暫定ブロードキャスティング

近況: 農業高校ラブコメ 「のうりん」(GA文庫 ライトノベル) は8月12日からきっと大絶賛発売中!!! ちょっと何かに似てるかもしれないけど気にするな!意識してるだけだ!!

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神々の最終戦争、世界の黄昏

もしも、もしも本当に天川さんが打ち切りになるようだったらふりふり書ける絵師さんをつけてラグナロク書かせればいいのに。


神々の最終戦争だとかヴァルキリーとか戦乙女だとか骸を貪り喰うものだとか十二単を纏ったバルキリーだとか、現在でも一定の知名度を誇る記号を作品に取り入れるだけでそういった方面に興味のある人に対してこの作品は他のものとは一味違いますよ~というアピールが可能だと思います。実際にそういうアピールをしている作品はありますしね。

この広い世界にふたりぼっちでは巨人というキーワードが出てきますが、向こうの神話では巨人族と言うのは神に匹敵する勢力として一般的?に認識されているのですが、そういう極度にマニアックな設定というのは何の導入もなく持ってこられると読者は( ゚д゚)ポカーンという状況に陥るわけです。中には少々の知識がありニヤリとする人もいるでしょうけれどそういう人をターゲットにするまでのマニアックさはかえってマイナスに作用します。たぶん。

例えば正宗だとか村正、あるいは村雨という名刀の名前を出す作品はあれど国光や三条小鍛冶宗近、薬研通吉光などの名前を聞いたことのある人はそうはいないのではないでしょう。ちなみにおももりひまりに登場するひまりの佩刀「童子切安綱」には酒呑童子を切ったという逸話がありますが、宗近を装備すると確実に狐耳が生えることでしょう。狐耳のシューキュンが相槌を打ったのかもしれません。国光は薙刀の名手個人的に一番好きです、薬研通吉光は主の切腹には付き合わずくぉんの役立たずがぁ!!と投げ捨てたところ鋳鉄製(日本刀のような軟鉄では刺さるはずの無い硬い鉄)の薬研に突き刺さったという逸話からすると強度のツンデレです。
この他、日本刀の材料となる和鋼というのは時間をかけて低温で精製するため純度が高く柔らかい反面粘り強くて折れにくいという特性があり、いくつかの炭素などの配合比の異なる金属を何十にも折りたたんで作り上げる合金?というか複数の金属をくっつけているという構造をしており世界に類を見ない物なのです。これに熱を加えて冷やす、いわゆる焼入れなどの工程を経るわけですが、この構造のため時代によって刀身に現れる沸という紋様や冶金学上とても強固な鉄分子のつながりとされる金色の点や筋(稲妻や単に金筋ともいわれる)が現れるものがあります。
特に古い刀剣類にこの金筋などがみられるそうなのですが近代になるに連れこういう野性味のあふれる高貴さはなりを潜めることとなります。
一方で南蛮鉄といういわゆる近代あるいはヨーロッパなどの鉄というのは石炭の高火力などで短時間に精製する鋼鉄であり硬い分もろく、バスタードソードをはじめとした大剣のような大きさや古い三角形の刀身を持つようなモノのような形でなければ強度を保てなかったのではないかと個人的には思っています。
日本刀のよく切れるというのはあくまで生物がよく切れるという話であって鎧ごと真っ二つという話ではありません。斬鉄というのは剣客の時代にあってはひとつのスキルだったのです。一方で斬鉄剣というのがなかったのかというとそこは難しいところで和鋼のような純鉄ではなく南蛮鉄=鋼鉄を使った日本刀も作られていたようです。長曾祢虎徹は古鐵つまり酸化鉄を材料として使用したといういわくがあったりしますが草鍛冶(無名の町工場で作ったようなやつ)レベルでは結構あった話かもしれません。
なんか変な方向にはなしが向かっていますがリアルさという話で詰めていくと日本刀というのは武士の時代にあっては飾りであって古い剣客というのは中条さんちのお家芸ぐらいのもんで武士の武器といえば第一に弓、戦国時代にあっては槍です。戦で弓の名手(名前忘れたけれど三方原の徳川方にひとりいたはず、戦国時代大きな戦ではかならずひとりはいるけど殆ど無名に近い)や槍の名手(たくさんいる、戦功を上げることを槍働といいます)というのは時々出てくるんですが剣客で華々しい戦功を上げた人って足利義輝以外いましたっけ?現代の武装に当てはめるなら自動小銃が槍、弓は砲か狙撃銃、刀は拳銃というところなので刀を振り回すのはあまりかっこいいものではなかったような感じです。
一方で今と同じく刀剣をもつということはステイタスシンボルというと語弊がありますがしきたり的に持っておきたいものというみかたをされており例えば三条宗近は高位の公卿が儀式的に持っておきたいものでしたし吉光の短刀も高位の武家には必需品だったといわれています。
九尾の狐が現れたときに神が人間に授けるのも薙刀ですので日本刀に萌えているのは近現代人だけだったりします。

ぶっちゃけリアルさを追求するのであれば槍の話しようぜ!!ということになるのですが登場人物がみんな槍使いか弓使いの話なんていうのはまず売れないでしょう。
槍というとサリッサのような穂先の小さなものをイメージすることが多いかもしれませんが福岡市立博物館にある日本号(別名、呑取。黒田節で飲みとったやつ)を見てもわかるように当時の槍というのは結構穂先が大きいです。だからたぶん接近戦でも有効です。
正直なところここまで語ってもだから何だ?日本刀だせよ。といわれるのが落ちでしょう。

マニアックさというのも武器の一つではあるのでしょうけれども度が過ぎた変態には誰もついていけないのです。特にライトノベルならなおさら。ラノベだからできることもあるんでしょうけれどもね。


一方、全体的な市場を見渡してみると売れ筋はやはりキャラ物ですよね。電撃は規模というかラインナップが別格なので比較し難いですが中小レーベルで例外てきな長寿タイトルを除けばよく目にするのが生徒会の一存だったりこれはゾンビですか?だったり僕は友達が少ないだったり、おそらくこれらはメディアミックスがしやすい上にあたればデカイあるいは広報がしやすくネットあたりが勝手に萌えてくれるというのがあるんでしょうけれど、前回の大賞でMF文庫Jがキャラ物路線に舵を切ったように素人目には見えるのでキャラ物いいぜ!という風潮がどこかにあるのかもしれません。

ここで変な話に走りますが小売というか実際に本屋に並んでいる作品というのは規模が大きいほどよく売れます。
特に電撃の販売力というのはどんなところでも電撃文庫空間がライトノベルの世界を確保しているからこそ売れているというのもあります。悪く言ってしまえば商品なんていうのは多少品質が悪くても販売力があれば売れます。それは知名度だったり何たりするのですが、別に悪いということではありません。だってそれって営業とかのお仕事ですもんね。電撃が販路を拓いてくれたからこそ現状のライトノベルの隆盛があるのだと個人的には思っています。非常に悪い言い方をすれば他レーベルは電撃の尻馬に載っているだけの販売戦略しか打てていないようでもあります。たぶん実際には販路を確保できたのが電撃だけだったというのもあったんでしょうけれどもね。

ライトノベルというのはそういう販売戦略の過程で年齢層を極端に絞ることで確実に売れる主流年齢層を確保したところから始まっています。アニメ絵のカバーの本など大人は普通書いません。しかしそれでいいのです。おそらくは日本人みんなが読むような高尚な本ではなく閉じた市場で確実に収益を上げられる体制を作り上げたところから始まったのでしょう。

第二段階としてコアなラノベ読み、例えば電撃HPを買って読むようなコアな層とそこまではしないけれどラノベは好きで時々読むという層という本屋のお客さんとネットやとらのあななどで話題作なんかをついでに買っていく非固有層を意識したことが功を奏したのではないだろうか。ちょっとアダルティっくな話になりますが電撃萌王/姫だったかそれまでPushやテックジャイアンが個人的には主流だったような気がする業界に新規参入したわけですがおそらくは美麗なピンナップポスター何十連発というローテクながらもファン層の心を鷲掴みにする手法でおそらく絵師さんの重要性に気づきクオリティを追求しに行ったのが具体的な手法だったのでしょう。この絵を最大限に利用するという方式は同時代の他の雑誌でも等身大ポスターなどを突発的にやってはいましたが継続的に大判の最大ではないものの自分の好きな作家あるいは作品でもそれなりのクオリティのものを手に入れられるというのは他には無いものであったと思います。ひとりのエースではなく無数の中堅で勝負を掛けることにリソースを分けたという点でおそらくは革新的であったことでしょう。正直あまり使い道の無いグッズをつけられて定期的に買うものの値段が上がったりしかもそれが好きじゃない作品のものだったりした場合には販売不振に直結したりで売上は不安定ですがコンスタントに適度な販売力を持っているモノのほうが結果的に消えることが無い上に規模が大きくなりやすいのではないかという経験則があるのですがそれに当てはまるのがまさに電撃関係です。一点豪華はFestibalのような別枠に移したほうが良かったのかもしれませんね。実質的にここ五年程度のスパンの話ですが五年は結構大きかったのかもしれません。五年前ってGA文庫はなかったんだ・・・
非固有層の惹きつけは話題性や絵師さんの適切な場所への投入という作戦で成し遂げられたのかもしれません。


大佐というか部長クラスあるいは権限を与えられた電撃文庫の参謀クラスがどこまで考えたのかはわかりませんが結果から見てみれば電撃の販売戦略の重要ポイントは以上の二点にあるのではないでしょうか。実際には基礎的な営業力や業界内シェアで外さなかったという本当に基礎の基礎が他レーベルとは違ったというのもあるのでしょうが、トリコロの海藍さんの救済などから見てみるに根っからの本屋ではなかったことが一番のポイントかも知れません。


以上は販売戦略というかどちらかと言えば経営に関する話です。
実際にはやはり商品の力こそが鍵になってくるのですが単体の戦力も重要ですが組織としての能力において優れていいるのではないかという話になってきます。
正直なところ売れるものはよく売れるわけですが買い手にとってみればわざわざ手間かけてまで店舗特典付きのショップまで足を運ぶひとは少数派であると思います。アニメイト入るのしんどかった。とらはまだ大丈夫なんですけれどねぇ。ゲーマーズは奥までは行ききりません。めろんももう無理っぽい。という私のようなやつもいるわけですからね。
そうなると自然と一般書店で買うようになるのですがライトノベルは普通の本とは違い雑誌のような生物っぽいところがあり鮮度が命で定番の古い作品を並べるだけで果たして売れるのか?というところがあるように感じます。
そうなると売り場での編成は定番のシリーズよりも新刊を細かく回転させているショップの方が売れる可能性があるのではないでしょうか。実際に私が買いに行っているところはそうですし古いのを買おうとするのはおそらく私のような特殊なやつなのかもしれません。ここに電撃あるよ~っていうのがどこの本屋行ってもわかるでしょ、だいたい。伊豆行って蜻蛉日記なみに感動しましたもん。
そうなってくると商品のラインナップがシリーズ物と新刊が程よく揃い在庫として残っているものはレーベル結界を張る役割をになえるくらいの規模があるモノのほうが自然新刊も既刊もよく売れるようになります。
それに加え、電撃はレーベル一本でほぼすべての分野を巧拙はあれ網羅できており電撃さえあれば欲しい分野の本はある程度手に入るというのもあり、そういうイメージを伝える表紙を作るのがうまいのが電撃ですよね。嘘つきみーくんと壊れたまーちゃんの絵師にほんたにかなえさんを起用したらたぶん売れなかったでしょう。力量とかではなくイメージ的に。一見してその商品がなんなのかわかるというのが最も強い広告になるのです。ところで天神歩いていて展示品見ると売るきあんのかこいつというひどい置き方してるのが結構あるのですが殿様商売なんでしょうかね?


なんとかこじつけて来ましたがようやく言いたいことが言える。
ラノベの購入層というのは複数あり主流は金持ち始めた高校生から大学生くらいまででしょうが、その他のマイノリティも結構いるものと思われる。
レーベルごとのラインナップを分野別に見ると売れ筋はキャラ物にシフトしているが、それは一部での話であり単一の総合レーベルとして収益を上げるには各種バランスよく育成する必要がある。マイノリティニーズの一つ(個人的な)としてライトノベルだけれど少し本格的なものを読みたいというニーズに適合しそうなベクトルがメディアワークス文庫やGA文庫の一部に生まれ始めているのでその戦線に部隊展開をしてはどうか。
そのような視点からしてみると純系(ある程度知識に基づいた)ファンタジーに葉村哲さんを投入するのが人材配分的にいいような気がする。純粋なファンタジーというものは個人的にはとっつきにくくしかも世界観を一から構成しなければならないということもありある程度知識がなければ一般に受け入れられてなおかつ面白い作品は書けないような気がする。
ファンタジーでも現代ファンタジーでもなんでもいいがあの知識と独自性をこのまま潰してしまうにはあまりにも惜しすぎる。具体的な描写が標準をやや下回るので上位レーベルなどでやるには難しいかもしれませんがその他にこの人を活かせる状況ができつつあるのではないかなぁと、少しまじめに考えてみました。

天川天音の否定公式に関しては後ろで指をくわえて羨ましそうに雪道や瑛子を見ているだけではなく例え嫌われることや自分の手を汚してでも誰かの隣にあるいは対面に対等な価値のある者として向きあおうとした天音さんが今後の話しの中心になってくるのかもしれません。こういう人物描写が出来ているのに何故かストーリーが軽く見えてしまうところをうまく魅せていけるか、というところがキーになってくるのかもしれません。



・・・なに危機感感じてるんだろう、自分・・・
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何が言いたいのかというと小学生のころ給食がなかったら今まで生き延びることはできなかったんだろうなぁという話をしたかったわけです。


んでおとといの読売に給食の組み合わせがおかしいという話が載っていました。

牛乳とご飯とかまあ常識的に考えてみるとありえない組み合わせなのですが、そんなことは栄養士さんもわかっているらしく、おかしいことはおかしい、けれど子供たちに必要な栄養を確保するにはこうするしかないという話もきちんと掲載されていました。

難しい問題ですよね。
給食というのは一食あたり200円から二百五十円くらいのようです。
福岡市
北九州市

実際問題250円で調達できる食料にはどんなものがあるのか考えると、毎日違うメニューを250円で一食まかなうというのは非常に難しい問題ではないのでしょうか。

今でこそ298円の弁当などの弁当が登場しているのであれでいいじゃないかと考えることも可能ですがあれは毎日定まったものを量産することによって安く上げていることなどを考えると毎日常用できるものではありません。
給食とはえさではないのです。油ギトギトでもカロリーを取れればいいというものではない。カロリーだけで言えばプリングルス188円くらいと80円の缶コーラでもいいわけですが、こうすれば給食のおばさんの賃金も浮くし最高に効率がいいかもしれません。それをしないのは怠慢なのでしょうか?
一品を250円でまかなうということは簡単かもしれませんがそれに牛乳と汁物をつけるとどうでしょう?給食というのはかなり優秀な食料調達機構であることだけは疑いがないのです。


陳平という劉邦の謀略担当者のことばに品は才の後というものがあります。

ここでは子供に十分な栄養をつけさせることがまず一番大事な才であり、ご飯と牛乳の組み合わせがおかしいというのは品の問題になります。

こう並べてみると、組み合わせ重視で欠食児童を量産することなく栄養を第一に考えてくれていた栄養士さんたちのおかげでわたしは生き残れたということになります。
体面を重視するあまり、大して栄養のない食事ではきっと失明していたんだろうなぁ・・・

給食がまず第一に果たすべき役割は子供たちの栄養を確保することです。学校で遊んだり勉強中に貧血で倒れたりしないように何より体を作るためにはまずなんといっても栄養がなければ始まらないのです。子供のころに十分な栄養が取れないとわたしのような変人になるのはまず疑いないでしょう。(わたしと弟では10センチくらい身長が違う)

食事がおいしいかどうか、付け合せとか言う問題は必要な栄養を確保した上で語られるべき論点であることはだれにも明らかでしょう。

金銭面での問題にしても一ヶ月一万円生活をテレビでやっていた、だからお前なら一ヶ月六千円で食べていけるはずだ!とか言う基地外の妄言などに耳を貸す必要などありません。


子供に対する食事は必要なのか?
と考えると必要ないと言い張って体面を悪くする人はいないと思いますが、実際問題十分なお金がかけられているとはいえないでしょう。

一食でおなかの中に入れられる食事量という縛りがあるにせよ、現状高くても250円程度のお金で一食をまかなっているというコストパフォーマンスは異常とも言うべきものではないのでしょうか。
福岡市では250円は食材費だけですという断りがあるにはあるのですが、それにしても少なすぎるでしょうに。

子供のお昼ご飯にかけるお金が250円という低リソースだからこそ組み合わせを無視して栄養だけを考えるしかないのだろうかと考えたわけです。
たとえばこれを全部税金でまかなうとするならば、あるいは一食あたり300円の補助金が出るという法律なり条例ができたとするならば?

資金が豊富で十分な選択肢があるならば、ご飯に牛乳というメニューも少なくなるのかもしれません。小魚とかを変わりにつければカルシウムとかたんぱく質も取れますしね。
何より給食の市場が大きくなり、給食に使われる食材をおろしているのかもしれない地元の農業漁業も潤うでしょうし、もしかしたら金額面での問題で地元の食材が参入できなかったとか言う問題も解決できるかもしれませんしね。
そこでもっともっと市場が大きくなって地元農協との癒着問題とかが問題になるころには、子供に健康な生活を送るだけの食事を与えられているのは誰のおかげだと思っている!俺を誰だと思っている!とかいって談合で捕まる地方の有力者が出るころには欠食児童なんかは珍しいものになるんじゃないかなぁと思います。



事業費を削るのもいいがかねかけるべきところにかねかけろやと常日頃から思います。
実家住まいだから料理とかできないんですか?とかよく言われますがお兄ちゃんをなめるなよこのやろうと返したくてたまらない。東京行く前にうちに帰ってきた弟ががりがりにやせてていらっとしたけれど今は寮でまずいながらも三食きちんと食わせてもらっているようで一安心。一方最近の小娘さまが心配です。肉ばっかり食ってるよ・・・

給食費不払の問題の後に、給食を国費でまかなうべきだという話をした人っていなかったような気がする。

関中から食料と兵士を途絶えさせず、尚かつ民衆を苦しめず、戦場に居ずとも戦功第一に選ばれるほどのしっかり首長はどこかに居ないものか?
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物語における設定のおはなし。

物語における設定のおはなし。

シャルウィーダンスという映画が昔ヒットしまして、そのリメイク権を買い取ってハリウッドで映画化したという話があります。

結果は大失敗。(らしい、ホントの所は知らない)


そのことについて監督さんが以下のような意味の発言をしていました。

「出資者たちが求めているのは、売れる設定であって、物語ではなかった」


邦画の物語性を見込んで監督さんは動いていたのに、売れることが重要だ!熟年カップルの社交ダンスという設定が重要なんだよ!という出資者(製作に関しては素人)の発言が通ってしまった。

日本の映画には、単純な設定ではない、素晴らしい精神性がある!それを無視したからこういう事になったんだ。という感じのことを言っていました。


これらの発言は、日本映画礼賛の番組の中で言われていたものですので、信じるか信じないかはその人次第。
アメリカ映画にもついこの間みたウォッチメンのような高度の精神性と芸術性を持つ作品がありますので、優秀なのは日本映画だけだとかいうあの論調はどうかと思いましたが、優れた作品というのは決して設定の寄せ集めではないというのはわたしも同意するところです。

他の分野でもスーツとギークの対立と語られるところの、営業と製作の対立というものなのでしょう。

売れる作品というのは確かにいい作品なのでしょうが、売れる作品を作るだけ、そのために作られた作品というのは、個人的な印象では非常にペラいという印象をうけることがよくあります。

全く別分野の話になってしまいますが、IPADはそれまでマカーと蔑まれ肩身の狭い思いをしてきたアップルユーザーたちの悲願とも言うべき商品でした。アップルユーザーはただの信者と、一般的な媒体では呼ばれていましたが、アップルユーザーのコミュニティが発売後のアップル製品のインフラの地ならしをしたのは誰の目にも明らかな情景のように思います。たとえIPADを真似た製品を投入したところで、ソフトインフラに多くの金と権力を投入したところで、囲えるのは古い国内市場だけで比較的新しい市場を支配下に置くことは出来ないように思います。製品を真似られたとしても、信者までは用意できないでしょうからね。


変な話を挟みましたが、売れ要素を詰め込んだだけの作品は失敗するというのはこみっくパーティーの時代にすでに特定ゲームの世界で語られたテーマなのです。



設定だけ作って勝手に萌えろという、シスプリのような芸当がその極地にあるように思いますが、そういうのはあくまでも例外的なケースであるように思います。




このおはなしは紫色のクオリアように考えたものなのですが、たしかに並行世界のような設定やSFスケールの描写などに目が行きがちですが、この物語の主題は紫色のクオリアを通して直接に相手をみる、というところにあるように思います。タイトルからしても、そして、挿絵の使い方からしても、制作側の意図はそこにあったように思います。

ですが、結果的に騒がれているのはSF設定の部分が多いようです。

小才の効いたプロデューサーのような者がいた場合にはきっと、このSF設定の部分をプッシュしてニーズに答えようとしたのでしょうが、結果的にそれはしなかった。


SFの中にある確固たるイメージを大切にすることを第一にできる電撃というのはやはりすごいなぁと思います。


少し前まで、本というのはひとり静かに孤独に読むものでしたが、現在ではアマゾンのレビューなどで他人の意見も聞けるようになってきました。

金色の帯が付いているのにあまり面白くなかった。例えば少し昔なら、自分の感性が悪いということで折り合いをつけるしかなかったのかもしれませんが、いまではアマゾンのレビューで星の数を数えることが出来ます。
メーカーの営業と販売の主導権が弱まったとも言うべき時代ですが、その一方で、マイナーでも優秀な作品が評価される時代になってきたのだと思います。

嘘がつけんのならば、製品で勝負しなければならないという至極まっとうな状況が登場しただけの話です。


商品の力というのは個人が満足するためのものであるという面とは別に、いろんな人と共有して愉しむという側面もあるので一概に品質至上主義が妥当するわけではありません。

しかし、それはあくまでも買い手の事情です。


例えば、メディアは今や大量消費の時代!だから大量消費に合わせた作品作りを・・・という商品展開をすると顧客満足度はがくんと下がることでしょう。
速力というのも大切ですが、クオリティも大事です。なにより大事なのは俺が作ったものを使い捨てにはさせないぜ!という気概ではないでしょうかと思います。精神論のように見えますが変に謙遜してるような作品よりは、書いてて楽しかったとか、全力で書いた、という発言があとがきにあったりとかラブコメであればいいというのを逆手にとってすき放題やっているものの方が読んでいて楽しいです。

作品それぞれ、どこで魅せるかというのは違ってくるもでしょうが、ここだけは誰にも負けないというものを持っている作品は誰かが見てくれているという時代です。
紫色のクオリアのような、騒いでいるひとたちがいる反面、作品を読み込む人達がいるという状況のほうが好ましい状況なのかもしれません。




多くのテーマを書いてみようというのもいいかもしれませんが、一点を穿ち、十重二十重の読者の心の壁を破っていくような精密射撃的な書き方をするというのも悪くないように思いました。

すぐに忘れ去られる名作よりも、凡作であっても記憶に残るものの方が、あとあとの商品展開には強いように思います。
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受験生の子供を持つ親御さんたちへ、奇をてらわない子供の育て方について (コラムのようなもの)

難関私大や国立大に行こうと思ったら、学校の授業だけでは不十分だ。
灘・開成、ラサールのような進学校に通っているわけでもなく、特に天才でもない普通の人なんだから、塾や予備校の夏期講習とかで大学ごとの過去問対策などやっとかないと後々つらくなりますよ。
東大や京大に進学させたいのならなおのこと、がむしゃらな努力では難しい。(今はどうか知らないけど、わたしの時は東大京大の試験には、教養っぽい前提知識がなければ解くのが難しい問題が出るという話がされていた<わたしは代ゼミ>)


以上の発言をしたわたしがうけた暴言

”アスペルガー”

まあ確かにそんな感じかなぁとは日頃思っているのですが、もっとひどい罵詈雑言を受けました。アスペルガーは知的障害がみられない発達障害であって精神障害みたいな意味では有りませんよ、この屑野郎。録音して公開したら面白いことになったかもしれませんね、ほんと。




大学受験に真面目に取り組んだことのある人ならば、高校最後の夏はどっかの塾や予備校でガリ勉してたなぁという思い出があるかと思われます。
けれど、そういう経験のない人達にとってはわたしの発言は気狂いの妄言でしかないのです。


私をフルボッコにしやがったのは学歴で言えば高卒ですが、超一流企業のエリートです。この人は学卒憎しみたいなことを時々言ってて、正直なところ営業部長としては九州でも最強クラスなのかもしれませんが、分担範囲が異なる人間を率いるというような器ではありません。出世したものの統率者としての評価が低かったのでしょう。愚痴を聞いたり名刺を見る範囲では昇進はしても事実上の左遷のような感じで仕事内容は限られています。そういう事情があったとしても、この人は普通の私程度では顔も見ることができないような社会的地位を持っているのです。



このような、社会的地位の高い人間でも、受験の世界の事情というものを全く知らないことがありうるわけです。

受験だけというわけではありませんが、単に頭の善し悪しという基準だけで合格が決まるわけではないのです。
国立大学の上位10%くらいは才能で入った人かもしれませんが、大多数は行きたい大学の赤本を使って勉強し、夏期講習で必至に勉強して入った人じゃないのかなと思います。わたしは実際に数字を持っているわけではありませんが、独学だけでなんとかなるほど甘い世界ではないというのが、一経験者としての意見です。


例えば、勉強をするという意外にも、必死になっている他の生徒や浪人生と一緒の空間で講義を受ける、ミニテストという感じでテストに慣れる、プロが立てたスケジュールを元に効率的な学習の仕方を学ぶなどなど。
孤独にコツコツとやるだけでは決して得られなかったものがたくさん得られるのです。
このような経験を社会に出てからしたことはありませんでしょうか?



たしかに、子供を信じて自由に勉強をさせるというのはあたかも子供を信頼しているという美しい絵面かもしれません。

ですが、それで結果が出なかったとき、子供を信じて任せたから自分は悪くない、と言い逃れをしても助かるのは貴方だけです。子供はどうなるんでしょうね?やったつもりの努力に溺れてるままではろくな事にはならんと思います。わたしがそれでしたからなぁ。





世の中にはいろいろな生き方があります。ですので大学に行くのが全てとは思いません。ですが、いざ大学受験をしようと思うと、それなりの作法というものが要求されてきます。

まかり間違って、このコラムを最後まで読むような方はきっと、あのボンクラのように子供の進路についてアレコレ口を出しているのかもしれません。

もしそうだとしたら、貴方の指示に口を出すつもりはありませんが、子供の置かれている状況を理解して上げてください。

せめて、受験に必要な環境(夏から最後までの塾や予備校の申し込みをする)と装備(食費、交通費、身だしなみに使うお金)を整えてやり、指示を出す人間の義務は果たして上げてください。
そのような援護もされずに指示だけ出されるということは、竹槍一本でバンザイ突撃をさせられるのと何ら変わりありません。

予備校なんて一浪してから行けばいいじゃないかと思われるかもしれませんが、青春時代の一年というのはとても大きい。就活でもかなり負担になるケースがあります。それに、最初の受験で必死になれないようではダラダラ浪人を続けてもどう仕様も無いですよ。たまに三浪して入ったみたいなことを聞くかもしれませんが、全体の一%くらいの人のケースです。こういうケースも就活で厳しくなったりするそうです。

学者さんが裏付けた明確なデータを出せと言われると困りますが、そういう事情というのは予備校に行っている人たちにとっては案外常識で、そういう恐怖観を煽るというのも予備校に行かせる意味の一つにあると思います。



どんなに優れた人間でも、事情を知らなければなにもできないということは多々あります。
わたしのような若造にリアルで意見を言われるとやはり腹がたつのでしょうが、現実問題として、普通の人間が思い通りの大学進学をしたいのなら予備校や塾というのは避けて通れるものではありません。ここでこのような話を読んだということは知らぬふりをしても構いません。わたしのような変なやつが口はさんできても、そんなこと知っとるわ!と一括してもいいでしょう。

現場の事情も知らず、ろくな支援もよこさず、ああしろこうしろと五月蝿い役員のようなことを、貴方の子供にだけはやらないであげてください。
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■パソコン用地デジチューナー選定

地デジチューナー選定。

●HDPCに対応しているのがノートしかないのでUSB接続であることが必須。

●使用用途は視聴のみ。
レコーダーの使用状況は一度録画して、あとから見てすぐに消すというものなので録画したあとにメディアにバックアップするような部分に強い必要がない。

●コスト
お金はあまりかけたくない。だが変に手間のかかるものは困る。

●優先順位の低い要件
画質がそこそこ良ければいい。ノートPCに搭載されている液晶に最高の画質など期待していない。(ノート登載ものにしてはいいものであるが所詮はノート登載ものでしかない、つまり色の問題)



ここまで書いてみるとワンセグが付いている大型の携帯に機種変するというのも手であるように思えるが、心理的に嫌だしめんどくさいのであまり使えそうもない。

次に、BC-TV9を復活させるという方法も考えたが、手間がかかりすぎる。
同様の理由で恵安のものにも手を出しづらい。

妹様に徴収されているアナログテレビ(FMも聞けるよ!)を回収するというのが一番いい方策のように思えるが、現状の政治的緊張が高まる国際情勢の中では実現不可能な選択肢である。(そもそも今更アナログテレビもなぁ、場所とるし)

とか何とか考えるとやはりIOか旧メルコの廉価版の方がいいのかもしれない。

USBだと画質要件で転送速度が云々と迷うところだけれど現在私が重要視しているのがモバイリティと音質というものであるためにあれこれと悩まなくていいのか。やはり書き出してみるとどのような要件を求めてどの要件を切るべきかがはっきりしていい。

この状態での使用を想定して、アレコレ妄想をしてみる。


現行のリビングにあるテレビ環境の不満点はやはり音にある。私の視聴番組のことも考えるとやはり音に優れている必要があるように思える。
こう考えると光で音を出せるのだろうか?とか思うのだが実際のところどうなんだろう?最悪の場合でもICONに直接アナログ接続ができるので使えないという状況だけは生じないことは確かか。こう考えてみるとICONの機能性は魅力的だな。
環境チェックではS/PDIFは使用できないので注意してくださいの表記。
くそっ!なんて時代だ!

ただ、こういう言及が出来るというのがさすが旧メルコだよなぁと思う。


と、ここまで考えてみるともう見れればいいというものになってきた用な感じがする。
そうなるとUSBものの小さなやつでもいいんじゃないかとか思えてくる。アンテナがいらないのでUSBのワンセグしか見られないものでもいいような気がしてきた。

けどそう考えると携帯でいいじゃんという感じになってくるが、ワンセグの解像度では使い物にならんよなぁ。
ここで一度ワンセグオンリーのものを完全に除外してみよう。


そしてここまで考えてみると、HDCPに対応していないディスプレイではDVI接続ができないのではなかったのか?と思い出す。

そう考えてみると、現状でデスクトップPCに付けるという選択肢は消えたわけだ。
パソコンのディスプレイを買い換えるという選択肢があるのかもしれないが、代替機を考え出すと最低でも10万はくだらないものでなければ、同等の色再現力を持つものは買えそうにないので事実上不可能である。(そんなことするぐらいなら中古のプラズマテレビを買ったほうが良くなる)


結構絞り込めてきた。


もうほんとに見れればいいや程度のものでしかないね。

ということでDT-F100/U2か。


だけれど調べてみると製品自体が結構微妙な線かもしれんね。

そしてトライアルというか、この過程で出してきたいくつかの製品が実際に使えるのかどうかを考える。
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手元に天神で配ってたチラシがあるんよ。

緑の紙の一面には募金を呼びかける文面、そしてもう一面には募金受入口座一覧、期間及び救援物資の受付についての問い合わせ先のみ。
飾り気も何も無いけどこれ以上に強いチラシというのは他にはないだろうなと思う。

福岡県・福岡県社会福祉協議会・福岡県共同募金会と名が入ってる。
ただ募金を集めたいだけで大きな声を張り上げたりするだけなら他にも出来るのはいるかもしれない。けどこのチラシを手にした人がどんなアクションをとればいいのかが非常に明確でいかにも実務屋といった機能的な書面になっている。現状上がっている問題点などにも配慮されている。

一方で人を説得するための文面に西武沖地震の名を上げるだけなら想定の範囲内だったのだけど豪雨水害の例もあげているのさ。それ福岡県というより福岡市の話じゃんと揚げ足と郎と思えば取れるんでしょうけど、福岡市に住んでひとつの役割を果たし続けた人や組織にしか言えない言葉だよなぁと思う。

どうも私はひねくれた物の見方をするものでここで毒はいておこうかと思うんですが、きれいなユニホームを着て大声張り上げて募金お願いしますとだけ叫んでいる若い子たちみてるとなんか違うよなぁと思う。そりゃ猫の手も借りたい現状だからそういう努力もないよりあったほうがいいんだろうけど、問題に真摯に向き合おうと思うならこのチラシを配ってた人たちなんかを参考にしてほしいなぁ。何も出来ん私が言うのもあれだけどさ。

・・・・・・いや、役所に入るとかそう言うんでなくてさ。
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・・・ぼかして書きますよ。以下メンタル的十八禁、共和党員もお断り。

今回、Twitterやgoogleが大活躍したわけですがこいつらは言ってみればソフトウェア・サービスの世界の住人なわけですよ。




んじゃさ、このソフトウェア・サービスを担ったハードウェアってなにさ。




こう考えるとさ、まだ確実なデータは出てないけどiPhoneとかiPadじゃないのかとふと思います。

スタンドアローンで何時間も動ける端末、しかも普及品といったらこの二つとあとはeeePcくらいのもんでしょう。
さらに絞りをかけるとWIFIとパケット通信の二つの系統から通信網にアクセスできるのって上記二つくらいのもんではないでしょうか。
このへんに関しては、特にiPadは電子書籍ではなくクラウド時代に最適化したクラウド端末とジョブスはプレゼンしていたわけですが長時間の停電の中でiPadが唯一の光源だったようなケースもあったようです。

まあ端末あるいは技術思想の話は他の人が書くでしょうから時間もないので書きませんが、いったい何言いたいのかと言われるとちょっとね書いておかなきゃならんようなことがあったので書いておこうと思います。

今回の事例が石川県や福岡県芦屋町で起きたとしたらいったいどうなっていたことやら。

なにいってんだコイツと思われるかもしれませんが、この二つの地域は子供から携帯を奪うことを正式に決定した地域なのです。

さて、これから文化の話をしよう。という時間もないので簡潔にまとめますと、だいたい現在の二十代というデジタルネイティブ世代が今回の情報流通を割と健全な形で回していたのではないかと思うのです。この世代というのは私も含めてテレビも見れば新聞も読む携帯も使うしネットも使うような世代です。要するにテレビの報道見たところで叫び声を上げたりするような初なところはほとんど無いと言っていい情報リテラシーがある世代のことです。






この情報リテラシーというのは能力ではなく誰もが当たり前に身につけている文化であるというのが私の見解です。
このような世代というものはまあ何年も何年も時間をかけて培われてくるものです。正直なところ私もmacにインテルが入った頃ざまぁ!みたいな書き込みをした記憶があります、なんともお恥ずかしい限りです。ですが今回の事件ではネット含めて様々な媒体だけでなく街なかでの活動などを見てみると若い世代というのは比較的冷静でむしろ知識もなく憶測で話を進めているのは私よりも上の世代のような気もしました。ぶっちゃけ陰謀がどうのこうのとかいう風聞を若い世代はあまり好まないようなのです。

と話が逸れかけましたが、文化というと必ずしもそういった嗜好てきなものだけではなく能力的な性向も含むものと考えてください。

例えば少し前までは車を運転できるというのはちょっとした特権的能力でしたが現在ではだれでもが運転できるものになっています。これは決して技術が進歩して車の運転が簡単になったことが主因というわけではないでしょう。オートマが普及したとしても交通量も増え交通規制などは昔より厳しくなっているわけですから、リスクや難易度という意味では現在のほうがはるかに高いとも言えます。ですが、みんなが使える、というのが今を生きる世代特有の文化的能力とも言えるのです。

同様に携帯電話やネットのことを考えてみてください。
例えば私は現代の就職活動にはインターネットが必要であるという発言をしてつるし上げにあって現状の苦境に立たされているのですが私を吊るし上げている連中というのは、妹にもインターネットなしの就職活動をさせるなどという発言を繰り返していたボンクラどもです。少なくとも、現状でインターネットなしの就職活動をするなどというのは正気の沙汰ではありません。公務員一本のようなごく例外的なケースをあげつらわれてもそれはほんとうにごく限定的なケースなのでありそれをもって現在の就職活動全体を語るということは失当以外の何者でもありません。
このようにインターネットや携帯電話というものはすでに社会的な生活を送る上で必要不可欠なインフラとなっているものです。




そして、この必要不可欠なインフラというのもを上手く使えるかどうかというのもまた大きな問題となります。
車に乗れるから高速道路に乗れるかというと乗れないという人が多いのではないでしょうか、車に乗れるという人であってもその能力はまちまちです。

これをインターネットに当てはめてみると、携帯端末を上手く扱えるかどうかというのは正直なところ些細な問題でしかありません。インターネットというのもを所詮は道具と割りきって、その道具を上手く使って知らない人や遠くの人と冷静にやりとりが出来る、今のところ尊ぶべきはそのような文化的な能力なのです。

少なくとも現在の若い人達は、現在自動車事故で生じる・・・少々言葉が悪いですが平成二十一年で死者4,914人よりはるかに軽微な失敗を重ねながらネット社会での振る舞い方というものを身につけながら成長しています。
たしかに学校裏サイトのような新規のいじめが生じてはいるのでしょうが昔からいじめはありました。
子どもがポルノに触れる可能性がある、けしからんという批判は二十年前の共和党員と全く変わっていない発言でしかありません。異性に興味がない思春期の子どもとかきしょく悪くて仕方がない単なる発達障害だろうが(←注・一応これわたしのこと)という反発は置いといて、インターネットに依る被害というのはこの程度のものでしかありません。


危険があるのになぜ車にのるのか。便利だから、生活に必要だから、理由は様々ですが少なくとも車がなければならない社会であり、これはインターネットも同様なのです。

今回、不幸な形でですが若い世代の情報リテラシーというものが多くを支えてきたことが露見したのは確かです。情報配信に力となったニコニコ動画のサーバーは決して非常事態に備えて整備されてきたものではありません。普段から商業として栄えた末に環境が整備されていた、若い世代はそのニコニコ動画の使い方を知っていた。このような文化的背景があったからこそその余力を提供することができたのです。Twitter、googleも然り。



子供からネットや携帯を取り上げることで、どのような結果が生じるか。考えてみてください。

どうしてもわからないというのであればgoogleがどのような活動をしているのか文字どおりググッてみてください。
車にのるだけじゃなく高速道路・・・とは言わなくても都市高を走るぐらいの練度がなければ協力できないような活動がされていたりします。

若い世代の人生から携帯やインターネットという窓口を奪ってしまうということは、彼らをこのような状況下で無力にしてしまうことです。

Twitterやチェーンメールのような流言が飛び交っているんだぞと批判をしてる方。
恥ずかしいのでやめてください。
あなたが馬鹿にしている彼らはそのような偽情報を見抜くすべをだいたい持っているものです。

すくなくともググレばでますからね。
ググレカスと笑ったり哂われたりしてきた世代ですよ。
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ちょうど一年前か
中学生当時から強制されていた食事を一日一回しかも夜間のみという慣習を拒否して日中にご飯をたべるようになったのは。

まあほんとに揉めに揉めて強制などしてないとか何とか脅迫まがいの怒声や罵詈雑言を浴びせられましたが強制していないのなら昼に飯食っても問題なかろうと強行して家庭内でハルマゲドン級の大問題になりました。

さてそれを実効に移すに際して単なる生活習慣の改善とかいう生ぬるい言葉で表現できるものだったかというとそうではない。

もともと夜間の食事のみということで成長期を過ごしたりしたので身体が付いてこないのである。
ぶっちゃけ日中に飯食っては吐き飯食っては吐きを繰り返して、完全に朝昼の食事での生活が安定したのは・・・今年の3月のことになる。つまり先月。
これに加えて日中にご飯をたべるということへの罪悪感というか恐怖のようなものが今月にはいるまでは続いていた。

普通の人にとっては何のことない当たり前の話かもしれないが、その当たり前がいかに大事かということを。この言葉に続ける場合いかに大事かが見に染みて感じられたとかいう輩は本当の飢えというものを経験したことのないただのボンクラである。さて、食事を取るという事がいかに生きて行く上で重要かまで語ることが私にはできる。むしろ食事というものを機能として捉えることも可能なのです。

例えば食事というものは生命活動を維持する為に必要なものであるという前提がまずあります。
では、そこで必要となる栄養とはなにか。筋肉を動かすのであればカロリーで食事を勘定することだけでもいいかもしれませんが実際にカロリーだけを摂取しただけでは偏食による栄養失調のような感じになり、目が見えなくなったり(目のレンズの動きが変になったりなんか白くなるの)少し喋っただけで粘膜が破れて血が出るようになったりします。これは経験談。偏食するお前が悪いとか言われそうですが一応これは強要されていた食生活が原因ですので、念のため。
そこで必要となるのはビタミンミネラルやタンパク質、油分などの各種の栄養なわけです。
死なない程度の栄養をとって生ける屍のように徘徊するだけならばこのような栄養などいらないのかもしれませんが、健康で文化的な最低限の生活を営むには少なくとも一汁一菜などの食事のバリエージョンが必要になります。
これは例えば車を動かすのにはどのような油が必要かと考えたときにガソリンだけではなくエンジンオイルやグリスに電気などの様々な消費物を必要とするのと同じものかもしれません。

そしてこのような栄養をいつ取るべきなのかがまたひとつ問題となります。
食事とは生物が活動するために必要なエネルギーを摂取することを目的とするものである以上その活動に必要となるエネルギーを摂取するというスタンスで食事を取るべきものでしょう。

・・・なんかめんどしくなってきた。

朝ご飯をたべると力が湧くとかあるけどあれは主従逆転してるよね、朝からいい感じに動けるように朝御飯を食べて朝動くという習慣をつけるべきもんだよね。
夜間一色の生活だったときは一日の実働時間は体感的には6時間程度のものしかなかったように思う。けど今は朝昼食べるだけでその3倍くらい動いてるのにあまり疲れはないんよ。
栄養かつかつの状態で動くよりもお腹に物入って動く方が楽なのは当たり前。
それに加えて朝御飯を食べるという場合には軽いもので済ませられるからいいよね。
最近の生活は朝起きて洗濯物を洗濯機に突っ込んでフライパンを熱して余熱だけでハムエッグとかを作ったり(半熟にしたいときはこれ大きめのフライパンを使うのがポイント)トーストセットしたりして洗面所へ。もどってきたときに出来てる食事をとりながらヴィクトリカを愛で。さらに愛でつつ洗い物を済ませた頃には洗濯が終わってるからそれを干してとかそんな感じで動いてるけど、ご飯食べた後に動くんだという習慣付けをすると何かと役に立つ。
昼をきちんと食べるようになったのはそういう背景がある。
晩は下手するとケーキ一個とかばっかりだもんね。まだ身体が三食受けつけないの。

人はパンのみに生きるにあらず。
まあパンとサーカスという言葉がありますが、パンならスープとか栄養も大事。それと同じように心の栄養も大事。実際もしらばやってなかったら健康問題で自殺してたからなぁ。多様性というものは傍から見ている人間にとっては大した問題には見えないものかもしれませんが、その多様性の中で生きる人にとってはとても大切なモノなのです。

さて、いろいろと忙しいけど心の栄養も大事だよね、さてさて、ぶきっちょ剣士と共に旅立ちますか。・・・←オイ
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