暫定ブロードキャスティング

近況: 農業高校ラブコメ 「のうりん」(GA文庫 ライトノベル) は8月12日からきっと大絶賛発売中!!! ちょっと何かに似てるかもしれないけど気にするな!意識してるだけだ!!

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バッファ

23の小娘が悔しくて泣いた。

すべてはここから始まったのだと思います。
私のふるさととも言える職場での話です。

ミスして、誰かに迷惑かけて、謝って、期限までにそれを修正して、反省して、次にこういうことが出ないような改善案を考え出して、それで泣いた。

最後のひとつが私にはなかった。

ただひたすらに自分が許せなかったんだと思う。
決して口は割りませんでしたけれどね。

一方でやさしい助言にもかんしゃく起こすような大人もいます。
みんなが優しくしてくれます。そのやさしさに包まれたまま平和に過ごせることでしょう。
それはそれでいいことなのかもしれません。

はっきりと自覚できたのは私はそういう箱庭が許せない性質だということです。
けれどあの子が泣いた姿を見なければ、私はきっとその箱庭の住人になることを選んだことでしょう。

まったく以って迷惑な話です。



今までいろいろなことに流されたままでしたいろいろな状況とかなんかいろいろ。

ここでひとつまったく何者にも流されないような時間を作ってみようと思いました。
決して流されることなく、自分でなにかを見つけなければならない時間です。

この一月の結果は、すべてが自分の責任となります。
ルールとしては就活をしない。などすべて自分のためだけに過ごすということです。
こういうことをやらなければいけないからという言い訳を許しません。
すべて自分の意思にゆだねます。



ヨーロッパあたりでは休暇といえばバカンスで長い休みを取るという習慣があるところもあるようです。
何もしないでいる贅沢を満喫するための時間であると説明されることもあるようですが、私がどこかで聴いた話によるとそれはひたすらに生活に集中する時間であるといっていました。
それはどういう意味なのかわかりません。
人間という規格の社会によって侵食された部分を修復するために使われる時間なのか。
はたまた、日本で言うところのはれとケという風な崇高な文化背景があるのか。
今はまだよくわかりません。

今の感覚ではなまっていた自分の感覚を叩きなおす時間になるだろうと思います。
本をまた読み始めました。
近所の本屋さんはとてもすばらしいラインナップを用意してくれています。
こういうところを見習ったり。
今まであまり縁のなかったふるさと会社のほかの店舗に遊びに行ったり。
今まで自分の中で渦巻いていたただの考えを実証するために取材活動を行うかもしれません。

学生気分です、ははは。
もう一度初心に戻って自分の意思を再確認しようと思います。
ここで確認したものにしたがってこの一年を突っ走って見ます。
障害も蹴破ってしまえ、という勢いで。

私に足りないものは他人を叩きのめしてまで自分の意思を優先するような強さだといった人がいます。

輪を保つことは必要ですよ。私は知ったような口を利きました。

それでは君が誰かに責任を負っている場合、自分の周りの輪だけを大切にするのかい?

あの人は意地悪なので善悪の話には持ち込みませんでした。
どちらを取る人間なのかという問いかけをしたのです。

すでにあの人は故人です。
けれど同じような質問をした人がほかにもいました。
まずはその人に会いに行くことからはじめてみようと思います。
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優しい嘘に居場所見つけて、夢の中に逃げ込んだ

いかん、今無職なのにとんでもなく忙しい。

特に人に会うということをしているわけではないのに、スケジュールがつまりすぎ。
なぜだろう。

ということで今月の更新は先月の更新数には遠く及ばないようです。


今考えているブログネタはいろいろあるんですけれども、パソコン関係の改造ネタ、というよりも一万円でできるパソコン最低限のアップグレード作戦、とか愛用しているMX510というマウスが遊撃部隊と化している現状でメイン用にMX518を追加した状況とか、あさってから始まる裁判員制度の解説とか、geforce7600gsからradeon4670に交換した場合の画質の向上の件とか、光の液晶保護(目保護)パネルに関する追加報告とか、中国から手に入れた怪しげな光ケーブルについての情報だとか、いま読める新聞が読売だけなんで今回からは一日一日ごとに各紙のまとめというかウェブログのようなことをやってみようかとか考えていることとか、小説ページを立ち上げたはいいものの市街戦の描写がまったく想像がつかずに停滞していることとか、その資料のために頂き物の猫の写真集を見ていることとか、部屋を片付けていたら出てきた三大テノール夢の共演のCDでごく一部の歌について皆さん異様なテンションをお持ちになっていらっしゃったようなこととか、町歩きのこととか、そもそも長崎、熊本旅行のことについてほとんど書いていませんし、新しく始めたことについても、時間がとられそうですし、何やってんだろう、この状態で仕事見つかるの?

全部私事じゃん。

とは思うんですけれどね。
今挙げたのは私事なんですけれども、ほかにもやらなくてはならないことが山積みで仕事を言い訳に放置してきたことが今が好機とばかりに攻め立ててきます。

へるぷみぃ~

死ぬ、死ねる。

引っ越したい、何のしがらみもないどこかへ。

もう九州万歳とか言いませんから・・・どこか遠くへ行きたい・・・北海道とか・・・


小説というのは難しいですね、現代ものの簡単なやつとか短編なんかは昔書いていたんでかけなくはないんですけれども、そもそも会話がほとんどないようなものなんでどちらかというと筋書きというか思考速度にあわせていると何かの原作レベルの筋書きにしかなっていないようなものばかりだったのですけれど・・・そもそも思考がぽんぽん飛ぶために順を追って何かを描写していくというものは難しい・・・

何かを学んだというわけではないんですけれども・・・どうなんでしょうね。才能というか書けば何でもできてしまうというタイプの人というものはいるもので、それは小説にしろ仕事の文書にしろです。
うらやましいなぁ。

わっちはそんなふうな適応が苦手な部類なんでいつもいつも初めで躓きます。

躓きはするんですけれども、慣れれば結構楽にこなせるようになります。


そろそろこのブログが一周年を迎えようとしています。

始めはあのくらいの分量を書くのに何度も頭を悩ませて、時間をかけてどこかで見たような文体とか基準とかを使った自分らしくない文章が出来上がっています。

普通の人はそこからもっとその文体を練習して状況に見合った文体を取得するのが普通の学習という過程です。


でも変な方向に向かう私。

どうしようもありません。
ただ書きたいように書いているだけですから。

ただこういうことは私事である分にはいいのですが人とというより社会とつながりを持つという段階にあってはそうも言ってられません。

自分にあった仕事を見つけて苦痛なくすごしていくことがこの国では至高とされています。
そして、そういう言葉を失敗した人間にかけることがやさしさを示す儀式であるのです。


くだらねぇ。


別にもう思い出したくもない某所のことを言っているわけではありませんが、こういう言葉というものは成長を抑止してしまうものですね。妹が働きたくないとか言いやがりましたんで俺のようになりたいのかといってやりました、私の場合には体の問題とかあるんでなんとも言いがたいんですけれども何かに合わせて自分を変えるということを続けていかなければずっと子供のままでいることができます。

子供と大人の違いは庇護してくれる人がいるかどうかです。
その庇護というものはたいていの場合愛玩動物としての庇護です。
そいつの将来がどうなろうと知ったこっちゃない、今が甘ければそれでいいと考えている人ですね。

幸運にも私の周りには多少つらい思いをするかもしれないが将来に向けたキャリアといえるものかどうかわからないけれど決してマイナスにはならない経験をして見なさいといってくれる人が何人かいてくれました。

ただ対照的にね、優しい人に囲まれて育った人を見てしまったんですよね、そういう人たちって大体同じような共通点があるようです。

そういう人生に片足突っ込んでいる自分を見つけてもがこうとかそう思った。

まずはやせなきゃならん。ということで毎日腹筋は300回、腕立ても。がんばっています。
意外と時間をとらずにできるもんなんですよね、こういう努力は。
一分一秒を大事にするという緊迫した状態というものではないんですけれども一分一秒でも集中することができるという意味合いのものなんだと思います。

決して、ながら作業にはせずにその行動に集中する。ということを続けています。

そのおかげで腹筋がわれ始めてきました(わぁ~い)

あれですね、腹筋もいいんですけれども肩甲骨を引き締めると疲れが吹き飛ぶというか気合が入ります。お試しあれ。

こういうことを書いてくれているいい本があるんでそれについても今後紹介していこうかなと思っております。

自分変革作戦行動中。
そのほかには新聞の音読とか一分間フリートークとかの練習をしています。

一月に撮ったものと比べて声が腐ってやがる。これも何とかしなくてはならないと思いました。

それと難しいですね、一分間のフリートークというものは。プロの方でも五分のフリートークは難しいといわれていたので自分なら一分で十分だ!!とか思ったんですけれどもね。

ちなみに今回用意したマイクはオーテクのものと、ロハス?とか言うところのエリザベスカーラーつきのもの2980円のものなんですけれども確かに音が違いますね。

これはインピの問題もあると思うのですけれどもオーテクのほうが主線がスムーズに連続しています。
これに対して、安物とはいえもしかしたら蟹が偉大なのかもしれませんがロハス?の方がやや腰高の泡だった音になります。こっちのほうが無理のない規格だというだけなのかもしれませんが普段はこちらのほうを使っています。
使用録音ソフトはサウンドレコーダー。


こういったちまちましたところにほころびというか何かの影が付きまとい始めているようです。
敵は必ずしも狼の皮をかぶっているわけではありません。

たいていの場合には羊の皮をかぶってやってくるものです。

そういう優しさを示す場所になるだけであろう裁判員制度解説の予告編ということで今回の落ちにつなげようとしたんですけれども・・・無理がある。
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五月も終わり

本当に何もないままに終わってしまいそうですね。
うまいこと力が抜けたと言うことが一番の拾い物だとは思いますがそのほかにもいろいろと環境を整えるすべを得ることができたことが最もいい取得スキルだと思います。


<<陣地構築スキルを手に入れた!!>>


外に出たくないよう。


地水火風光という四台元素プラス光と言う概念がありますがこれはファンタジー世界から出たものと大体の人は思うのかもしれませんが思いのほかまじめな意味がこの中には込められているのです。

これは宗教的な意味と言うよりももっと現実的なご利益的な意味においてです。

都市計画という意味においてかなり重要視されていたものでもあるのです。
宗教が先の五大要素を用いて為政者を指導していたと言うものではありません、私が勝手に結び付けているだけです。しかしフランス革命後のパリの都市整理においては風と光と言うものが意識されていたと言うことらしいです。詳しく誰がどうしたと言うことは知りませんがそういうことがあったらしいです。

地というものは地盤ですね、もしくは平野あるいは地政学的なものとでも言いましょうか。今栄えている都市と言うものは大体が歴史的に見てかなり古いところばかりではないでしょうか。
福岡市にしてもそうですしね。最低でも江戸時代のいつごろかからに単を発すると言うものがほとんどではないんでしょうか。
当時としては交通システムと言うものを構築することが難しくおのずから開けた道を前提にして都市計画を作っていたことは明らかです。今栄えている都市と言うものはそういった昔の人たちが何とか栄えることができる場所はないかということを苦心の末に見つけ出した結果だとも言えるのです。

水と言うものは都市が成立するには不可欠なものであると言うこともう特にいう必要もないかと思われます。人を生かすには水がなければなりません。さらに生産力と言う点においても治水と言う技術は必要なものでした。さらにさらに物流の経路としても水利は欠かせないものでありました。
最近はこれに航空機とかが加わってきていますがとりあえず大量輸送という点においてはいまだに船と言うものの存在は欠かすことができないものなのです。
私が時々書きますが最終製品として人が手に入れる物量が少なくなる、たとえば自動車を買う人が少なくなると言うことはそういう自動車、あるいはその部品、原材料を運ぶための運搬機関も縮小することになります。ですので船などの重工業あるいはその原料となる鉱工業も縮小すると言う流れになります。
最近ではこういうインフラが錯綜してかえって混乱を招くようになることが多いらしいですがね、どこかの世界最大の港とかのたまっているところは、そういうのは購買者があることがまず第一であり、それに大量輸送というものは遠隔地に対して大量に運ぶと言うことにおいてその真価が発揮されるものです。そんなもん作るくらいなら鉄道作ったほうがましということのほうがあるようですね。空港も似たようなもん。
報道では目標達成とか言っていますが資金の返済とか言う長期スパンで物事を考えたときにそれは果たして好調と言えるのかと言う視点も持っておくといいのかもしれません。

火というとたいていの場合には大火にどう対応するのかと言うものになります。
大火だけではなく都市と言うものは国全体に対して心臓のような役割を担っていますのでこれが少しでも停滞することになるととんでもないことになりますよ。
先にも言っているように最終製品が購買者の手に渡るのは都市での割合が圧倒的に高いと言うのは疑いようもない事実ですからね。市場がなくなると言うことはこういうものを作って供給している人たちの仕事がなくなるということになるのです。復興に資金周りが存在するとかいう反論もあるのかもしれませんがそれまでに失った期間の売上高をチャラにできるほどかどうかは疑問です。

もしかしたらこの世界を作り変えなければならないとか言うやつらならばこういうことやるかもしれませんけれどね。
こういうことするくらいなら政治能力の高い首長一人を放り込んで少しずつ都市改良させるほうが問題点とそれに対するログを取れますのでほかのケースにも適用できて効率的だと思いますけれどね。どうでもいいことですが。


それで最後に風と光です。
これは風光明媚ということばに代表されるように都市を明るくさせ、人を呼び込むと言う効果が期待されているものなのです。

都市がきれいで清潔ならばきっといいことがあるに違いありませんからね。

と言うのは頭の中が幸せな人たちの理論であってこういうやんだ人たちの頭の中に風と光を通すことで病を吹き飛ばすことが期待されているのです。

基本的にこれは疫病などの病魔に対することが期待されています。
中、近世ではこういう機能だけでもよかったのですが現代ではさらに夜間の経済活動を保障するという役割を持ています。
夜間でも明るく殺人鬼もはいかいしていないような都市だからこそ夜遅くなっても飲み屋とかで騒いでいられるわけですね。
風紀を粛清するとかいってこういうものを禁止してしまえば日本の経済はほとんど立ち行かなくなると言ってもいいんではないんでしょうか。
人間の活動時間を長く取りそれによって消耗したところに病魔を率いこまないと言う意味合いが強いのです。

最近では駆動時間が長くなった結果別の問題が出てきているのかも知れませんがね。




それで今回の本題です。
こういうものは属性的なものですね。
属性防御を持っていればいいのですがそれは必ずしも都市ごとに決定されるのではなく人ごとに決定されているものなのです。

毎年このくらいの時期に献血に言っているのですが白血球の上昇率が半端ね絵です。これに加えて赤血球も。

抵抗力は上がってきているみたいです。

最近はやっている病魔さんは攻撃力自体はたいしたことはないようです。
それでも属性的に耐性を持っていない人にとってはクリティカルヒットになるらしいですね。
属性を持っていなければ装備品で属性付加すればいいものなんですけれどもこういうのを用意できない人もいるわけなのです。

この病は10年後の教科書化なんかではどのように書かれているのでしょうかね。
ペストが貴賎をとわない猛威を振るったということにたいして貧者の病と紹介されているのかもしれません。

いわゆる都市機能というものはそこに住まうものすべてに対する地形効果と言うものが付加されるもののなのです。理想論としてはね。昔で言うところの産土神というものです。そういう機能がなくなり始めている原因はいくつかありますがあまりよくない理由で都市とそのほかの区別がつかない時代になっているのではないかなと思えました。
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