというものです。



さすがに各紙力を入れています。

これがただの情報であるのならばリソースを投入して突き詰めることによって生まれる結果はすべて同じものになるはずなのですけれどもそうは行かないのが現実の面白いところ。

実際にはどのような差があったのかは後述するとしてどれも詰めが甘いなぁと思ったのは私だけではないはず。一般の人にほうてらすなんていっても知っている人は極限られていると思います。

何が言いたいのかというといずれの記事を読んだとしてもそこからどうすればいいのかが明確に見えてこないのです。
情報を提供する。提供された人は少なからず何か行動を起こすことがあるはずなんですよね。
それがいいかどうかは別として。
もしかすると混乱を避けるためにあえて疑問に思ったところをどこに訪ねればいいのかという人の誘導をやらなかったのかもしれません。

情報戦です。
どうでもいいですけれどもね。





制度説明に徹したのは読売でしたね、あとは毎日。少なくともこの二つのどちらかを持っていれば制度についてのテストはクリアできるのではないでしょうか?どうなんでしょうね。

制度自体への言及が特に特に強くなかったのは朝日と西日本新聞です。

西日本新聞はさすがブロック紙ですね。小倉支部で扱う想定数が40で現在九州全体で裁判員制度の対象となりそうな事件が12件。ということまで調べています。きっと汗にまみれたシャツは黄ばんでいるに違いありません。

朝日の書き方はよくあるように未来に起こるであろう運用上の問題点を制度概念の説明に織り込むために多少混乱を生じさせるものになってはいるのですけれども情報量としては必要十分のように思えました。

朝日についてはあまり力を入れているようではありませんでした。それはそれでいいんじゃないんでしょうかね。私もそう思います。

最近というか私が知る限りでは平成14年ごろの法律関係には見直し規定が装備されていることがあるのですが今回の裁判員制度に関しても見直し規定が盛り込まれているようです。

これがどういう意味なのかというと法律に関してサービスパック出しますよといっているようなものなのです。もしくはサービス打ち切り、回収するかもしれませんという話につながることもあるような、なんかそんな感じです。

従来の法律というものはたとえ変なもの作ってしまったとしてもできてしまった以上は法律であり決してそれを廃止するという考えはそもそもありませんでした。VISTA状態です。三十年前の六法とか持ってきて今のものと比べてみるとよくわかるみたいです。

そういうものを無視するわけにも行かず現実に使うに耐えるようにカスタマイズするのが政府の解釈とか判例という裁判所の解釈でした。


これらは言いすぎで表現も的確ではありませんが、つまるところ法律の運用の実権は法律の制定者からは離れたところにあったわけです。

三権分立なんですから当たり前といえば当たり前なんですけれども、政府のほうに好き勝手されているのは面白くなかったのでしょう、そういった現地カスタマイズを立法側が取り込む、あるいは明確に政府や司法側の解釈を排斥するための機会として法律のアップデートを立法自らの手によって行うようなきていを設けているのだと思います。

とりあえず立法がどうなるかは知りませんのでこれは完全に妄想ですね。

つまるところ今の制度を熟知していたとしても大して意味のないことなのかもしれません。
むしろ、これから始まる運用上でのフィードバック情報をどれだけ目的を持って収集できるかが勝負になるのです。

リリースしてからが開発の始まりなのです。





そろそろ本気出す。


裁判というよりも司法というよりもそういうもののもっと昔からあるルールとかそういわれるもの、契約だったり何足りで区画された自分たちの世界を引く線。おきてとかなんかそういうもののお話です。

掟というものは人の輪そのものです。
今のように不特定多数の人の群れの中では想像がつかないかもしれませんが簡単に言ってしまえば自分たちの輪の中から異物を排斥するのが掟を運用する組織の役割なのです。

犯罪者とはかいつまんで言えば自分たちの輪の中に入れて置けないものであり、これをいかに処遇するのかということが司法の源流であるといえます。

これが進歩してくると調停に進化するのですがそれはまた別のお話。


いかん、話が終わってしまった。

こういう原型は普段の生活の中にもまだ生きていますよね、現在ではいろいろなルールが錯綜しているために外れた人に対する有形暴力は体面上はしてはいけないことにしています。体面上はね。

こういうこと考えると昔の方がすぐに殺してしまうようなことがなかったのでよかったのかもしれません。



古い話になりますが昔京都で平家に対してクーデター起こそうとした人が鬼界ヶ島に島流しになるということがありました。
殺すと霊属性が着いて対処しきれなくなるんで絶海の孤島で生殺しにしてしまおうということだったのです。

これ自体は生き地獄を味あわせてやろうとか言う正確の悪さから生じた処遇なのかもしれませんが基本はぶることが司法の役割なのです。

報復という概念もあるにはあるのですけれどもラインが違いますのでここでは置きます。



輪を乱すものをどうにかして輪を守るということがその終極的な目的なのです。



それに対する方法論がいろいろ分けられるわけです。



んで本題。
ミシシッピーバーニングという映画があります。
かいつまんで言えばいじめの話です。

白人の輪の中から黒人出て行け、それに味方するやつぁ同罪だというわけです。
行った事ないんでよくわかりませんけど調べる限りにおいてはアメリカという国はこういう小さな輪がたくさんある群体らしいですね。昔の日本と変わりません。鳥取の東と西がなか悪いのとかと一緒です。違うか。


これを原義として正義とか何とかが規制します。
キリスト教の輪のを乱すやつは正義の名の元に裁かれるわけです。
正義というものは社会の規格というか権力を持つものたちを飾るものです。

ひところしてもくにのためならばゆるされるとかいうりろんのこんていにはこういうわをまもるという機能が含まれているから正当化されえるのです、たぶん。裁くひといませんもん。

この点昔の武士(非侍)の戦う理由は明確でした。自己防衛であり、自分を頼りにする各村を守るために中規模の国人とかつまるところの信長の野望の大名たちなんかが登場します。毛利元就の半生なんかはまさにそのものですね。


脊髄反射した人のためにもう一度書くと正義とかそういうものが生える土壌の話をしているのであって正義がどうとか真実が二つあるとかどうでもいいことなんです。私にとっては。




んで、何が言いたいのかというと自分たちのコミュニティの中に入れて置けないやつをどう処遇するかという感じで利用されるのがこういう裁判員制度の源流なのです。
村長を囲んで村の全員が”こいつどうすべか”と異邦人を囲みます。
そんでその次の日にはその異邦人は池の真ん中につき差刺さって白い足だけをさらしているわけです。


ミシシッピーバーニングとか八墓村は読んだことないんですけれどもそういう村独自のルールで殺される人をみて死んで当然と思う人果たしているんですかね?

重要なのはここなんですよね。

ちなみに先の三権分立の解釈を書けば不合格になります。

日本で陪審員が根付かなかったのはそういうローカルルールを否定することによって近代化を果たしたこのによるからです。
村の掟を侵しても池の中に突っ込まれなくてすみます。
悪くても懲役ですみます。死刑はありえません。

日本のほかって意外と死刑=私刑なんですよね。

某国では正義の味方がやってきてとりあえず何でも殺してくれますよね。
そういう意味では日本は優れた法治国家だったのです。

当時、感情で人を裁くことは悪であるという考えがあったようです。
民事は当事者で解決しろとか言ってたある意味放任主義だった国だとは思えません。
もともと、日本の武家の棟梁とか言われるものは訴訟をうまくこなしていける人の系譜なので当たり前といえば当たり前だけど。この辺を調べてみると面白いです。

何度も言いますけれど私が今まで書いているような国家像をテストで書くと赤点です。

日本でも一時期陪審制が採用されたという話があります。
どうしてかなんとなくそうぞうつきます?
それはものすごく日本人同士の輪が意識された時代ですよね。
別に民主主義がどうこう言われる時代ではありません。たぶん。
正直昔のことなんてわかりませんが、当時の識字率や納税額などを考えると上流階層を取り込むための方便なのかもしれません。当時かかわった人のいったいどれだけが清い心を持っていたのかはわかりませんしね。ちなみに当時は私たちが思っているほど中流階級というものは多くありませんでした。女性の参政権っていつからでしたっけ?


つまるところ人を裁けるのはどの人にとっても平等な基準によってのみ、ただ機械的に人を差別せずに処理的に裁くのが現在理想としている司法の役割らしいです。

これを担うのはかつて戦争を引き起こした政府ではなく、国民から構成に選挙されて選出された完全なる国民の代表が公正に導き出した法律であるというのがこれに続く理屈です。

平等な処遇、それを担えるのはすべての人にとって等距離にある人が作った法律のみというものが根本にあるわけです。



そもそも、何でもかんでもルールで縛らねばならないとか言う発想自体が20世紀に流行した僕の考えた最強世界の設計図とかいう幼稚な発想の延長上にあるものであってどっかの国が失敗したみちじゃないの?世界を最適化する設計図、世界の回答とか言うものがすでにあってそれを見つけるための一本道があるという考えはとても幸せですよね。

そのうち気味に用意された自由はこれだけだというような時代が来るのかもしれません。


とまあ愚痴はこのくらいにして市民感情で人を裁けるすばらしい国が出来上がりつつあります。
いいですね、とりあえず容姿に自信のない人は英語を勉強しておいたほうがいいでしょう。
日本のような逃げ場のない場所でやれるような制度ではありません。


みんなが有罪だというのに一人戦い続ける人は片足を夢の中に突っ込んでいるかのような扱いされるのが日本じゃなかったですかね?

いま児島さんがいたとして、びんらでぃんが日本でつかまって、どうなるのでしょう。
IFの話は歴史ではタブーだとかいう頭の悪い発言というかそもそもこういう話の振りも頭が悪いんですけれどもこれは寓話です。たとえ話です。

世界を守ることも、公正を守ることもそれはそれですばらしいことなのですけれども終極的な目的というものは誰も否定されない世界何じゃなかったの?

昔私が書いた寓話か何かの本だったかで一人一人にそれぞれの世界を用意することによって世界の争いを終わらせた、けれどそこから抜け出た人がその抜け出た先で喧嘩するという話があったようななかったような?何かの本?

手段と目的が違うような。
許せない気も御多を残刑に処すことが目的なんですかね?


簡単に言ってしまえば市民感情というものはもともとあってはならないものなのです。いまの世の中には。特に日本では。誰かの意思を反映することは果たして司法に必要なの?












じかんねぇや、そろそろ寝たい。
今まで書いてきたことは法律の初学者でもかけるないようです。しかも私よりもうまく書ける人がほとんどでしょう。

人は平等であり、同様の罪に対しては同様の罰を、これが現代の刑法というものです。いろいろな原則があるのですが、禁忌とされているもののひとつに特定の属性を持つ人を狙い打つような法律の制定も法律の恣意的な執行もやってはいけないというものがあります。

何でかといわれるとこの世界に生きてはいけない人を生み出すことになるからです。
原初のルールは誰も否定されない世界、ただしこのルールを否定するものは抑制する。というものが基本です。

これはあくまで人同士の現状での至高のルールとされているものです。この条件ならば誰もが納得可能なものですから・・・だと思います。


これとはまた切り離して、国家ごとの富の生産、配分というルールもあります。
マイナスを作らないルールとプラスを作るためのルールは別のものであることくらいは覚えておくといいかもしれません。




では今回の陪審員制度自体に何か意味があるのでしょうか?

結論だけ書くと敵は行政だけではないということです。
特定の人たちを狙い打ちにする法律を立ち上げたがっている人がいまたくさんいるようです。
もしもそういうものができてしまった場合、行政はそういう人たちをしょっ引きます。

それで裁判。
権力を発動してしまっている以上現状では99%有罪です。
悪法でもそれを強制する人がいる以上は法です。

俺のターン、防御可能か?ということが回答になってきます。
違憲立法審査権というものを覚えている方がいるかも知れませんがそれが発動できるのは法廷での局所戦に於いてだけなのです。
恣意的な立法や執行を権利の乱用としてリフレクトする立場に国民をかかわらせるという意味においてこの制度は民主的な制度なのです。国民属性は立法、行政属性の上位属性です。一応。憲法上はそうなっています。そもそも論でもそうなっています。三権は国民の権力の代行者に過ぎないというのがどっかの得ろい人の理論です。

つまるところ気に入らないやつを正義の名の下に惨殺するかそれとも気に入ろうと気に入るまいと平等に処置するのか、という問題の先に司法の場で立法や行政と対面する役割を国民が負わなくてはならなくなっているのです。

今変な方向に向かいつつあるどこかの国を牽制する目的、あるいはその変な方向への歩みを他人のしたことだからという言い訳を国民に許さず関係者にしてしまうための策なのか、はたまた国民の理性に賭けて恣意に恣意をぶつけるための計略なのか判断はつきません。

とりあえずこんなものを持ち出さなければならないほどにこの国が病んでいる可能性が合ったりなかったり私にはわかりません。いつもの妄想です。人任せにできない時代みたいですね、



そういう話は海外では意外と当たり前に考えているのではないですかね?
世の中掲示ドラマの見すぎと思うのは私だけ?真実とかどうでもいいよ自由で平和なら。
変な波風立てないでくださいよ、理想で突っ走る人間はうざいといういい例ですね。
勝手に一人で歩かされて、夢のほうに転ぶか現実に転ぶかちゃんと考えてんですかね?黒幕さんは。

床屋談義 政治編 | コメント:0 | トラックバック:1 |

裁判員制度の話/触れた罪 堕ちる黄泉 ひとり往く夢の汀

先日の記事を簡単に要約すると、そもそも恣意的な法の運用はしてはならないとする近代のルールに反して国民の意思を尊重するという摩訶不思議な現象が起こっているというものです。

根本的な法律のルールからしてみればタブー視されるべきものなのですが、これが自治という観点からすると国民の司法参加すなわち自分たちの中にある問題を自分の手を汚してでも処置するという理念的には歓迎されるべきものなのかもしれません。

これを少数派から観察してみれば、自分を排斥するためにやってくる敵、法廷で合間見える自分を排斥するルールの代行者は国家という支配者層なのか、はたまた自分とは特定の属性を持つこと以外差別されてはならないはずの権力者=一般の国民なのかという問題でしかありません。

これを国民の側から見た場合には排斥すべきか否かを自分の責任の上で判断しなければならなくなるということになります。裁判員というものは国会議員と同様全国民という抽象的概念の代表者として法廷に立ちます。

私の文章を読んでいる人などいないでしょうがもし読んだ方がいらっしゃるなら何か違和感を覚えたことでしょう。

その違和感について、私が意図的に言明を避けていたのは重大事件の定義についてです。



裁判員制度、陪審員制度というもの自体が人の輪すなわちコミュニティの中での自治機能のうちの司法と執行機関の決定機関であるという私の考え方からすると、重大事件というものは殺人のみに限りません。

一般的に訴訟と呼ばれる法廷での戦いについては刑事や民事がよく知られています。
ですが日本ではあまりなじみのないものかもしれませんが訴訟の形態にはこのほか行政争訟というものがあるのです。
これは簡単に言ってしまえば対行政権力の法廷闘争というものです。
フランスだったかにはこの行政争訟専門の裁判所があるくらいです。

この形態の訴訟は民事や刑事と区別することが難しくそれ民事でやれよと裁判所が言うことがあるくらいです。

この訴訟形態自体が問題なのではなく、裁判というものは犯罪者だけではなくそれをつれてくる行政とも対面しなければなりません。

この中で問題となるのは政治側の圧力にどう対処できるのかということになります。

昔、児島惟謙という人は政府の圧力に屈しませんでした。
こういう戦いをしなければならないのは法曹の宿命なのかもしれませんがもともとそういうふうに育てられるんだと思います。詳しくは知りませんが。

そういう苦行を果たして国民というか具体的に名前を持つ一般人が果たして負えるのかどうか。

もしかすると閉鎖空間での戦いでは抗しきれなくなると悟って敢えて人目に付く司法というものを推進したのかもしれません。黒幕さんは。
忍者用語で言うところの陽忍といいます。
人前で暗殺はできないのです。
正義の味方はやってくるかもしれませんけれど。

立法と行政が国民の敵になったとしても図書館は武装して助けてくれそうもありません。

立法と行政による個人への侵略に対して、俺もそいつら気に入らんから吊るし上げだぁと言って賛同して自分のターンが回ってくるのを早めるのか、そういう管理事態に危惧を抱いて侵略自体をリフレクトするのか。

つまるところ、この選択権が用意されたに過ぎません。

どっちを選ぶのかは誰次第なんでしょうね?

少なくともやさしさを示すために凶悪犯罪者予定の被告人を犯罪者だ!!人の痛みを知れとか言ってつるし上げるのやめましょうね、あなたに何がわかるのですか?

現状の司法、死ぬほど殺したいやつがいるのに法律によって理性的に裁かれる制度を勝ち取るために日本だけでなく人類がどれほどの犠牲を払ったか平和ボケした人にはきっとわかりません。

そういう恣意的な司法と言うものは思いのほかこの世界にはいっぱいあるのです。
それがない日本の現状は果たして遅れているのか、進んでいるのか?

いつものように私の世迷いごとです。

人にこんな話すれば基地外扱いされます。

表現の自由万歳!!匿名意見万歳!!!

発言元が割れないからこそできる話。



こういう発言ができる社会を消してしまうかどうかも先の選択にかかっているのです。

重大犯罪というのは人を殺すことだけですか?
その程度のものだけが罪だと考えること自体がすでに終わっています。

重大な事件と言うものの線引きをどこでするのか、今後の見直しや世論による何かへの介入経路が開かれたに過ぎません。

今はまだ切っ先が切れ込んだ、歯が立った状態でしかありません。
それを切り開くかどうかもまた自分たち次第。


社会を変える方法があります。
そのことについて知りたいですか?問いが目の前にあるだけに過ぎません。


そいつをどうするか自分で考えなければならないめんどくさいことなのです。


さ~てこのような変なことばかり言っている危険な人がいます。
危ない人ってんでしょっ引かれます。

ブログ?みんなが言っていることに賛同できない基地外の行いですね、汚らわしい。

とりあえず殺しておきましょう。

そうやって自分とは異質な人たちを排斥していくと最後にはどうなるのか?


ブログを書いているとかミクシィやっているとかいうとこういう扱いを受けるのが少なくとも日本の選挙権を持つ大半の人の考えです。
まずはこの辺が危ないですよ。
第三次産業はものづくりとはみなされません。
どんなに優れたソフトも評価されず、無駄に品質のいいなんに遣えばいいのかわからない金になる形あるものしか産業とは認められない美しい国がこの世のどこかにあるそうです。
異質なものはすべて消してしまうのでとても平和な国だそうです。いいですね、そこにいけばどんな夢もかなうのですか?誰もみな行きたがるようですね。

選挙権の下限の拡大は別に理念的な問題ではなくこういった政策を選択する人のパワーバランスを換えることになります。

もしかするとブログを書く?普通のことじゃん。といって私は無罪になるかもしれませんが・・・このまま洗脳が続けばデジタルネイティブと言う言葉が死語になるかも知れませんね。


許された発言したできない、許された発言しか耳に入れることができない。
予定された能力しか身につかないようではものづくりの国なんてお先真っ暗ですね。
らぷたーのデザインをパクることはできても生み出すことはできない。
パクりまくってればいいのか。

ただそのための視点すらも閉ざしえしまうようなまさにパラダイスができつつあるの・・・かもしれません。



これ自体は最悪のシナリオなのですが、こういう手を打ったと言うことは少なくとも希望はあるからこそ司法制度改革などをしたに違いありません。

どう転ぶのかわからないので時間が解決するのを待つのが一番いいのかも知れません。
とりあえずどうなるのか様子を見るのが一番いいでしょう。

昔えろい人は言いました、自分のしてほしくないことは人にするな。
決して自分がしてほしいことを人にしろとはいっていないのです。
司法参加と言うものは最終的にこの法律おかしくない?と言うところまでいけてこそのものなのです。そこまでいけない状況では立法、行政の恣意に連帯保証人を送ることと変わりありません。LV1では有害なスキルなのかもしれませんがLVがあがって立法行政の政策に問題提起できる程度にまで手続き関与と取り扱い訴訟が広がるとそれはキラースキルになります。ただそれも異質なものをどうでもいいと放っておける容認スキルがなければただの国民独裁でしかありません。
・・・いい落ちが見つからないので本日はこれまで。
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不思議な近況、豊かな日常 1っ執念

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    ;: : ': :l : : : : : : :l : :!ー-、: 、 : : :ヽ _,,.斗く._: : : : : :l::::/ : : : : :/
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    !: :ハ: :! : :'. : : ヽl:ハ. ヽ V以      /イ:.: :./二二⌒ヽ.
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        /    \.〉: l: : /:::::::::l ̄ ヽ〈 l: : : : : : :l  \/`ヽ /  ./:::::〉
       /     ノ_ ノ: : l:´::::::::::::::::!\/ヽ:∨: : : : : : l   ハ__/   /:::::/ ',
     /|     /ー': : : :l:::::::::::::::::::!   l:/: : : : : : : ;   \___ ,...::':::::::/    〉\_
.     | ヽ、___f´_ノ |: : : :l: l::::::::::::::::::l   /l : : : : l : /  ┌ ∨:::::::__/    /!:::/
パンツは見せてあげませんよーだ


つまり今の私には何かが憑いているような気がするんだ。



5月25日午後、九州に住むdさん宅で小型の鏡二枚が割れていることが明らかになった。
本人の調べによると割れていた二枚の鏡は同氏の所有にかかるガラス鏡でありこれ以外に割れずに残っていたのは以前買った歪んだアクリル鏡だけだったと言う。なお、同居人の鏡には何の影響もなかった。

ガラスの鏡はアクリル鏡に比べて割れやすいと言う難点があるが本件で割れた鏡はいずれもプラスチック製のケースや枠に収められており簡単には割れない構造のものであった。
強い衝撃、あるいはこの二ヶ月で急激に6キロ増えた体重による強度の圧力によって割られたような記憶はないかと捜査を進めているものの思い当たる節はないとして本人は否認している。

専門家の話によると5月25日は同氏にとって因縁の深い日であり、同氏が勝手に嫁嫁とのたまっている幽霊の誕生日であった。ちなみに命日は明らかにされていないと言う。

その専門家が何を言っているのかはわからないが一年前の同日には原付で走行中に突然ライトが破裂すると言う事態に見舞われ、そこを運悪く警察に見つかり切符を切られたと言う経緯がある。

また一年前はこのブログをはじめようと発作的に思い立った時期でもあった。



と言うことで一周年。


こんなに迷走するとは思っても見なかった。


今日はいろいろあると言うことで雑記形式。

●その一

iBasso P3+リリース

なんかすごいですね、付属のオペアンプの種類が。
これどうやって使えばいいんでしょうか?

こういうオペアンプをばらばらに集めるよりはここでいっぺんに手に入れることができると言うだけで5000円くらいの価値はあるんじゃないんでしょうか。

それで基本性能については以前のP3の改修機と考えていいのかな?あまり興味がなかったので調べてないんですけれどもどうなんでしょう。

相変わらず充電機能の記載がないと言うところを考えると充電機能はないと言うことなんでしょう。

私が求めていたのはポタアンではなくてサウンドデバイスですので純粋なアンプにはあまり興味がありません。
現状ではD10とImagex10のコンビですべて満ち足りているような気がするのであまり食指がわかないという感じです・・・ほんとだよ。

オペアンプがD10に流用できればなぁとは思ったんですけれども調べてみるとほとんどが±5v以上の駆動でD10じゃ使えなさそうなものばかりですね。


どうしよう。

この多機能で199ドルと言うものはかなり破格のプライスなのかもしれないけれど・・・なんでこういうときに限ってこういうもん出るかな・・・二日前に知っていれば電子辞書かわずにこっち買ったのに・・・なんと間の悪い・・・なんと間の悪い・・・鏡買ったばっかだよ・・・なんと間の悪い・・・あれ?・・・定額給付金今日振り込まれたみたいだ・・・時計もそろえとこうとか思っていたのに・・・



どうしよう。


・・・様子見か・・・

アンプに四五万出せるほどに狂えていないのでほかのものにも手を出そうとか思っていないのですけれども199ドルというのもこれまた微妙なお値段で、ただ二万使うのならPCの液晶を変えようよと思う。

と言うことでスルーを決定した。
やっぱりサウンドデバイスじゃなければ自分的には買った気になれないのでいいや。


今お金ないんですよね。スピーカーほしい、というか作りたい。小型で使いやすくて点音源に近いやつ。

モノラルスピーカー万歳!!とか言っている人の気持ちがなんとなく分かるような気がし始めてきた。二つの音で一つの音を作るのって南下不自然じゃない?と思うときが近頃多々あるのです。安物のスピーカー使ったときにそんなことを思い始めた。


ということでここはいろいろと妄想することでネタにするにとどめておきましょう。

推理スタート。
今回の写真について思うのはイヤホンが一緒に出ているのって初めてじゃないんですかね?
某所であがっていた写真と言うかレポートと言うかではibassoではkh651(←何かいろいろ混ざってる)とかのヘッドホンが音あわせに使われているように言われていましたが今回は10Proが一緒に写っていますね。

これは10Proが標準と言うことを示しているのか?

と言うことで主流に属せない自分のような人間にとっては無用な長物なのではないだろうか?

このほかググって見たところこれ自体は827と634が正解の音だとか言われそうなんですがどうなんでしょう?

市場の要求に見合ったいい製品だとは思います。

電源については単四6本と言うことですが使用しているオペアンプのラインナップからしてみるともしかしたらエネループ(1.2V)でも駆動可能かもしれません。たとえエネループを使ったとしてもD10の4.2Vよりはいい電圧なんですよね。D10は何で5Vにしなかったんだろうかなぁとか昔考えました。
バッテリの交換だけでもかなり違った可能性の開ける名機になり損ねたような気がします。

以下にまとめると、

・電源は9Vくらいまで可能(多くのオペアンプを駆動できる)ので可能性は無限大(言いすぎ)
・ACアダプターによるセミデスクトップアンプとして使用可能。
・交換用のケースが付属(使える色は銀もしくは黒写真を見る限りにおいてはD10のようにつやぴかではなくきちんと表面加工しているもの?)
・ばらばらに手に入れるには多少骨の折れる定番オペアンプつき

簡単に言えば、このP3+を買えばスパイラルを少し上った人と同じ環境が手に入れられるというものですね。
ポタアンレベル1からはじめるのではなくいきなり3ぐらいからはじめられるいいキットだと思います。

これで二万ちょいか・・・いままでの苦しみはいったいなんだったのか・・・と思う方も少なくないはず。

ある意味結果の見えた機種ですので売れるだろうなぁ・・・

これは本当に妄想なんですけれども写真に10proを持ってくるあたりがなかなかににくい演出です。
D10を買った時には商売っ気がないと言うか、顧客に対するおもてなしと言うものがまだまだできているなぁと思ったんですが、こういった苦しみをある程度メーカー側の配慮によって軽減してくれる態度には前途有望な未来が待っているに違いありません。

商品て言うのは売って終わりじゃなくてそれをお客さんが使って固定客がつく=顧客になるところまで見通しをつけなくてはいけないと思います。こういったオペアンプをたくさんつけるとかケーブルをつけると言うこと自体は必ずしもいい行為とはみなされません。
コストがかかるからです。

けれどコストコスト言って重要な部品を削りまくると強度問題が出てきます。
これをまた悪路バティック設計によって解決しようとする・・・日本の悪い癖だと思います。宇宙開発が技術的にうまくいかないのはこの辺に問題があるのだと思います。

性能自体はたいしたことなくてもこういった付属品がしっかりしているために能力をフルに生かしきれている商品はいい商品です。
これに対して粗悪な付属品のせいでポテンシャルが発揮できずにただ高いだけで損した気分になる商品も確かに存在します。

P3+はいったいどっちなのか?

非常に興味深いネタではありますが今の自分にはお金が・・・

と言うことで付属のオペアンプだけでもかなり優秀なものがそろっているのでこれ以上に何かを買い足さなければならないと言うこともないでしょう。
そういうことを考えれば電池やケーブル込みでも大体3万円くらいには収まるいいアンプになることは間違いないようです。



●その二
鏡を買った。

http://iworkjp.com/stdm-simple50w/index.htm

これ。
7200円と言うと素直に少しいい店で買ったほうがいいのかもしれないとか思ったんですけれども少なくとも近所にないんですよね。家具屋さん。
商店街の家具屋さんはもうなくなってしまっていてショックだった。

巷にあふれている、と言うよりも今入手可能な家具なんかは大体どこでも同じものなんですよね。
そもそも私たちが店舗でこういった家具を買おうとする場合には大体が大手量販店、大型商業施設とかホームセンターとか鈍器のようなよくわからない店だったり。

売り手が限られると言う場合にはそういう限られた顧客を勝ち取る機会も少なく勝ちを収める業者もまた限られてくるのです。

ぶっちゃけどこで買おうとも似たような製品しか手に入れることはできません。

そういうものは主流になっているのですがそれは買い手に選ばれて主流になったと言うわけではなく売り手側の都合によって主流になったに過ぎないのです。

経済の理論ではこういう粗悪品は科学技術の進歩によってやすくてもいい製品に駆逐されていくはずなんですけれどね。理論とは抽出されたものであって現実そのものではありません。紅茶から茶葉は練成できないのです。紅茶を粉末にしたものを紅茶の葉というふうに名づけるともう概念で現実を方押ししたようなものなのです。


けれどね、たまーにいい商品と言うものは出てくるもんなんですよね。
本当にまれに、一回こっきりの入荷で。
そういうのみつけると悦に浸ることができます。


とまあ、こういうのはあくまでもレアなケースであり普通はこういう質の悪い量産品をつかまされるしかないのです。これは通信販売の場合にも似たようなことがいえます。
アマゾンで同じようなもの買おうとするとかなりの確立でまた同じようなアクリル鏡をつかまされたことでしょう。



同じお金でも人によってそのパワーが違うと以前書きましたが大体このような感じですね。
これは中間マージンを省くとかそういう問題ではないのです。中間マージンを省いて喜ぶのは第一に売り手なのです。今のような薄利多売の世の中では特にね。

最近少し高くても期待にこたえてくれるものを買おうと言う考えが強くなった。
年かな?

こういうことを考え出すと一万二千円握り締めてこれでいったい何ができるのか、麻生首相はこういうなぞ賭けをしたかったのかもしれません。とか思うわけです。


同じ額でも買えるものの質が違う世界。

なかなかに深い世界ですね。
調べるスキルがなければお金も有効に使えない危険な世界。それは果たしていい世界なのだろうか。



とへんな前振りはさておき今回買った鏡はとてもイイ!!
厳しい目で見れば少し波打っていますがこの大きさでこのお値段ならば納得ですね。
お得感のほうがはるかに勝ります。

鏡の質について。
いい鏡ですがそれでもまだ昔のものでもきちんとした鏡には及ばないと言うところがあります。
それはやはり完全な平面ではないと言うところですね。
自分の顔などの一部分を見る分には何の問題もないのですがそこから視線をはずして景色を見ようと思うと本当にわずかなんですけれども波打っている感じがします。

大きいものですから仕方ないのかもしれませんが、波打つと言うよりもたわんでいると言ったほうがいいのかもしれません。

一方で色味や輪郭については新しいほうが勝っているように感じられます。
方や新品、方や35年ものと言うことを考えれば仕方がないのかもしれませんがこの鏡のほうがものが立体的に見えます。
何かくっきりしすぎていて気持ち悪いように思えますが時を経てエージングされた鏡は独特のやさしさを持っています。この辺は好みの問題ですので実物を見たほうがいいかもしれません。
通販だから見ることはできないんですけれどもね。

昔廃棄処分にするといっていた鏡をもらって繰ればよかったと今でも悔やんでいます。
あれ、普通に中古業者さんに売るだけでも何万もしたのかもしれないのに・・・もったいない。


鏡自体の質もさることながらこの木枠もまたいい感じをかもし出しています。
使われている木材はよくあるパインではなく普通の木です。
普通の木とかいわれてもわからないかもしれませんが私もなんと表現すればいいのかわかりません。
スプルス?木目自体は細かいほうですが、安物にありがちなべたべたの塗料で雰囲気ぶち壊しになるような粗いニス塗りはされていません。
薄く適度に塗られており子の慎ましやかさに好感が持てます。

もともと木枠が邪魔だなぁと思って沸くのできるだけ少ない、ないのが理想、のものを探していたのですが値段との折り合いがつかなかったので木枠が大きくても大きいものならいいやと言うことになりました。

始めは邪魔にしか思っていなかった木枠なのですがこの木枠に触れるにいたり、こちらのほうがインテリアとしての主役ではないかと思えてきます。
遠めで見ると色合いがとてもよく落ち着いていて良質の木を感じさせてくれるんですよね。
さわり心地もなかなかですし。
部屋の壁紙が白いのでこういう落ち着いた濃い目の色は部屋の中を引き締めるいいアクセントになってくれています。

さて次に問題なのはスタンドについてです。
安定性確保のためか足の幅がほぼ鏡の横幅くらいにあります。
さらに安物にありがちなチェーンで引っ掛けて足の角度を固定するようなちゃちなつくりではなく、きっちりと間接つき金具で固定できるようになっています。
しっかりと固定されており角度調節も容易です。
こいつ簡単に倒れるような弾ではありません。




なんというか、死角がない。

久しぶりに日本製品を『ほめてあげてもいいよ』とか不遜なことを思った。
単純にいいだけの鏡ならどこかを探せばあるのかもしれませんがこういった部屋の中におくと言うことを考えた付属品にこだわりをもてると言うことはやはりすばらしい。
決して何か特別な彫刻が施されているとか、銘木を使っていると言うわけではないんですけれども、こういう商品への一途なこだわりが感じられる品は珍しいです。これはいい品だ。

と言うのは私が勝手に思っているだけなのかもしれませんがもしかしたらこういうのもすべて計算で少しコストはかさむけれども最安のものよりはこぎれいで見た目のよい木を使ったのかもしれません。
小うるさいお客が安定が悪いとクレームをつけてくるかもしれませんからいい足をつけただけかもしれません。

こういった計算はむしろドンと来い、こすいわけではなく、こういった使い手を上手に化かそうとする商売根性こそが日本の粋という文化なのかも知れません。


とか書いてみたんですが木材調べてみるといいものはピアノとかにも使われる木材らしいです。
これは間違いなくこだわりですね。

何だろう久しぶりにいい買い物をした。D10以来ですね。こんなに気分が高揚しているのは。
なんかもううれしくてうれしくて鏡をちらちら見ながらこの記事書いています。
自分のいいものと言うのはやはりうれしい。


今二つの鏡を並べているのですがとてもじゃないけれど同じ世界写しているものとは思えません。
なんか片方は異次元ですもんね・・・嫁が写らないかな・・・と丑三つ時まで待ってみる、テスト・・・




ここで個人的な小話。
今回なぜこういう大きな鏡を買ったのかと言うと自分が今どんなふうに人から見られているのかと言うことに興味を持ったからです。
この一ヶ月で自覚したのは自分がとことん腐っていると言うことです。

心のうちはどうでもいいんですけれどもせめて見た目だけは何とかしなければならないだろうと思って大きな鏡と言うものに手を出してみました。

これには昔やってた空手の影響があるのかも知れません。

空手やってるときには鏡を見て自分の姿を確認しながら方の練習をします。
方と言うものは上半身だけではなく下半身のつま先から何からすべてを確認しながら自分を魅せる為に自分を把握する作業を経るわけです。

これは越えだしのときにもやってはいたのですが、やはり個人としてやる分には気合の入り方が違ってきます。逃げも隠れもできないものですからね。

そういうわけで今はまだ昔の経験をなぞっているだけなのですがかなり効果があるみたいです。
鏡の中の自分を見ながらいろんなところを修正していく。
自分の体だからじろじろ見ようがかまいません。

こういうふうに見ているとやはり他人に対してもいろいろな見方ができるようになってきます。
これはあくまでも推測の域を出ないものなのですがいろいろな情報を得ることができ、またそういうクッションをおいて人をみることができるために少しの余裕を持てるような気がします。

また音読のおかげで活舌もよくなってきました。
まだしゃべり方に癖があるのですがこれもおいおい修正していければと思います。




一周年というのに特に何もない記念日。


そういうことで記念にP3+を・・・ぽちりません。Promotion. Free iPod LOD?なんてこった・・・
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ケーブルのお話/iBasso D10 Cobra

なんかここのところ自分が危ない人だと自覚せざるを得ない文章ばかり書いてきたのでここらで普通の記事を書こうとかそう思った。

ということで光デジタルケーブルごとの音の違いについての記事になります。



それで今回のお題となるケーブルはこちら。
IMG_12642.jpg
CHOSEAL秋葉原と言うシリーズのYF-3103と言う型番のものです。

CHOSEALと言うとどこかで聞いたことあるなぁと思ってググって見るとこのブログのD10の記事が出てきます。2ページあたりに。

CHOSEALというのはD10についてきたケーブルのメーカーさん?です。

たぶん。

ともかくもこれ2mある上にそれなりにしっかりしているケーブルなのでこの剛性だけでもかなりお買い得感があります。
これで送料込み3000円くらい。屋不億で落としました。
三千円とは思えないほどに豪勢なつくりなのも魅力です・・・ごめんなさい。

発送は上海からで運良く6日で届きました。
出品者さんには感謝です。
ここで宣伝です。



ではYF-3103の詳細について。
外装については黒のメッシュが張り巡らされておりなんだか編みタイツのようです。
その中に通る白い筋。オレンジ色の皮膜。
なんだか危険を示しているみたいです。

シェルについては24金メッキ?よくわかりませんが24k鍍金と書いています。プラグのほう?
ちなみにこのシェル分解できます。交換用のパーツを入手もしくはほかの安物ケーブルから剥き採ることができたら丸端子にも繋ぐことができるかもしれません。
シェルはブロンズを思わせる渋いメタル素材。ぽたあんもこういうデザインだけなら皮だけでも買っていいなぁと思います。高いんでしょうかね、こういう加工は。

持ってみた感じなのですがとても軽いです。
今までこのように太くて長いケーブルと言えば線材も太くて重く癖も強いと思いがちなのですがなかなかに柔軟でタフさを感じさせます。

Image061.jpg

画質は悪いですが携帯のシャメのほうが質感が伝わるかと思います。

渋くてかっこいい。


この辺のデザインはいい感じの中国チックでなんかいいですね。期待に胸膨らませると残念な結果になるのかも知れませんが3000円と言うことを考えればかどの期待は禁物です。

でもかっこいい。



●音質について

さて音質を語る前に、このケーブルの構造についての説明になります。

このケーブルは多芯構造となっており私の目が確認できる限りでは6本の芯があります。もしかしたら本当は七本で一本だけ死んでいるのかもしれませんがそれでも3000円で普通に買えるケーブルが芯一本のものであることを考えるとなんとなくお得感があります。

このような構造もあいまってとても信頼性というものは高いように感じます。
一本芯のときは恐る恐る扱うことが当たり前なのかもしれませんが多芯だから少し乱暴に扱ってもいいかな?とか思ってみたり。だめ?

このケーブルを買った目的がベッドまでケーブルを引くことにありますので多少のことではびくともしないような安心感が与えられるのはありがたいことだと思います。

柔軟なんですけれども太さがあるので思いのほかすっと伸びています。変な癖はついているにはついてますがあまり気になりません。


低価格なのに多芯ということは芯の一本一本は質の悪いもなんじゃないのか?と思うのですが実際にはこの多芯による信号伝送におけるタフさのほうが音質に大きな影響を与えているものと思われます。



比較対照はオーテクの黄色いグリップのついたケーブルです。これ自体は確か1100円くらいだったと思うのでランク的にはひとつ違うものになるのかも知れませんがケーブルに千円をかけるか否かでどれほどの差が出るのかと言う実験結果だと思うと土つぼにはまれます。

環境はいつものD10環境です。使用はImagex10.

一聴して感じるのは音の密度の変化です。
Imagex10自体が基本的に解像度、音のドットピッチとでも言うべきものが非常に細かく普通に聴いた感じでは解像度の低いもののように感じることのある癖のある機種なのですが(スケーリングではなく整数倍したような画像をイメージするとわかりやすいかもしれません)、音源が多彩になればそれに答えられるだけのポテンシャルを持っており相応に演じきれるという特性がとてもよくわかるケースになります。

とても高密度で描写が繊細になります。と言っても弱々しくなるというものではありません。

密度が高くなるということは必ずしも音圧が強くなると言う意味合いではなく画素数が多くなると理解したほうがいいのかもしれません。

色彩豊かになるということは残念ながらなかったのですがいやに細かい音の描写が可能になっています。

このような印象を持った理由としてはサ行のしぶきやマイクのノイズの音の粒一つ一つまで詳細に描写している上にその向こうにもうすでに次の音のための口角の動きや音の始まりが生まれているところを感じたときです。
決してクリアーになると言う類のものではないのですがこういう細かなところで差が出てきます。


耳が慣れてくると感じるのは音のスムーズさです。
これは粒が細かくなったのと関連しているものと思われます。自分がいいと思っていたオーテクノケーブルですらもざらついた音なのだと思い知るほどに流れるような表現になります。この辺は環境などと関連もありますが富士パーツさんところの丸角ケーブルとも似たような質感になってきます。ただこちらの方は中央音源以外が今ひとつな感じがあるので総合力では2000円の差を感じることとなります。この辺は好き好きだともいます。

さらにこのような密度が差をつけてくるのが音の濃淡です。細かい音はさることながら迫力を要求されるような場合においても音の薄さによる不満を感じさせることがなくなります。Imagex10の性質として低音が沈み込んでアッパーを狙ってくるような表現ができないのですがそれとはまた違った質の低音を聴く事ができます。また低音に関しては硬い音まで表現できるようになりますのでさらに表現の幅が広がります。これはD10の変化かImagex10のポテンシャルが発揮されたのか、とにかくうれしい限りです。

さて、このケーブルを使うことによって特に水を得た魚のようになったソースがあります。それは英語のリスニングCDです。これと言って音に手を加えているわけではないので単に声を聞くだけでも面白いです。



●まとめとして
3000円のYF-3103はそのほかの1000円前後のケーブルに比べて明確な差があると言えます。
これは確かに音質面での向上と言う意味があるのですが日本の一般的な市場においてはなかなか丈夫なケーブルを手に入れられないと言うことを考えるとその堅牢さにお金を出すことのほうが意味があると思います。
まだ届いて間もないので最終的な品質の評価を下すにはまだ早いのですが、3000円でこのケーブルであれば神経質にならずに気軽にしかも高音質が楽しめると言う点で買う価値があるものだと思います。

D10ユーザーとしては確かに粗い扱いをするのならばUSBのほうがケーブルが曲がっても何の問題もないしケーブルによる音の変化も小さいのでこちらを使えよと言うこともあるのですが、私はどうしてもUSBの上品な音には慣れることができずにいます。
そういうわけでどうせ消耗品、とおもいながら今回の賭けとも言える突貫に踏み切ったのですが予想をいい意味で裏切る結果になってくれて満足です。
製品と言うものは性能だけではないと言ういい例です。
見事に私の要望を抑えてくれました。

少し裏話をしますと少し名のあるケーブル、と言ってもこれも破格の低価格光ケーブルなのですが、を手に入れて一度失敗したという苦い経験がありやや疑心暗鬼になりつつあったのですがYF-3103のおかげでまた新たなスパイラルが始まるかもしれません。

そんなことなら据え置き買えばいいのにとは思うのですが最近はD10にオーテクのパッシブスピーカーをつけた音が気に入り始めているので・・・秋月のキットにでも手を出してみようかな。

とにかくYF-3103は買って損はないと思います。私も石英ケーブルと言うか高級そうなケーブルはダイナミックオーディオさんで差し替えさせていただいたとき以来なのでよく覚えていません。
その実力がどのくらいのランクに位置しているものかはわかりませんが高級ケーブルのやや下に位置するミドルクラスの優秀なケ-ブルではないでしょうか。
ミドルエンドとはいえないかもしれませんが安物ケーブルにはもう飽きた、けれど一万越えのケーブルはちょっと・・・と言う私のような人にはクリティカルな位置を確立できているような気がします。

これでようやく8000円のケーブルへの道が開かれたようです・・・・あれ?
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ワンコインで買える幸せ、プライスレス。プラス手間賃。

愛と青春の旅立ちとか見てみたいですね。トップがんとかもう一回みたい。スタンドバイミーも。
レンタルビデオなんかは結構好きでよく借りてきますがやはり再生環境がしっかりしてなければ楽しさも半減です。

これは必ずしもいいものを買えと言っているわけではありません。
景気対策にに反抗する悪い人の書き込みですので気にしないでください。

資金と言うものはかなり厄介なもので時と場合によって同じ金額でも持つ力が変わってくるものです。
それに加えて単純にお金を書ければいいというものばかりではないのが困ったところです。
お金を生かすのは知識なのです。
とかいうと貧乏人の僻みですね。


まあとりあえず細やかな部分にお金をかけることは基地外の沙汰と言われることがほとんどですので違いのわかるやつと言う自意識を満足させるだけでも面白いものです。

これはケーブルの話なのですがちょっと横道にそれるとプラズマテレビの音が悪いと苦情が出たんで設定をいろいろ変えてかまぼこに設定しなおしてきました。
低音が高温がと言うのは特定のたとえば音楽とかを楽しむにはいいものなのかもしれませんがテレビの用途と言うものは必ずしもそれだけではありませんよね。
ニュースやドキュメンタリーとか動物ものとか美の巨人とかはナレーションを聴く事が楽しいものなのですから力強い低音なんかは返って邪魔にしかならないこともあるのです。
けれど不思議なことにHDDレコーダーを通すと音は派手ながらも中音域はきれいに聞こえてくるんですよね。これは品質差なのかもしれませんがもしかしたら時代による水準の変化なのかもしれません。

これはお金を賭けなくても少しの手間で生活が豊かになるといういい霊なんだと思うのですが、世の中こういった調整が聴くものばかりではありません。




前置きはこれくらいにして今回GX-D90に使用しているケーブルを変えてみようとふと思い立ちました。
本当は電球を買いに言ってオーディオコーナーにいってみたらスピーカーケーブルが数百円で売っていたのでちょっと試してみようかなと思っただけです。

それで今回買ったのは一メートル240円の一番安いものを買いました。
一番高いものでもデノンの銀コーティングケーブルで1470円でした。
これを買ってみるのもよかったんですけれども今回は安くても効果はあるんかいな?と言う疑問を持ったので一番安いものを買ってみました。
またGX-D90はアクティブスピーカーですので片方を強化してもあまり意味のないものではないのかなと思ったこともあります。

まあともかくもケーブルのかわいさとか言うふざけた考えからしてみると一番安くてもいいかなと買ってみただけです。多分切り売りするレベルのものであれば銀か銅かの区別しか自分にはつかないだろうからどうでもいいと思いました。

それでつくって見たのがこのケーブル。ケーブル

うーむ携帯ではあまりきれいに撮れませんね。
中央にあるのはMX518です。
MX510はつくりがしっかりしていて操作にメリハリがあるのが特徴ですが518のほうはソフトタッチです。
MX518はかなりチープになってしまった観がぬぐえませんが夜間使用に関してはなかなかいいです。手触りも良好なのですがこのMX51x系は長年使っているためなのかデザインが自分の手にものすごくあっていて扱いやすいです。また中指での操作が豊富と言うのも魅力なのですが別のときに詳しく書きましょう。ワイヤードのほうがいいです。古い人間だなぁ。

●それではケーブルの話です。
使用したのはオーテクのケーブルAT6157とレシートに記載がありますがサイズ違わなくないかな?それからコネクタにはカナレのF10です。これは昔SE-U55SXに使っていたケーブルからの流用です。
半田はサウンドハウスさんから買った切り売りの銀半田です。ALLPARTS JAPAN Silver Handa。

●結論。
お値段以上それ以上。
材料費と言うか半田ゴテも合わせて買っても2000円札でおつりがくるでしょうが2000円だとしても安いですねこの変化は・・・今まで何をしていたんでしょうか私は・・・と少なからず後悔というか笑いが漏れました。

ところでGX-D90のトーンコントロールなんですけれども高音低音ともにすべて効かないようにしています。左に振り切っている状態です。ケーブルでここまで変わってくれるんならばもうD90でスパイラル打ち切りにしてもいいんじゃないかな。
D10環境との比較は単純にはできないんですけれどもD90はこれはこれで完成している万能選手なきがします。

これ以上を望むならもうアンプとパッシブスピーカーに手を出すしかないのかもしれませんね。鎌ベイアンプと何か適当な安物スピーカーのほうがいいのかもしれません。
今必要としている環境を考えるとスピーカーは自作になると思いますが。

●付属ケーブルとの比較について。
付属ケーブルは安物にありがちなカリカリクリアの音です。
基本的には私の嫌いな音なのですがD90はやや音の重心が低く、それでいてしっかりとした声の演じ分けができていると言う意味で私好みの音でした。さらに武器になるのは中央音源の強さでした。まるでディスプレイから声が聞こえるかのような音像感はほかのものには変えられない魅力があります。完璧ではありませんが不満はあまりないものでした。

そしてこれを自作のケーブルに変えてみることでカリカリクリアがしっかりとした肉を纏うようになります。
元の音の面影が芯になりそれに肉付けが行われているためになかなかにバランスのいい音になります。
中央音源は肉を纏うことによってやや点がぼけるようになってしまいましたがむしろこちらのほうが自然な音なのかもしれません。
肉を纏うのですが分離もなかなかによくなりますので見通しは増します。

いろいろと言葉を尽くすことはできるのかも知れませんがこれはいいものですね。
安くてもそれなりに価値のある買い物だったと思います。
ケーブルに少しのお金を賭けるということでも今のような大きな変化があるものらしいです。
こういった少しの手間をかけると言うことを心がけてみたいですね。


この音の変化がうれしくて久しぶりにスピーカーで音楽を聴きながら寝入ってしまいました。

ただこういういい向上が見えているとさらに気になる点が出てきます。
高温が耳に痛いとか、ポータブル環境でもこのくらいのスピーカーがほしいとか、・・・とりあえず鎌ベイアンプから始めるのか?今どのくらいなんでしょうか?またまた世界が動き出します。

書き終わってからこの広告が出てきた。
http://www.dealsniper.com/en/home/iphone-3g/accessories/cases-and-protector/darius-series.html?utm_source=local&utm_medium=banner&utm_campaign=dariusbanner?src=aw¤cy=USD&gclid=CJvBwIGz5JoCFZcwpAod93pdBA

なんかいいですねこういうのも。必要なものではないんでしょうけれどもこういうアクセントはつけてみたいです。

最近色物役しか聞いていなかった声優さんの声を久しぶりに聞きましたがいいですね。やはりこの人の声というか演技がいいですね。ネットラジオで七変化と言うか百面相だったかをきいたときにこの人すげぇとか思っていたんですがいい声もそれを使いこなさなければよく見せることはできません。

いいものとは何かと言われてお客さんのニーズをすべて満たすものだと言う回答は陳腐ですがよく言われているものです。けれどもほしがっているものを与えると言うものは簡単ですしお客さんの予算を動かすことはできません。

千円でいいyo!!と言っているお客さんから1100円を引き出すのは何か?要求を満たすだけならば1000円しか稼げないんですよね。もしかすると1000円すらも危ういかもしれません。

正直機能だけのものって面白みがないと言うか機能だけを提供すると言うことは無責任と言うことにもなりかねませんが、何よりも誇りがありませんね。

つまるところ提供する側がお客さんをどのように動かしたいのか。
そこまで考えて提供する必要があります。これは営業の仕事だけではないのです。

声のお仕事と言うものは一朝一夕にできるものではありません。ほかのお仕事でも同じこと。積み重ねが大事なのです。と言うことを自分に言い聞かせる。そんなごみゼロの日のこと。
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五月も終わり

本当に何もないままに終わってしまいそうですね。
うまいこと力が抜けたと言うことが一番の拾い物だとは思いますがそのほかにもいろいろと環境を整えるすべを得ることができたことが最もいい取得スキルだと思います。


<<陣地構築スキルを手に入れた!!>>


外に出たくないよう。


地水火風光という四台元素プラス光と言う概念がありますがこれはファンタジー世界から出たものと大体の人は思うのかもしれませんが思いのほかまじめな意味がこの中には込められているのです。

これは宗教的な意味と言うよりももっと現実的なご利益的な意味においてです。

都市計画という意味においてかなり重要視されていたものでもあるのです。
宗教が先の五大要素を用いて為政者を指導していたと言うものではありません、私が勝手に結び付けているだけです。しかしフランス革命後のパリの都市整理においては風と光と言うものが意識されていたと言うことらしいです。詳しく誰がどうしたと言うことは知りませんがそういうことがあったらしいです。

地というものは地盤ですね、もしくは平野あるいは地政学的なものとでも言いましょうか。今栄えている都市と言うものは大体が歴史的に見てかなり古いところばかりではないでしょうか。
福岡市にしてもそうですしね。最低でも江戸時代のいつごろかからに単を発すると言うものがほとんどではないんでしょうか。
当時としては交通システムと言うものを構築することが難しくおのずから開けた道を前提にして都市計画を作っていたことは明らかです。今栄えている都市と言うものはそういった昔の人たちが何とか栄えることができる場所はないかということを苦心の末に見つけ出した結果だとも言えるのです。

水と言うものは都市が成立するには不可欠なものであると言うこともう特にいう必要もないかと思われます。人を生かすには水がなければなりません。さらに生産力と言う点においても治水と言う技術は必要なものでした。さらにさらに物流の経路としても水利は欠かせないものでありました。
最近はこれに航空機とかが加わってきていますがとりあえず大量輸送という点においてはいまだに船と言うものの存在は欠かすことができないものなのです。
私が時々書きますが最終製品として人が手に入れる物量が少なくなる、たとえば自動車を買う人が少なくなると言うことはそういう自動車、あるいはその部品、原材料を運ぶための運搬機関も縮小することになります。ですので船などの重工業あるいはその原料となる鉱工業も縮小すると言う流れになります。
最近ではこういうインフラが錯綜してかえって混乱を招くようになることが多いらしいですがね、どこかの世界最大の港とかのたまっているところは、そういうのは購買者があることがまず第一であり、それに大量輸送というものは遠隔地に対して大量に運ぶと言うことにおいてその真価が発揮されるものです。そんなもん作るくらいなら鉄道作ったほうがましということのほうがあるようですね。空港も似たようなもん。
報道では目標達成とか言っていますが資金の返済とか言う長期スパンで物事を考えたときにそれは果たして好調と言えるのかと言う視点も持っておくといいのかもしれません。

火というとたいていの場合には大火にどう対応するのかと言うものになります。
大火だけではなく都市と言うものは国全体に対して心臓のような役割を担っていますのでこれが少しでも停滞することになるととんでもないことになりますよ。
先にも言っているように最終製品が購買者の手に渡るのは都市での割合が圧倒的に高いと言うのは疑いようもない事実ですからね。市場がなくなると言うことはこういうものを作って供給している人たちの仕事がなくなるということになるのです。復興に資金周りが存在するとかいう反論もあるのかもしれませんがそれまでに失った期間の売上高をチャラにできるほどかどうかは疑問です。

もしかしたらこの世界を作り変えなければならないとか言うやつらならばこういうことやるかもしれませんけれどね。
こういうことするくらいなら政治能力の高い首長一人を放り込んで少しずつ都市改良させるほうが問題点とそれに対するログを取れますのでほかのケースにも適用できて効率的だと思いますけれどね。どうでもいいことですが。


それで最後に風と光です。
これは風光明媚ということばに代表されるように都市を明るくさせ、人を呼び込むと言う効果が期待されているものなのです。

都市がきれいで清潔ならばきっといいことがあるに違いありませんからね。

と言うのは頭の中が幸せな人たちの理論であってこういうやんだ人たちの頭の中に風と光を通すことで病を吹き飛ばすことが期待されているのです。

基本的にこれは疫病などの病魔に対することが期待されています。
中、近世ではこういう機能だけでもよかったのですが現代ではさらに夜間の経済活動を保障するという役割を持ています。
夜間でも明るく殺人鬼もはいかいしていないような都市だからこそ夜遅くなっても飲み屋とかで騒いでいられるわけですね。
風紀を粛清するとかいってこういうものを禁止してしまえば日本の経済はほとんど立ち行かなくなると言ってもいいんではないんでしょうか。
人間の活動時間を長く取りそれによって消耗したところに病魔を率いこまないと言う意味合いが強いのです。

最近では駆動時間が長くなった結果別の問題が出てきているのかも知れませんがね。




それで今回の本題です。
こういうものは属性的なものですね。
属性防御を持っていればいいのですがそれは必ずしも都市ごとに決定されるのではなく人ごとに決定されているものなのです。

毎年このくらいの時期に献血に言っているのですが白血球の上昇率が半端ね絵です。これに加えて赤血球も。

抵抗力は上がってきているみたいです。

最近はやっている病魔さんは攻撃力自体はたいしたことはないようです。
それでも属性的に耐性を持っていない人にとってはクリティカルヒットになるらしいですね。
属性を持っていなければ装備品で属性付加すればいいものなんですけれどもこういうのを用意できない人もいるわけなのです。

この病は10年後の教科書化なんかではどのように書かれているのでしょうかね。
ペストが貴賎をとわない猛威を振るったということにたいして貧者の病と紹介されているのかもしれません。

いわゆる都市機能というものはそこに住まうものすべてに対する地形効果と言うものが付加されるもののなのです。理想論としてはね。昔で言うところの産土神というものです。そういう機能がなくなり始めている原因はいくつかありますがあまりよくない理由で都市とそのほかの区別がつかない時代になっているのではないかなと思えました。
何もない一ヶ月 | コメント:1 | トラックバック:0 |

ポータブルスピーカー探訪 理想は両手のひらに収まる程度

鎌ベイアンプ売っていませんね。
国内で簡単に手に入るものですとMA-500U(S)と言うものがあるみたいです。

PC用でしかもDACつきと言うことを考えると結構お得感がありますけれど・・・七年前の製品ですかそうですか・・・

鎌ベイアンプはヤフオクにはまだのこっいるようですがこういう改造や無理な使い方をされていたと想定されるものに対してはあまり食指が動きません。昔ビデオカードで失敗していますんで。

と言うことはMA-500U(S)に適当なパッシブスピーカーでファイナルアンサー?と思ったんですが物置にパッシブスピーカーあったんだ。ものすごく古いやつなんですけれど。


スピーカー環境なら市場は豊かと思ったんですけれどもそうでもないようです。
おとなしくBOSEかえって言うことなんですかね?

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