暫定ブロードキャスティング

近況: 農業高校ラブコメ 「のうりん」(GA文庫 ライトノベル) は8月12日からきっと大絶賛発売中!!! ちょっと何かに似てるかもしれないけど気にするな!意識してるだけだ!!

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |

派遣とかなんかいろいろ

20日までに持ってきてくれといわれて20日に持っていくのは愚か者です。もしくは相手の困る顔を見たいSか。

そんな世界にもうすぐ私も仲間入りっ♥

もうやぁ~


もう首切られてもいいやと思いながら自分勝手にやり始めました。
当然ながら少し胃が楽になりました。
中途で業界未経験でとかで散々素人扱いうけてきました、否定はできませんが私よりキャリアが長いくせに基本ができてない人に言われるとやはり腹が立ちます。

まだ二十代ですしね。
たぶん、何とかなるなるっ!!

あはは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ・・・どうしよう。


学生のころはキャリアが汚れるとか言う発言を聞いて何言ってんのこいつとか思っていましたが一度なまりだすと復活するのは難しいんでしょうね。腐りたくないなぁ・・・とか思ってると段々周囲と壁を感じたり作ったりしているような気がします。四面楚歌です。寄らば大樹の陰なのかもしれませんがガラパゴス諸島に取り残されたくはありません。筆記ーですが。


刑期の話になるのですがどうやら自動車関係は持ち直すというか生産拡大の見通しで動き出すみたいですね。何だっけ?どっかの新聞の記事では57パーくらいの増産だっけ?以前の7か8割くらいになる。ほかの記事と混同してるかもしれませんが大体そんな感じで動くみたいです。

どこで読んだんだ?





景気って悪くなるんじゃなかったの?だから減産したんじゃなかったの?何で派遣切ったの?ばかなの?しぬの?



とか思ってる人がいると思います。

思って当然です。

ここでいつものように不確かな知識でケイオスを導く妄想を展開していきたいと思います。

信じるなYO!!

うわさは自分で確かめるものです。うわさだけで動くのはただのぼんくらです。それについていくのはよく訓練された商売人です。それに乗じるのは普通の人たちでその人たち相手に普通の商売始めるのが大多数の人たちです。
結局、この世の主導権は直接言語を用いて指摘することは憚られるぼんくらさんたちの手にゆだねられているのです。
15兆!!ってきいて真っ先に投資した人たちの犠牲は決して無駄ではありません。動きを予測してどこに投資するか決めていて15兆の発表前から投資して短期の利ざやで売り抜けることがいいのだと思います。要はショックから正常な淘汰が始まる前にまっとうな投資に戻れといっているのです。fゃってみ八日なって思いはじめました。

もうお金稼いだらどっかに引きこもって暮らしたいと思います。
2億稼いだら声優になるために上京します。

声だしを何十年かぶりにやったらもうなんというかすべてのスキルというかコツを忘れてますね。気持ち悪い歌声をいろんなところに投稿しているナルさんたちとあまり変わりありません。なんということだ、技術だけで市内三位に数えられたことのあるってのに・・・過去の栄光にしがみつく典型的なだめ人間のお手本が私です。




とまあこのように人は誰しもある程度計画を立てて行動するものです。
二億稼いだら声優になるって言うのはお金の心配せずに好きなことだけやっていたいとか言うふざけた根性が元になっていて切羽詰った迫真の演技とかはできそうにありませんが、その見通しが何億円も動かす場合には事情が違ってきます。

・・・無理に例を入れるとかえってわかりにくくなりましたね。例というものには具体例(実例)と抽象的な例と寓話的な例などいろいろありますが私のようにセンスのない人は特に入れないほうがいいと思います。入れるなら初めに思考のモデルを提示した上でそれを例によってトレースできるように説明していくのがいいようです。・・・知識だけあってもうそれをやれとかいわれてもできませんけれどね。

だから事前にプランを立てておくのです。損で行動に移るのです。プロでもフリートーク5分とかはつらいらしいです。ましてや公演とかおや。信頼できる公演とか演説にはこういう裏があります。当たり前ですけれどね。こういう事前準備を人に見せるかどうかはその魅せる人のセンスとか相手とかつまりは文化次第です。この辺は演出ですね。愚だ愚だ書くと長いのでやめます。


簡潔に書くとすぐに終わってしまうんですが背景とかも含めてまただらだらと書きます。


商人というものは製造業の場合商品作って売ってお金稼ぎます。

お金を稼ぐために使うお金がコストです。はしょりすぎですがそう考えてください。

コストでお金を購うって言ったほうがいいのか?よくわかりません。商売って言うのは基本こういうものです。


唐突ですが天神に出現したという白いキューブハウス。何年か前にとある雑誌で見たぞ。とうとう売りに出したみたいですね。試作段階から量産化までが面白いのです。終わったものに興味はない。すべて白い部屋って気が狂いそうなんだが・・・・1344万円かぁ・・・いらんよ。こんなこてこての量産型。基本構造を変えられない量産品であるからこそ安く仕上がるのです。昔の団地とかと同じです。・・・団地妻の後継とか現れるんでしょうか?

ふくろうかわいい~~~♥

こういう子と一緒に大きな田舎の一軒やとかで戯れながら過ごしてみたいです。

ふくろうのほうですよ。

ここで言うコストにはいろいろあります。材料費だったりそれを加工する人を雇う賃金だったり、何か特許とかライセンスを利用する場合にはその権利者にお金払わなければなりませんし(例F15)。製品を作る前にはデザインや企画をする人を雇うお金が要りますし、製品を売りに行くにも輸送費とかかかります。

安いとか言うものはこういうものがどっか欠落していることがあるのです。
ところで修理に出した時計はいったいどうなったのでしょうか?まったく音沙汰ありません。

このようにサポートに対応しないということでコストを削減する方法もあるのです。
変に安いときは注意しましょう。こういうところ考えるとバルク品などは流通上のB級だと割り切って買えますので安心です。


コストはこのほかにもいろいろありますが私たちが買う値段とはまた違ったものです。

値段にはコストに加えて利益などが加算されます。製造者とか販売者とか。定価というものはこの二社の利益が合わさったものなのですが、メーカー直販などではメーカーが定価に含まれた利益を全部取りできます。販売にかかるコストを払ってでもこっちのほうがいいならメーカーはこっちをやります。基本的に値引きなどしません。イメージとか何とかで何もせんでも売れるからです。さっき書き忘れましたが広告費用がかからないというのもあるかもしれませんね。

このほか売れ残りのリスク引き受けとか。
たとえばDOCKケーブルを100本を一本一万円のコストで仕入れたとします。
心優しい私は利益を一本一万円として値段を二万円に設定してこのブログで販売します。

残念な子がいっぱい買うに違いない。とか心の中で考えるのですが、もしかしたら残念な子は思っていたよりずっと少ないかもしれない、単発が多すぎる。

もしかしたら買う人は20人くらいしかいないかもしれない。

そう考えると40万円しか手元に入らず短期的には赤字になってしまいます。
60万円の損。まじぱねぇ。

そう思った私は泣く泣く、心を痛めつつ一本5万円で販売することにしました。そして運良く売れました。20っポンだけ。
こうすることで少なくとも赤字を回避することができます。

実際にはこういう判断難しいんですけれどね。ケーブルならいいけどコロッケとかだとどうよ、生ものとか。広告費で吸収させるという手もあるのかもしれないけれど結局はコスト内での差し替えに過ぎませんので根本的に解決になっていません。
在庫としてまだあるからいいじゃないかと思われますが、抽象的な商品であるならばともかく具体的な名前を挙げられるような商品ですと時期を逃せばただの不良在庫です。30年前のプレミアも何もついてないアニメグッズを当時の値段で買ってくれる人っています?

経済論とかはこういう商品名が出てこないので胡散臭くて落としました。向こうが悪いのです。きっと。

このようなリスク等を考えながらお店の値段は決定されているのです。100本全部売れるとわかっているならほかのところとの競争上の問題から利益2000円にして多売してもいいのです。
利益の部分で普通は競争されています。イレギュラーなのが在庫とか、これはもうお金だけの問題ではないんです。めんどくさいのです。


普通はね。

それではここで本題に入ります。

コストというものは商品を作成するチームを運営する資金であるとも言い換えることができます。

この資金を使って企業は運営されています。
これはもうめんどくさいのでチームが物の調達に使うお金、人に使うお金、とか簡単に考えてください。

この人に使うお金というものの振り分け方に不具合が生じたというところに一連の派遣切りとかの問題が隠れています。

こういう風に人に使うお金というカテゴリでその資金の振り分けを見てみるとものすごい疑問が出るので敢えては口にしませんが、一人にかける平均値というよりも振り分け方に偏りが大きいような気がします。これは賃金だけでは判断できませんが福利厚生費とかを考えるとものすごい差がありますね、そのほかお金の力というものがまったく違ってきます。大金はより一円あたりの力が強く、小金は一円あたりの力がものすごく弱い、何言ってるかわかったらすごいですよ。食事とか寮とか交通費とか優遇されている人とされていない人、企業から人のラインではなく人から社会へのラインでものを考えなければなりません。ここで言うラインというものは線引きして隔てるラインではありません。つなぐラインです。経路という言い方もしていますね。パソコン関係だとバスとか言うものです。この発想はここからいただいたものです。古くは信長の野望とかに起源があるんでしょうけれどね。
この世界が隔てる線で構成されているのか、繋ぐ線で構成されているのかという論争が大学時代のノートに書いてありました。成績はさっぱりでしたが小説のねたになってくれているので大助かりです。どちらが勝ったのかは今の私の語り口からしてみれば一目瞭然ですよね。このほか書いていた共有論争なども面白い読み物でした。


さてさて、そこでなんで派遣の話が出てくるのか?

派遣はコスト削減のために導入されたものだという話があります。
その程度のことは誰でも知っています。
そもそもさ、派遣って派遣会社挟むのにどうして安く済むの?

どうしてで話を進めるのもいいですがまどろっこしいので結論だけ言ってしまいますと賃金しか払ってないんです。

基本的にバイトと変わりません。むしろ人事的な扱いでは大して変わりません。給料支払いや首切るときに派遣会社が通知するのが派遣で直接通知するのがバイトです。パートとバイトの区別がつかないんですがどういう区切りなんでしょね?あと契約社員。このほかにも準社員とか言うのもありますよね。

そもそも時間の長短ぁがとかいわれても・・・ねぇ。お察しください。

長時間働いた場合の社会保障の有無だ・・・とか言われたんだけどね・・・このへんは会社次第です。しっかりしたところはちゃんと対応してくれています。

特に業務内容が変わるという話もあったりなかったり、これもまた会社次第。

つまりは階級用語であり差別用語でもあるのです。







こういう風にして日本は被差別階級の再生に尽力し、総中流社会を廃して市場を縮小し、自分で自分の首を絞め自ら破滅への道を突き進んで行っていたんですが空気を読めない官僚だか議員だか知りませんが時限式の罠を仕掛けているのが最近一部の業界とかで話題になり始めているようです。
新聞で扱われていた・・・という記憶がないのですが・・・どういうわけなんでしょうね?たまたま偶然運良く私がそういう記事をスルーしていたからなんでしょうかね?


派遣関係の法令を読めばわかるらしいです、私は適当な抜粋のみを見たのでなんともいえませんが。

WIKIでも何でもこういうところ自分で調べて裏を取る努力しようね。誰も彼もが丁寧にソース出してくれるわけではありませんよゆとりども。ゆとり以外の人も。ね、だからそれはどこから引っ張ってきたデータなのさ?教えてくださいよ・・・
あたりをつけるための情報と人を説得するための情報では要求される信頼度が違います。昔ナイル川の夜明けというゲームがありましたがその中では情報に信頼度とか言うものをつけていました。なんとも生々しい。どの程度の情報で行動を起こすのか・・・こういうものは白黒で決められるものではありません。そんな簡単な世界だったらいいですよね。最強とかどっちがいいとか・・・
裏技というほどのものではないのですが外交で貢物を何回も持って行かせると邯鄲に将軍のレベルを上げることができますよ。横陣、弓兵で矢の雨を降らせてやりましょう。重装弓兵はだめですよ。手数、つまりは物量で叩き潰すのです。戦争はそこそこの質のある数nanoです。

大きな設備とかは確かに大きな金かけて大きなお金を生みます。
しかし終局的には個人の手元に商品を届けるというラインに乗っている以上、その受け手となる個人の数が縮小するならば当然全体のラインが縮小しいくら生産しても物は売れません。それは商品も原材料も同じことです。
こういったものの流れというものは自然も経済も変わりません。自然の回路から原材料とっている経済回路自体全部ひっくるめてひとつの回路です。これまた小説ねた。経済も大自然の一部とか言う電波なことは言いません。どっちが上になるか下になるかなんて私の知ったこっちゃないよ。回路というものは道があってそこに電流が流れることによって機能します。どこかひとつきゅっと絞ると流れる電流というか水といったほうが言いかの流れる量は小さくなります。

このように考えるとぷらねてすって深いなその回路をどこか遠くに繋ぐよりも足元に張り巡らせようとしたのがあれのテロリストの主張でした。主張自体はありふれたものなのかもしれませんが対極的な位置にあるもの同士をぶつけているところがものすごく印象的です。人がどれに命かけるかはまた別の話というリアルさもまたいい。

抽象的な経済理論ではたとえば2兆円を投下すると階乗だったかの経済効果が国内で起こるという計算が成り立つようですが、こういうお金がどのように流れるのかという言及には少なくとも触れたことありません。回路の配線が不明瞭なんです。

こういう抽象論とは別に政策技術だったかの話ではもう哀愁とか語りとか捨ててお金がどう流れるのかを考えるのです。
日本という国家のパラメータをあげる場合にはほうっておいても成長しそうもないインフラにお金を投入することによってインフラの数値を上げほかの発展を誘発するという目的でまず建設業にお金を投下します。そこから豊かになったところがほかのところから買い物して買い物してもらったところが豊かになってほかで買い物して・・・というふうに経済効果は波及していくのです。

現在ではインフラが大体発展してしまったためにインフラ投資する効果があまりなく、ほかの問題として企業の利益が個人に配分される割合が非常に少なく個人国民(これは誤用にあらず)を相手にする市場が縮小してしまったという問題が発生しておりこちらのほうが、個人の生活保障や未来の保証すら危ういという形になってしまっているため優先的に対応する必要が出てきました。

格差イコール悪とか言う頭悪い脊髄反射やめようね。それがどういう事態を引き起こしているか考えようね。

この事態を短期的に処置するためには以前書いたように定額給付金という手はもっとも有効であると思いますし、15兆円の内訳や細かな用途を朝日の夕刊で見ただけでもこういった個人というセクション周りの回路の弱いところに直接お金を投入しようとしているように見えます。地域振興費が確か2000億程度でしたよね。いろいろありますが大きな組織をどうこうしようというものではないのだと思います。

このような政策の効果と政策の実行にあたり予想される敵をやり込める政治力というものは別のものです。政治力の話はこの際どうでもいいです。むしろ、効果の問題はなしてるのに、反発が出るとか不公平だとか言う発言をするならばほかに案を提示してから言ってください。論点がずれすぎています。それすら理解できませんか?





このような労働配分率の低下という事態は人間の値段の安さが問題になっています。

よく企業の誘致で地域の活性化をとか言っている程度の低い政治家がいます。
企業は基本的にコストを省くため安い労働力とかを求めてやってきます。そういう企業が人を雇う場合いったいどれだけ人に払うお金を裂くのでしょうかね?
ほんとにどん底ならそこからはじめなければなりませんが、私が住んでいるところはそんなに田舎ではないのでこういう主張はワーキングプアを量産しますとか言ってるのと大して違いがないように思います。
税収だけ増えればいいんですか?

滅びればいいのに。

一方で古参の政治家などは言うにしてもこういうことは最低限にとどめているような気がします。前の選挙ではうちのところではありませんがしっかりと地に足の着いた老人ケアの問題に対する具体的な施策だったり何たりチラシには項目羅列しているだけでしたが能力の高いとうならせる人は確かにいました。その個人か優秀なスタッフを抱えているのか知りませんが投票するならああいう人です。うちの選挙区にはいませんでしたけれど。女だから女の気持ちわかるとか男だから男の気持ちわかるとか妄言ですね。何するか言ってください。


こういうと企業が悪いとかすねているだけのような気がしますが企業にも企業なりの言い分があります。

少なくとも高い給料払うならそれ相応の能力のある人を雇わなければやっていけません。

解決策について予測はつきましたか?

一人当たりの稼ぎが大きい仕事ができるようにならなければ企業も立ち行かなくなるのです。

実際どの程度の余力があるのか知りませんがね。少なくとも利益は帳簿に上げて株価を吊り上げるために使わねばなりません。何でかしらんけど。他人にやる必要はないと考えています。ほとんどの会社。給料は利益ではなくコストに分類されるものですので、儲かったから給料上げてやるという話はそもそも論ではありえない話なのです。利益は株主に配分されるのです。一般的に言われる会社員はただの被用者ですからね、社員とは性格には株持ってる人とかのこといいます。

じゃあその一人当たりの稼ぎが大きくなるようにするにはどうすればいいのん?


とある人の本のレビューを見たところでは日本は全体的に金融業にシフトするべきだといっていました。

それは飛びすぎですね。九州が独立した暁にはそういう一点集中の戦略でもいいと思いますが日本の人口規模を考えると教育に力を入れて優秀な人材を短期に育てられる機構を組織したほうがはるかに効率的かつ現実的です。

今使ってる人のレベルが上がればお給料上げてもいいよね。ということなのです。

現状の問題点は安い賃金も確かに大きいと思うのですが無駄に長い仕事の拘束時間が何よりも問題だと思います。

仕事をしながらレベルアップを図る場合には時間と教育機関が必要になってきます。

教育機関の場合もともと人を育てるという感性がまるでない日本の場合には工夫次第で成長の余地があります。そもそも論で言葉の定義から始めるマニュアルからハウツー本へ移行するだけでかなりの成果があると思います。英語ならまずアルファベットの読み方から教えろよ。それから現実的にはどのようなスキルが必要なのかをリストアップすることです。即戦力とか言う頭の悪い総務の頭を捻じ曲げて自分の会社がどういうスキルを必要としていて何が不足しているか自覚させましょう。あと欲張らずに必要レベルの要求をさせるようにもしましょう。それからこれはスキルであって資格ではありません。何でもかんでも資格にしてしまえばいいというものではありません。こういうランク付け好きですよね日本人。どうでもいいよそんなの。資格と免許は違いますからね。この辺は具ぐれ。



教育の質は高められるのですが時間というものはどうにもなりません。
ですがこれは文化の問題ですのでなかなかに難しい戦いです。
ワークシェアリングなどに期待したいです。が、会社というひとつの場所にどっぷりつかるということがいいことだという文化がある日本では難しいですね。
信頼関係を保つにはいいのかもしれませんが・・・でも八時間一緒にいて信頼関係築けない相手と十二時間一緒にいて信頼関係きずけますかね?
転職して初めてわかる元の職のよさ。
相手が礼節とか倫理のある人だと思えるなら時間なんか関係ないと思いますがね。
不特定への不信って何でこんなに強いんだろう日本。ブラックもシルバーも正義を愛する心は一緒ですよ。共闘OKです。

まずはこの辺から解決していく必要があると思います。
海外に行った日本人は教育した外国人が逃げるとか言って不満たらします。
けれどその人たちにも生活とか家族とかありますからね。特に信じられるのは自分だけって言う国では。

こういう人たちに対して自分に対する恩だけを考えろというのはいささか勝手な話ではないのかな?
あなたはその国から補助などを受けて進出していませんでしたか?

恩売って他人を縛れるなんていう甘えた考えが通じると思ってるのは日本が貧しくても野垂れ死にすることのない国だからです。

それから技術等の力点が企業でなく個人にある状態では技術のあるほうがえらいのです。

たいした見返りもなく恩で縛ろうとする考えは通用しません、きちんと報酬で縛りましょう。
恩どころか忠誠心や愛で縛れるのも日本人だけですからね。そろそろそういうゆとり社会も崩壊しつつありますが。ご恩には奉公です。成功してる会社って言うのは大体このほかきちんと信頼関係を築けているところらしいです。よく知りませんが。





そろそろ解答の時間です。

先ほどの空気を読めていない官僚だか議員だかの仕掛けた罠というのは・・・考え付きますか?


派遣社員を使ってとある仕事をする場合、その仕事を派遣社員を使って遂行できるのは労働組合との合意をつけて延長しても最長で3年までなのです。

三年たつとその仕事を派遣を使って遂行することができなくなります。人を代えてもだめ。

どういうことかわかります?

その仕事続けたかったら正社員を雇えって言ってるんです。おもに今まで使ってきた人です。

通訳とかはまた特殊な技能職なんでこの規定には当てはまらないんですが普通の人ならこれが当てはまります。



まったくの推測になりますが、景気の悪化に乗じて派遣切りをしたのはこういう正社員登用を回避してコストの増加を抑えようと考えたからではないでしょうか。
不況に対応してF1から撤退したようなところは端から人きりに行ったところに比べて信頼できる企業であることは確かでしょう。
このほか個人の話になりますがカルロスごーんさんがインタビューを受けたとき人員削減するならば社員を対象にしなければならないそれは本当にロスであるというようなことをいっていました、確か。派遣どうこうという考えはなかったのかな?知りませんが。



なぞかけたまま結びです。

特に落ちはありませんが社会というか文化というかそういうものを根本的に代えなければならないんでしょうね、それは決して苛烈な方向にではなく誰にでも優しい方向で。
社会保険の問題とかもそうですがどんな人にで自由にチャンスだけはあるようなそんな社会に、それは決して感情論を支えにしているわけではなくどこまでも機能的な理由で。
しかもその萌芽は断片的にですがすでにあちこちに生まれています。

その機能とかいう部分についてはまた後日。
スポンサーサイト
床屋談義 政治編 | コメント:0 | トラックバック:0 |

放課大学院の話とか

朝日の一面で最初に見たときにはあまり筆が進まなくてスルーしようとしていたんだけれど今度はその翌日に読売の一面でまたこれの記事を見た。
情報は必ずしも一撃で伝わるというものではないということですね。

大きすぎる情報、または不確定の情報、少なくとも情報というものはどこかから響いてくる影やもの音、そういったものと同じといいはあじめる変な人の話なのであまりまじめには取り合わないほうがいいですよ。

少なくとも人間は情報というものを外界から認識してそれを頭の中に再構成します。

黒髪ロングのきれいな後姿で颯爽と歩く人影を私は遠めに確認するとどのようにその対象を認識しているだろうか。

きれいな自分好みの後姿、この情報から涼やかながらも鋭さを隠し持った黒い瞳などの顔の情報や胸のサイズやみ身元に控えるイヤホンの種類などいろいろと私好みの情報を付け加えて理想の女性像を頭の中に描いています。
なぜかというと自分好みの後姿という評価が加わっていますのでそれを元にそのイメージに近いものが集まってイメージを補完するからです。

それでくるまで追い越す段になってわき見をしながらその女性を見てみると・・・現実は非情です。

ふらっと少し事故理想になりながらその恐怖以上の落胆を私は心の中に抱え込みます。

このように期待していたものと実装された運用というものは一致しないことがほとんどなのです。

情報とは距離的時間的に隔てたものを感じ取るためのものであり現在では門司というものでしか伝達されないことがほとんどですが最近では門司の夜景きれいだったよといって社目見せるということも可能になってきました。もしかしたら近いうちにはどんな手触りだったのかを伝えることができる伝達手段が発明されるかもしれませんね、それが初回特典とかにつくわけです・・・・何のかは気にしてはいけませんよ。

基本的に情報というものは自分の意識以外のものを意識の中に入れるために使うものでもありますね。これは情報を自分から他人に伝えるという自分他人の間のやり取りを自分対象の間で考えたものです。たとえ手元にあるものでも隠れた瑕疵(これはちょうごん表現ですよ)など認識できていないものはないものとしてそれはそれとされます。

自分の嫁がどんなに腹黒くてもそれを知らなければきれいでかわいい嫁のままです。ということです。


今日はそんなお話。というか明日早いのに困難改定定員かね?

ちなみに私は妹がいますのでお姉さんがいいです。30前後で福岡在住。今まで男性と付き合ったことのない晩熟な感じだけれど外ではクールなお姉さんで通っているような女性が好みです。しかってくれるけれど甘やかしてくれるその逆も結構、こんな私の相手をしてくれる辛抱強い方を募集しています。
ぶっちゃけた話、私の相手をできる人なら誰でもいいような気がします。
私の詳しいプロフィールはこのブログを読んでいただければわかると思います・・・うわぁ社会不適豪奢じゃないか・・・

何もさせてくれない美人より何でもさせてくれるブスを選ぶタイプです。


わかものもすなるなんぱといふものをわれもしてみむとおもふ

社会復帰プランです。やってみましょう。
こういう場合には相手に好感をもたれるような情報を相手の情報収集経路にちりばめているのがよいのです。あまりに完璧だとあれなんで少しぼろを作って・・・ふふふ、これが恐ろしい罠なのです・・・ふふふ・・・
根回しというものの基本ですね・・・というよりも事前に話を当てていれば他人からどこがどう思われているのかわかりますんで問題点が見つけやすくなるんですよね。

時間もないので本題です。


司法試験受験者資格を取るために行かなければならない放課大学院は全体的に合格率が低迷しているために学校の統廃合を含め学生数を削減して合格率を上げるそうです。

これを考えた人は何考えてるんでしょうね、教育機関がまともに機能していないから学生を削減しますとか・・・誰も考え付かないような荒業に出ましたね、普通の人の考えの斜め上をコブラでミサイル回避しようとして失敗してそのまま墜落していくような・・・さすがの私もその意図がまったく読めません。妄想も働かない。きっととんでもない天才さんなんでしょう。そのレベル、まじぱねぇ。


教育機関がまともに機能してないのならまともに機能するように経営関係の指導をするとか、運営上必要な教育レベルに満たない場合には補助金を下げたうえで指揮監督下にいれてレベルの向上に努めるとか・・・そもそも合格率って大切なこと何?もしかして歩留まりとか言う基本的なことすら知らんような筆記ーじゃないよね・・・定員われがあるということは司法試験目指す人自体が少ないというわけで質を要求するならば教育水準を、頭数が少ないならば定員を増やすなり入学条件を緩和すればいいのですし・・・現状で30%しか歩度マリがない状態で・・・必要とされる法曹数を確保したいならば・・・そうか、学生を削減すればいいのか!!そうすれば歩度マリも上がって・・・

んなわけないじゃん・・・ごめんなさい・・・私、まだ一般人のようです。




もうめんどくさいので文章にするのはあきらめます。以下は牡蠣フライ定職を注文して出てくるまでに書いた私のメモをほぼそのまま書き写すだけにします。

そのうちさらにめんどくさくなってメモのコピーをアップするだけになりそうです。




上の解決策に関しては私にしてはおとなしすぎるような気がします。別の方法も書いていますので興味のある方はぜひ読んでみてください。




適正試験で脚きりか・・・
ボートピープルとか門前払いにするわけですね、わかります。

教育の質が悪いってんなら上げろよ

結果的に必要量の人員を確保できればいいんだと思うがな、そもそも質云々は弁護士として仕事し始めて磨かれてくもんじゃないのかよ・・・アメリカは弁護士の数は多いけどピンきりだぜ、救急車追っかけていって訴訟しませんか?と事件を作り上げているようなもんもいるわけだし。これがいいことかどうかわからんが、たとえばこういうやつがいれば下手な医療施策なんか派手禁句なるだろうけれど医療者の保険が場か高くなってたりする・・・とにかく数増やせばいいってもんじゃない、向こうから見れば弁護し少ないのにどうしてそんなに平和なの?ってなもんでしょうに。アンビュランスチェイサーで具ぐれ場その辺の事情はわかる。


学生のころに司法制度改革の概要を書いた草案だったかを読んだ覚えがあるのだけれど各業界から広く人材を集めるとか行ってたんだよね、あれは広く放課大学院に引きこもれる人材募集という意味でしかなかったんでしょうね・・・実際にはどういう人が集まったんでしょうかね・・・多分ああいうところで求められている業界人とか言うのは毎日必死に働いている人ではなかったというものは目に見えています。弁護士を目指せるのは何年も仕事しないで放課大学院に引きこもっていられる人でしかありません。

ふざけてるんでしょうね。これなら実力次第で弁護士になれるチャンスのあった旧法試験のほうがよかったに違いありません、RECとかで夜間に地道に勉強してた人なみだ目、貧乏人ははいつくばってろという意味だったんでしょうね。

うわさレベルの話ですが放課大学院を作ったのはLECとかの予備校の儲けを全部大学の資金源にすすことが目的だったとか・・・これはおそらく流言蜚語の類なので決して信じてはいけませんよ。お金など求めない清く清浄な教育のために立ち上がった人たちの楽園へいたるまでの熱き物語なんですからね。こういうコンセプトで科学はすべてを解決する、世界とその人々は科学によって導き出された最適な人材配置によって楽園は誕生するとかいって失敗した国ってありましたよね。どうでもいいですが。


広く人材を求めるんなら門戸を狭めることはその基本理念に反すると思うのだが、ワーキングプアを経験してこんな非道な社会を正したいと思った人は指をくわえて見ているしかないのです。・・・先ほど行ったボートの人たちの例を調べてみると面白いかもしれませんね。彼らはまず始めに弁護士を育てるそうです。何のためかはお察しください。自分たちを守るためです。

このように一部の人たちにしか門戸を開かれないのであれば弁護士になれるような人たちは限定されてきます。弁護士というものが公正な中立性を持った聖人とか思ってる人って平和よね。そこが日本のいいところだと思うのですが。このよはそういう聖人に治められるのがいいですよね・・・いつの時代の政治感なんでしょうね。そろそろそんなことも行っていられなくなる時代が来そうですが・・・日本人は一枚岩という時代ではないのです。ここでもまた書きますが総中流のよさというものはこういうところにあったのでした(過去形)

従来日本の法体系は同族の中の個人同士のいさかいを主眼に成立してきました。大きくても村程度の主体しかありませんでしたし。そういう単純な世界では距離が何とかしてくれたんですけれどね。今は時代変わりましたね。

驚くべきことに行政が権力を行使するのにその手順を定めた手続法ができたのは確か平成は行ってからなんです。異常な事態ですよね。そもそもが政治ってのはどっかとおくのも名だったのが自分の生活の周りに影を落とし始めてからこういうものが出来上がったんです。

今までは同族の中に生じたイレギュラーを排斥すればよかったものなんですが現在になってその様相は変わっています。その程度のことはお分かりですね。

対立するのは経済的な階層ごとであったり、マックの訴訟とかありましたよね、国と地方だったり。コミュニティだったり。
対立する人たちが入り乱れるような状況を昔私は対立主体がモザイクのように入り乱れる社会と表現しました。

総すかんくらいましたけれどね。

このようにある一定の属性ごとの対立化が顕著な場合には公平な聖人、つまりはひとつの正義の元に正邪を分けることができなくなります。

これは成否の問題ではなく、選択の問題なのです。
ワーキングプアを量産してでも企業を守りたいならそうすればいいですし、私が言うように総中流を復活させてみんなでハッピーになりたいなら企業には我慢してもらえばいいですしこういった選択をするのが国とか行政の役割に成っているのです。

こういう話と関連して社会は社会を構成する諸主体のパワーバランスで成り立っています。政教分離とか言う話は昔は宗教がものすごい勢力を持っていたからに過ぎません。今はどうなんでしょうね。

こういうことを書くとお前は左だとか言われるかもしれませんがあんな極右ではありません。

そういう簡単なカテゴリで済んでいた時代ではないのです。こういうカテゴリっていったいいつできたんでしょうね。自覚しましょう。プログラムの開発とかは第三次産業で労働集約型ではないそうです、いったいいつの話なんでしょうね。

自分たちを守るためにお金を出し合って弁護士を雇う、あるいは育てる。
そういった背景があったからアメリカには弁護士が多いのです。そういう需要にこたえたアメリカ社会というのもすごいと思いますけれどね、弁護士になりやすい環境が整っていたからこそあれだけ数が多いのです。質はともかくとして。

やつらの基本はあいつのために力がほしい、という願いが原動力で後はお金とか夢とかなんか黒いものとかいろいろ。

対して日本はどうなんでしょうかね?
動機付けの時点でものが違うんだと思うんですが、私だけ?


質の問題というものは運用が始まってからわかる紋ですし磨かれてくるものです。そもそも適正試験とか言うもので未来を諮れるのかは甚だ疑問ですが。金も宝石も街中で見かけるような形で地中に埋まっているわけではありません。磨いて練成してああいう美しさを持ちます。加工の妙こそが美しさでもあります。

そもそも温室培養されたいい子ちゃんたちが優秀かどうかは私にはわかりません。


この辺の詳しい試験内容とかは知らんのですがそもそもこういういいものはそもそもいいものであり永久不滅にいいとか言う自然を好む日本人の感覚って大嫌いです。だめな人間が変わってくて言うのだめですか?この世には素材が少々悪くても腕で何とかしてくれる優秀な料理人さんがたくさんいてそういう人たちのおかげで私たちは飢えずに生きていけるのです。美食とかスローフードとか反吐が出る。一度飢えてみろ。謝れ、一生懸命野菜作って出荷してくれている宮崎とか三瀬とか若松とかの農家の人に謝れ!!そのうちそうも行ってられなくなるでしょうけれどね。

日本の農業が衰退した原因って組織化されなかったからじゃないかなと思う。
これは法人化しろとかそういうんじゃなくてある程度周囲の社会とかかわりを持っていなかったことに問題があるんじゃないかと思った。たとえば人材の確保とか確保の仕方わからんから北人に対して農業なめるなとか世間知らずな子というんでしょうね・・・人を後継者としてしか見れないところとか、要は農地に引きこもっていたために普通の個人商店でもやっていたであろうほかの世界との付き合い方を知らないんでしょう。バイト雇ってもいいじゃない、ともおもった。生き残れる個人商店はこの辺きっちりしてますね。こういう悪癖は大名の店にも見られるみたいです。客みんな友達!!・・・うぜぇというか怖いんですよよそ者からしたら。気軽に近づけないんです。だから人通りがなくなってそれに触発された出会いもないんだと思います。別に祭りやれとか行ってるわけじゃありません。


自分を変えて世界を変える。こういう文化は下層お宅とかアメリカとかではやりますね。もしかしたらこういう人たちが世の中を・・・変えられないのがこの国です。

そもそも広く人材を求めるのならば放課大学院など作らずに試験を受けるために必要な講習と科目試験を用意して少しずつ学べるようにすればよかったんではないのか?

民法壱、弐、刑法壱・・・とか講義を過程に沿って学習するようにするの。全部受けて試験とおれば本試験。

それで、これを一般に公開するの。


弁護士を目指したいひとならばそういったものの履修を自分のスケジュールに合わせてやればいい。学生ならば朝から晩まで受けて一二年で試験に臨んでもいいし、社会人なら五年くらいじっくりと土日をかけてやればいい。各科目試験に有効期限をつけることは有効かもね、それは長期に限って、一年とかふざけたことしちゃだめよ。

こういう風にすれば試験を受ける側の負担は分散されるのでリスクは低くなる。時間の都合もつくし費用も科目ごとでいいのでぐっと安くなる。何よりもこういうものは講習を実施することが目的となるので無理して変な建物建てなくてもいいのでコストが安く済むから受験者への転嫁コストなども低く抑えられる。

何もかも捨てる覚悟でなければ弁護士は務まらん!!とか言う批判があるかもしれませんがそういう覚悟は試験に通って修習生になってからでいいんです。

こういう各科目履修方式にする利点は、広く人材を求めることができかつその多くの人たちが自発的に自分の資質を問うていくということにあります。


なん年かけても弁護士になりたい人は五年位の勉強は続けられます。むしろ引きこもって5年勉強した人とは意気込みや覚悟が違ってきます。自分には向いていないと思った人はすぐやめます。

本当に取り組む意思があるのかどうかの問題だと思いますけれどね。
いきなり何もかんも捨てろといわれ、変な人格検査を問われ、挑戦しようとする人はぐっと少なくなると思います。

それに、負担を一時に集中させず分散することは参入しやすさを演出します。

やってみようかな、とおもってやってみた人が意外な才能を花開かせるかもしれないのです。

千兵は得やすく一将は得がたし、ともいいます。
どこにどんな人がいるのかわかりません。

広く異業種から人材を募集するというのはさまざまな立場の人が弁護士となれる、という意味では読むことはできないのでしょうかね?ただ単に優秀な各界の事情に精通した優秀な弁護士がほしかっただけですか?ただのスペック厨見たいですよ?何のために弁護士って必要なんですか?

いろんな人が挑戦して敗れたり跳ね上がったりしていく、雑兵の群れの中にすごい人が隠れているかもしれません。

韓伸って項羽の下では雑兵だったらしいですね。

誰にでも参加できる道をほうっておくと登ってこれるのは極限られた適正と意思のある人だと思います。世の中に魏無知があふれているわけではあしませんしね。その中に眠っているのは名将か名相か、それは運用段階になってみなければわかりません。

そういうわけで今回の提案には違和感を覚えました。
実際に優秀な弁護士と優秀でない弁護士がどういうものか私知りませんが、弁護士さんにアンケートとって一般にもアンケートとってそれで決めたものなんですかね?知りません。それに世の中にはオーバースペックという言葉もあります。それについては司法書士の小額訴訟参入とかはいい施策だと思うのですが。

私にはわかりません。
気にしないでください。





彼女募集だけは本気です。
誰か優しいお姉さん、相手してぇ!!
床屋談義 政治編 | コメント:0 | トラックバック:0 |

再生する腹筋、商店街/地域再生計画

ピストバイクとかやめてくれ。

その、中途半端な二輪のりで車にも乗る自分としてはコース取りは愚かスピード制御もできていないのにふらふらしている二輪がうざくて仕方がない。

自転車というか人力での移動手段としては特に優れているものであるとは思うが、自治体や商業施設が車による人の移動しか念頭においていない現状では単なる危険分子でしかない。

50キロぐらいで坂下ってるやつ見ると怖くてこっちは30キロぐらいでだらだらやり過ごしています。
餓鬼じゃないんだからリスク管理くらいできようよ。それでこけても誰にも何にもいえないよ、腕の配置からしてもショックを吸収できるようには見えない。そもそも二輪で何かほかのものと併走するとか何考えてんの?間合いとか取りきらんのか?

二輪のりと車社会とどちらに非があるのか問われれば私は車社会だと答えるのですが自分がどういう位置づけなのか理解できずに俺hayeeeee!!しているやつ見るといらいらします。



現在の日本は車社会です。どうでもいいですけれど。何考えてんでしょうね。だだっ広くて車ないとやっていけないって・・・ああ、imeの馬鹿さかげんにいらいらする。



人材の流動性のなさが現在の狭い国土なのに車がないとやっていけないという不思議な世界を演出しているのだと思います。だから拠点のほうを流動させてしまえというのが今回のお話。

愚痴というか個人的な恨みというか、人間とかは本来こういう黒々としたものを背負って生きているものです。けれど付き合いとか何とかで必死に笑顔を貼り付けて社会を取り繕っているのです。それが悪いとは言いません。そのおかげで今世界は平和なのです。けれどそういう仮面が本来のものだとか言うゆとりちゃんが出始めるとやれやれです。仕事の話なんですけれどもう仲良くやっていこうとか考えるのやめました。支持町はいけないといわれたので支持を出そうかと思います。と冗談はさておきチームでものを進めるということは不得手な職場のようです、経営関係なのに。仕事を協力してやらなければならないことと同時に自分である程度の仕事を探すことも必要なことくらいは私にもわかります。抽象的な表現で嫌いなので具体的に考えるなら人増えても仕事はそのままなのですから仕事が少ないという状況下では自分なりの仕事を開拓しなければならないということです。その、育てるという点においてはOJTなどで手間をかけてでもノウハウの授受を経なければならないものだと思うのですがそういう気はさらさらないようです。それに加えて必要書類の閲覧許可をこの一ヶ月間しつこく求めていたのですが全部突っぱねられています。情報自体は別経路で手に入れることは可能なのですかがあくまで正規の仕事として請求をしているのでそういう個人的な動きに貶めてしまうことはできません。自分勝手にやり始めたというのはこういう背景があります。直上がいったい何をしているのか今後何をやることになっているのかまったく話してくれませんし直接問いかけるとかんしゃく起こすので間接的に聞き出そうとしても敏感に察知してくるのでやりづらい。こっちがミスした振りをして仕方ねえ教えてやるかという風な状況に持っていったのですがまったく答えてくれなかった。どうやら人員把握してないのではないですかね?概要は把握しているようですけれど。さすがの私もあなたどこの配属ですか?と本人に直接聞くというような恥さらしなまねはできませんのでどうしようもないのですがどうするんでしょうか?選択肢はこれしかないわけで・・・よそから何も言ってこなければいいんですかね?近いうちに首切られそうなんで私には関係のない話なのかもしれませんね。

そんなこんなでこれからどうしようと考えると一般的な業務情報というものにしか手をつけられないのです。インターネットで知れる程度の情報しか私には得ることができません。これはこれで意外と使えるものなのですが少なくとも現状で提案したとしても突っぱねられるのが落ちだと思います。ですので自分のキャリアにつなげるものだと割り切っていくつか提案書を作成しています。結果自体はもう出ているのですが、このまま提出してしまうと角が立ちそうな内容なのでかなり時間をとってから上の方に非正規のものとしてあげようと思っています。前の勤め先ではこういうこと考えなくていい会社だったんですが・・・苦労しますね。体は鍛えておくべきです。私のように生まれつき弱いという人もいるかもしれませんがきちんと運動していればどうにかなるものです。そのためにはしっかりご飯を食べてください。ダイエットなどは二の次です。というよりも見た目も大事ですが中身も大事ですよ。精神とかじゃなくて皮膚の下。においとか抱き心地とか・・・ごめんなさい。血流とか内部の循環系が良好であると思考系統も順調に発達しますしね、神経系統も。人間中身というとソフトウェア的な性能を意味しそうですがそういう感覚を下支えしているのがこういう体内循環系の機能なんだと思います。

県庁の★という映画があります。
よそから来た人間がいろいろと改善を提案したりするんですが最初は突っぱねられあるいは空気読めてない行動起こしたりで会社との間のいざこざではなくお客さんにそっぽ向かれるという話です。けれどいろいろとピンチを迎え双方がお互いに認め合い、自分のやり方を見直しながらいい方向に向かっていくという結末です。
私も最近見たのですがあれはいい映画ですね。ぜひ見てみることをお勧めします。

仕事って言うのはいろんな人との関係の中でやるもんです。ある仕事の中で相手先が何も言ってこない場合、どうせ困るのは向こうだからあれこれしてやる必要はないといって放置しているとそれを引き継ぐことになっている味方に迷惑をかけることになります。その程度のこと理解しようね。


心を病むと長文を書く嫌いがあるみたいです。

本日はこれまで。


つづく


床屋談義 政治編 | コメント:0 | トラックバック:0 |

商店街の今後を考える 

23日の西日本新聞の朝刊に書いていましたが、玄海町役場に拠点ができるみたいですね。

産学官いろんなところのロボット関係の研究チームが国内外から集まって福祉関係からロボットの開発をする集落を形成するみたいです。


それなんてエロゲ?


申し訳ありません。
そのうちオリエント工業が参入してくるに違いありません。もしくは海洋堂とか。
リアルであればいいというわけではありません。
文明的なデザインというのはどこでも通じるものですが味気ないものであります。
それに対して人間は自分のほうを変えて適用しなければならないのでしょうか?

日本人はやってしまいそうですけれどね。

そういう文明が人に使われやすいように形を変えたものが文化というものの一部なのです。
携帯電話自体は文明の利器ですがそれがそのままインターネットの窓口になったり、ビジネス上の不可欠な連絡手段になってしまうというものは文化です。
日本とアメリカのインターネットというものの使い方の違いは文化なのです。大学生とかの活用の仕方を比較してみると面白いですよ。WIKIぺディアの編集項目の比較とか。日本では卑下されるインターネット関連の情報ソースですが英語のページは情報が豊富ですね。特定の情報については日本が突出していますけれど。

ゆとりさんたちの扱い方のレクチャーでやつらはいちいち物事に理由をほしがるとかいっていましたがそれは中二病じゃないんですかね?そもそも日本人自体がそういう自分の意見に対する後ろ盾をほしがる体質なので特にゆとりに限って見られる現象ではないと思います。どうでもいいですけれど。

この点ipodなどの優れている点は文明的な利器でありながらそのデザインはシンプルでなおかつ機能を絞り操作性を向上させた上で小さい・・・つまりは機能が高いわけですが人に持たせて俺(メーカー)スタイルを押し付けないというところにその強みがあります。

デザインで売っていることは確かなのですがモバイリティでIpodをはずす人って言うのはまずいないんじゃないんでしょうか?
そのほか使いやすさのために専用のユーティリティを同伴しているはずが、これで囲い込みをかけようとして還って送るだけのソフトになってしまうとお荷物でしかありません。
お客さんがみんな私のように手間かけてCD焼いたりする人ではないのです。

ipodは小さいものでありあってもなくても困らないものですのでどうでもいいんですが、それが誰かにとってなくてはならないものとなってしまったときにはこうもいていられません。

デザインで淘汰されることになります。



このデザインがクールでナウでヤングでいけてるものを作らなければならないんだとかいう程度の低い考えしか浮かばないようであれば成功などしませんね、一度私のように目でもつぶしてみてください。この世がどれほどの不親切と親切とで成り立っているのかが自覚できるはずです。

以前も書きましたがデザインとは機能です。一時期の爆発的に何でもユニバーサルデザインは作り手のコストカットのうたい文句に終わってしまいましたが、使い手のことを考えるということすら理解できていないのであればどのようにすばらしい技術を作り上げたとしてもそれは抽象的な文明でしかありません。

人の手になじむ製品として、人の生活を変えることが真の成功といえます。
これは文化を変容させるものこそが真の文明とも言えるのかもしれません。


そのために必要なものとは何か?

人にとって大切なものは行動心理学などから数式で導きだされるものではありません。
それは引きこもりの妄想でしかありません。

あなたの言う人間とはいったい誰のことですか?名前を挙げてみてください。








さわりはさておき、明治時代初めに日本の首都をどこにするのかということでもめていたときにある一通の提案書が首脳部のところに放り込まれてきたそうです。

今じゃ考えられないというかそういう時代だったんですね。
だれのものとも知れぬ紙切れの意見を容れるだなんて信じられませんね。昔は違ったようです。

その紙切れには首都は今の東京にするべきだということが書かれていたらしいです。
その理由としてはかつての大名屋敷などがそのまま残されており、新たに建物を建てる必要がないとか何とかかんとか書いていたそうです。

建物は流用でよかったらしいですね。

このほかいろいろ書いていたのかもしれません。
たとえば御用商人などが集まっており人・物流の拠点であること。そしてそれらを支えられるだけの流通が確立していたことなどなど。

要するに必要なものは大体そろっているので都市建設の手間などかけずに政治、主に外交とか内治とかに専念できますよという意味合いが含まれていたんだと思います。



一般に言われる人件費というものにはいろいろありますがこれは賃金だけとは限りません。賃金だけという場合もありますが人件費を払う側としては賃金とか福利厚生とか交通費とかいろいろあるわけです。

これに対して人件費を払われる側も働くためにいろいろなものを払わなければなりません。
それはたとえば交通費であり時間であり外食費であり精神的体力すなわちMPでありいろいろなものを犠牲にしているわけです。
お給料をもらっても使う時間がなかったり、病院行くのにわざわざ時間割いたり会社休むといろいろと響きますし、そのほかにもいろいろ。

働く側からしてみるとこういうコストが有効に使えていなかったりむしろ利用できなかったりして、損耗に対する回復やレベルアップが阻害されるという状況が多々あるのではないでしょうか。そういう特殊な状況だけではなくても食事が毎日コンビに弁当とかだと体壊しますよ。高い外食ばかりでは栄養も偏りますし何より味気ない。士気が下がります。これは重要なことですよ。


このように考えると福利厚生として社員食堂を構えるとか事業所を都会に設けるなどいろいろな対策が思い浮かびますが越すとかかりますね。けれどお金はかけたくない。

そういう要求を満たしてくれる夢のような場所が今シャッターを閉めて人が来るのを待っているのです。

今日はこれまで・・・というかもう結論は出てますけれどね。

田舎を拠点にするということは必ずしも引きこもるという方向ではなく地方の開拓であると考えるべきです。人が生活する上で必要なものは大体そろうしゲーセンもありますよね。カラオケも。なくてもこういうのを容れるスペースは残ってるんじゃないかな?今はもう廃れてますけれど人が定住するようになればそこにはいろいろな商売が開けてくるんだと思います。

帰りに歯磨き粉買ったり、病院にも寄れたり、それとかストレスたまったらゲーセンいってさらにストレス溜め込んだり、生活のうえで使われるさまざまなコストが有効に働くようにしてやることが増資なんかより有効な方策だと思います。時間は増やせませんからね。

こういう需要を満たせるようならば商店街なんかは復活してくるもんだと思うんですけれどね。どっちにも利益あると思います。エロゲみたいな出会いがあったり・・・ふふふ・・・

仔細はまた後日、この程度は誰でも思いつくと思います。
この辺をもっと具体的に掘り下げてみようと思います。


つづく
床屋談義 政治編 | コメント:0 | トラックバック:0 |

ひとり往く夢の汀

MP足りなくてつまる。あるいは魔法とかスキルが成長せずに途中でつまるなんていうことはよくあること。
属性というものは大事ですよね。
序盤は物理属性ばかりが育ってしまいますが中盤に差し掛かるころにはいろいろな属性の敵が登場してきます。

一般的な属性持ちなんかは普通に物理攻撃で何とかなりますが、アンデットあたりが登場してくると非常に困ります。
光属性持ちというのは結構貴重なんですよね。
意外にもにも火が効くということは後になって知ったんですけれど特殊な攻撃ではないと倒せないという条件が終盤になるにつれて要求されてきます。

攻撃が通りにくいというものに関しては最終的には手数で叩き潰してしまうということで何とか対応できたのですけれども、向こうの攻撃がこちらの主力の弱点属性でなすすべもなく粉砕されてしまうような状況では属性を管理することは必須のスキルとなってしまいます。


何を言ってるんでしょね?
今回は裁判員制度のお話です。




今回久しぶりに複数の新聞を手に入れてきました。
やはり色が違いますね。

これは赤いとかそういう問題ではなく、白かどうかというものです。



さすがに各紙力を入れています。

これがただの情報であるのならばリソースを投入して突き詰めることによって生まれる結果はすべて同じものになるはずなのですけれどもそうは行かないのが現実の面白いところ。

実際にはどのような差があったのかは後述するとしてどれも詰めが甘いなぁと思ったのは私だけではないはず。一般の人にほうてらすなんていっても知っている人は極限られていると思います。

何が言いたいのかというといずれの記事を読んだとしてもそこからどうすればいいのかが明確に見えてこないのです。
情報を提供する。提供された人は少なからず何か行動を起こすことがあるはずなんですよね。
それがいいかどうかは別として。
もしかすると混乱を避けるためにあえて疑問に思ったところをどこに訪ねればいいのかという人の誘導をやらなかったのかもしれません。

情報戦です。
どうでもいいですけれどもね。





制度説明に徹したのは読売でしたね、あとは毎日。少なくともこの二つのどちらかを持っていれば制度についてのテストはクリアできるのではないでしょうか?どうなんでしょうね。

制度自体への言及が特に特に強くなかったのは朝日と西日本新聞です。

西日本新聞はさすがブロック紙ですね。小倉支部で扱う想定数が40で現在九州全体で裁判員制度の対象となりそうな事件が12件。ということまで調べています。きっと汗にまみれたシャツは黄ばんでいるに違いありません。

朝日の書き方はよくあるように未来に起こるであろう運用上の問題点を制度概念の説明に織り込むために多少混乱を生じさせるものになってはいるのですけれども情報量としては必要十分のように思えました。

朝日についてはあまり力を入れているようではありませんでした。それはそれでいいんじゃないんでしょうかね。私もそう思います。

最近というか私が知る限りでは平成14年ごろの法律関係には見直し規定が装備されていることがあるのですが今回の裁判員制度に関しても見直し規定が盛り込まれているようです。

これがどういう意味なのかというと法律に関してサービスパック出しますよといっているようなものなのです。もしくはサービス打ち切り、回収するかもしれませんという話につながることもあるような、なんかそんな感じです。

従来の法律というものはたとえ変なもの作ってしまったとしてもできてしまった以上は法律であり決してそれを廃止するという考えはそもそもありませんでした。VISTA状態です。三十年前の六法とか持ってきて今のものと比べてみるとよくわかるみたいです。

そういうものを無視するわけにも行かず現実に使うに耐えるようにカスタマイズするのが政府の解釈とか判例という裁判所の解釈でした。


これらは言いすぎで表現も的確ではありませんが、つまるところ法律の運用の実権は法律の制定者からは離れたところにあったわけです。

三権分立なんですから当たり前といえば当たり前なんですけれども、政府のほうに好き勝手されているのは面白くなかったのでしょう、そういった現地カスタマイズを立法側が取り込む、あるいは明確に政府や司法側の解釈を排斥するための機会として法律のアップデートを立法自らの手によって行うようなきていを設けているのだと思います。

とりあえず立法がどうなるかは知りませんのでこれは完全に妄想ですね。

つまるところ今の制度を熟知していたとしても大して意味のないことなのかもしれません。
むしろ、これから始まる運用上でのフィードバック情報をどれだけ目的を持って収集できるかが勝負になるのです。

リリースしてからが開発の始まりなのです。





そろそろ本気出す。


裁判というよりも司法というよりもそういうもののもっと昔からあるルールとかそういわれるもの、契約だったり何足りで区画された自分たちの世界を引く線。おきてとかなんかそういうもののお話です。

掟というものは人の輪そのものです。
今のように不特定多数の人の群れの中では想像がつかないかもしれませんが簡単に言ってしまえば自分たちの輪の中から異物を排斥するのが掟を運用する組織の役割なのです。

犯罪者とはかいつまんで言えば自分たちの輪の中に入れて置けないものであり、これをいかに処遇するのかということが司法の源流であるといえます。

これが進歩してくると調停に進化するのですがそれはまた別のお話。


いかん、話が終わってしまった。

こういう原型は普段の生活の中にもまだ生きていますよね、現在ではいろいろなルールが錯綜しているために外れた人に対する有形暴力は体面上はしてはいけないことにしています。体面上はね。

こういうこと考えると昔の方がすぐに殺してしまうようなことがなかったのでよかったのかもしれません。



古い話になりますが昔京都で平家に対してクーデター起こそうとした人が鬼界ヶ島に島流しになるということがありました。
殺すと霊属性が着いて対処しきれなくなるんで絶海の孤島で生殺しにしてしまおうということだったのです。

これ自体は生き地獄を味あわせてやろうとか言う正確の悪さから生じた処遇なのかもしれませんが基本はぶることが司法の役割なのです。

報復という概念もあるにはあるのですけれどもラインが違いますのでここでは置きます。



輪を乱すものをどうにかして輪を守るということがその終極的な目的なのです。



それに対する方法論がいろいろ分けられるわけです。



んで本題。
ミシシッピーバーニングという映画があります。
かいつまんで言えばいじめの話です。

白人の輪の中から黒人出て行け、それに味方するやつぁ同罪だというわけです。
行った事ないんでよくわかりませんけど調べる限りにおいてはアメリカという国はこういう小さな輪がたくさんある群体らしいですね。昔の日本と変わりません。鳥取の東と西がなか悪いのとかと一緒です。違うか。


これを原義として正義とか何とかが規制します。
キリスト教の輪のを乱すやつは正義の名の元に裁かれるわけです。
正義というものは社会の規格というか権力を持つものたちを飾るものです。

ひところしてもくにのためならばゆるされるとかいうりろんのこんていにはこういうわをまもるという機能が含まれているから正当化されえるのです、たぶん。裁くひといませんもん。

この点昔の武士(非侍)の戦う理由は明確でした。自己防衛であり、自分を頼りにする各村を守るために中規模の国人とかつまるところの信長の野望の大名たちなんかが登場します。毛利元就の半生なんかはまさにそのものですね。


脊髄反射した人のためにもう一度書くと正義とかそういうものが生える土壌の話をしているのであって正義がどうとか真実が二つあるとかどうでもいいことなんです。私にとっては。




んで、何が言いたいのかというと自分たちのコミュニティの中に入れて置けないやつをどう処遇するかという感じで利用されるのがこういう裁判員制度の源流なのです。
村長を囲んで村の全員が”こいつどうすべか”と異邦人を囲みます。
そんでその次の日にはその異邦人は池の真ん中につき差刺さって白い足だけをさらしているわけです。


ミシシッピーバーニングとか八墓村は読んだことないんですけれどもそういう村独自のルールで殺される人をみて死んで当然と思う人果たしているんですかね?

重要なのはここなんですよね。

ちなみに先の三権分立の解釈を書けば不合格になります。

日本で陪審員が根付かなかったのはそういうローカルルールを否定することによって近代化を果たしたこのによるからです。
村の掟を侵しても池の中に突っ込まれなくてすみます。
悪くても懲役ですみます。死刑はありえません。

日本のほかって意外と死刑=私刑なんですよね。

某国では正義の味方がやってきてとりあえず何でも殺してくれますよね。
そういう意味では日本は優れた法治国家だったのです。

当時、感情で人を裁くことは悪であるという考えがあったようです。
民事は当事者で解決しろとか言ってたある意味放任主義だった国だとは思えません。
もともと、日本の武家の棟梁とか言われるものは訴訟をうまくこなしていける人の系譜なので当たり前といえば当たり前だけど。この辺を調べてみると面白いです。

何度も言いますけれど私が今まで書いているような国家像をテストで書くと赤点です。

日本でも一時期陪審制が採用されたという話があります。
どうしてかなんとなくそうぞうつきます?
それはものすごく日本人同士の輪が意識された時代ですよね。
別に民主主義がどうこう言われる時代ではありません。たぶん。
正直昔のことなんてわかりませんが、当時の識字率や納税額などを考えると上流階層を取り込むための方便なのかもしれません。当時かかわった人のいったいどれだけが清い心を持っていたのかはわかりませんしね。ちなみに当時は私たちが思っているほど中流階級というものは多くありませんでした。女性の参政権っていつからでしたっけ?


つまるところ人を裁けるのはどの人にとっても平等な基準によってのみ、ただ機械的に人を差別せずに処理的に裁くのが現在理想としている司法の役割らしいです。

これを担うのはかつて戦争を引き起こした政府ではなく、国民から構成に選挙されて選出された完全なる国民の代表が公正に導き出した法律であるというのがこれに続く理屈です。

平等な処遇、それを担えるのはすべての人にとって等距離にある人が作った法律のみというものが根本にあるわけです。



そもそも、何でもかんでもルールで縛らねばならないとか言う発想自体が20世紀に流行した僕の考えた最強世界の設計図とかいう幼稚な発想の延長上にあるものであってどっかの国が失敗したみちじゃないの?世界を最適化する設計図、世界の回答とか言うものがすでにあってそれを見つけるための一本道があるという考えはとても幸せですよね。

そのうち気味に用意された自由はこれだけだというような時代が来るのかもしれません。


とまあ愚痴はこのくらいにして市民感情で人を裁けるすばらしい国が出来上がりつつあります。
いいですね、とりあえず容姿に自信のない人は英語を勉強しておいたほうがいいでしょう。
日本のような逃げ場のない場所でやれるような制度ではありません。


みんなが有罪だというのに一人戦い続ける人は片足を夢の中に突っ込んでいるかのような扱いされるのが日本じゃなかったですかね?

いま児島さんがいたとして、びんらでぃんが日本でつかまって、どうなるのでしょう。
IFの話は歴史ではタブーだとかいう頭の悪い発言というかそもそもこういう話の振りも頭が悪いんですけれどもこれは寓話です。たとえ話です。

世界を守ることも、公正を守ることもそれはそれですばらしいことなのですけれども終極的な目的というものは誰も否定されない世界何じゃなかったの?

昔私が書いた寓話か何かの本だったかで一人一人にそれぞれの世界を用意することによって世界の争いを終わらせた、けれどそこから抜け出た人がその抜け出た先で喧嘩するという話があったようななかったような?何かの本?

手段と目的が違うような。
許せない気も御多を残刑に処すことが目的なんですかね?


簡単に言ってしまえば市民感情というものはもともとあってはならないものなのです。いまの世の中には。特に日本では。誰かの意思を反映することは果たして司法に必要なの?












じかんねぇや、そろそろ寝たい。
今まで書いてきたことは法律の初学者でもかけるないようです。しかも私よりもうまく書ける人がほとんどでしょう。

人は平等であり、同様の罪に対しては同様の罰を、これが現代の刑法というものです。いろいろな原則があるのですが、禁忌とされているもののひとつに特定の属性を持つ人を狙い打つような法律の制定も法律の恣意的な執行もやってはいけないというものがあります。

何でかといわれるとこの世界に生きてはいけない人を生み出すことになるからです。
原初のルールは誰も否定されない世界、ただしこのルールを否定するものは抑制する。というものが基本です。

これはあくまで人同士の現状での至高のルールとされているものです。この条件ならば誰もが納得可能なものですから・・・だと思います。


これとはまた切り離して、国家ごとの富の生産、配分というルールもあります。
マイナスを作らないルールとプラスを作るためのルールは別のものであることくらいは覚えておくといいかもしれません。




では今回の陪審員制度自体に何か意味があるのでしょうか?

結論だけ書くと敵は行政だけではないということです。
特定の人たちを狙い打ちにする法律を立ち上げたがっている人がいまたくさんいるようです。
もしもそういうものができてしまった場合、行政はそういう人たちをしょっ引きます。

それで裁判。
権力を発動してしまっている以上現状では99%有罪です。
悪法でもそれを強制する人がいる以上は法です。

俺のターン、防御可能か?ということが回答になってきます。
違憲立法審査権というものを覚えている方がいるかも知れませんがそれが発動できるのは法廷での局所戦に於いてだけなのです。
恣意的な立法や執行を権利の乱用としてリフレクトする立場に国民をかかわらせるという意味においてこの制度は民主的な制度なのです。国民属性は立法、行政属性の上位属性です。一応。憲法上はそうなっています。そもそも論でもそうなっています。三権は国民の権力の代行者に過ぎないというのがどっかの得ろい人の理論です。

つまるところ気に入らないやつを正義の名の下に惨殺するかそれとも気に入ろうと気に入るまいと平等に処置するのか、という問題の先に司法の場で立法や行政と対面する役割を国民が負わなくてはならなくなっているのです。

今変な方向に向かいつつあるどこかの国を牽制する目的、あるいはその変な方向への歩みを他人のしたことだからという言い訳を国民に許さず関係者にしてしまうための策なのか、はたまた国民の理性に賭けて恣意に恣意をぶつけるための計略なのか判断はつきません。

とりあえずこんなものを持ち出さなければならないほどにこの国が病んでいる可能性が合ったりなかったり私にはわかりません。いつもの妄想です。人任せにできない時代みたいですね、



そういう話は海外では意外と当たり前に考えているのではないですかね?
世の中掲示ドラマの見すぎと思うのは私だけ?真実とかどうでもいいよ自由で平和なら。
変な波風立てないでくださいよ、理想で突っ走る人間はうざいといういい例ですね。
勝手に一人で歩かされて、夢のほうに転ぶか現実に転ぶかちゃんと考えてんですかね?黒幕さんは。

床屋談義 政治編 | コメント:0 | トラックバック:1 |

裁判員制度の話/触れた罪 堕ちる黄泉 ひとり往く夢の汀

先日の記事を簡単に要約すると、そもそも恣意的な法の運用はしてはならないとする近代のルールに反して国民の意思を尊重するという摩訶不思議な現象が起こっているというものです。

根本的な法律のルールからしてみればタブー視されるべきものなのですが、これが自治という観点からすると国民の司法参加すなわち自分たちの中にある問題を自分の手を汚してでも処置するという理念的には歓迎されるべきものなのかもしれません。

これを少数派から観察してみれば、自分を排斥するためにやってくる敵、法廷で合間見える自分を排斥するルールの代行者は国家という支配者層なのか、はたまた自分とは特定の属性を持つこと以外差別されてはならないはずの権力者=一般の国民なのかという問題でしかありません。

これを国民の側から見た場合には排斥すべきか否かを自分の責任の上で判断しなければならなくなるということになります。裁判員というものは国会議員と同様全国民という抽象的概念の代表者として法廷に立ちます。

私の文章を読んでいる人などいないでしょうがもし読んだ方がいらっしゃるなら何か違和感を覚えたことでしょう。

その違和感について、私が意図的に言明を避けていたのは重大事件の定義についてです。



裁判員制度、陪審員制度というもの自体が人の輪すなわちコミュニティの中での自治機能のうちの司法と執行機関の決定機関であるという私の考え方からすると、重大事件というものは殺人のみに限りません。

一般的に訴訟と呼ばれる法廷での戦いについては刑事や民事がよく知られています。
ですが日本ではあまりなじみのないものかもしれませんが訴訟の形態にはこのほか行政争訟というものがあるのです。
これは簡単に言ってしまえば対行政権力の法廷闘争というものです。
フランスだったかにはこの行政争訟専門の裁判所があるくらいです。

この形態の訴訟は民事や刑事と区別することが難しくそれ民事でやれよと裁判所が言うことがあるくらいです。

この訴訟形態自体が問題なのではなく、裁判というものは犯罪者だけではなくそれをつれてくる行政とも対面しなければなりません。

この中で問題となるのは政治側の圧力にどう対処できるのかということになります。

昔、児島惟謙という人は政府の圧力に屈しませんでした。
こういう戦いをしなければならないのは法曹の宿命なのかもしれませんがもともとそういうふうに育てられるんだと思います。詳しくは知りませんが。

そういう苦行を果たして国民というか具体的に名前を持つ一般人が果たして負えるのかどうか。

もしかすると閉鎖空間での戦いでは抗しきれなくなると悟って敢えて人目に付く司法というものを推進したのかもしれません。黒幕さんは。
忍者用語で言うところの陽忍といいます。
人前で暗殺はできないのです。
正義の味方はやってくるかもしれませんけれど。

立法と行政が国民の敵になったとしても図書館は武装して助けてくれそうもありません。

立法と行政による個人への侵略に対して、俺もそいつら気に入らんから吊るし上げだぁと言って賛同して自分のターンが回ってくるのを早めるのか、そういう管理事態に危惧を抱いて侵略自体をリフレクトするのか。

つまるところ、この選択権が用意されたに過ぎません。

どっちを選ぶのかは誰次第なんでしょうね?

少なくともやさしさを示すために凶悪犯罪者予定の被告人を犯罪者だ!!人の痛みを知れとか言ってつるし上げるのやめましょうね、あなたに何がわかるのですか?

現状の司法、死ぬほど殺したいやつがいるのに法律によって理性的に裁かれる制度を勝ち取るために日本だけでなく人類がどれほどの犠牲を払ったか平和ボケした人にはきっとわかりません。

そういう恣意的な司法と言うものは思いのほかこの世界にはいっぱいあるのです。
それがない日本の現状は果たして遅れているのか、進んでいるのか?

いつものように私の世迷いごとです。

人にこんな話すれば基地外扱いされます。

表現の自由万歳!!匿名意見万歳!!!

発言元が割れないからこそできる話。



こういう発言ができる社会を消してしまうかどうかも先の選択にかかっているのです。

重大犯罪というのは人を殺すことだけですか?
その程度のものだけが罪だと考えること自体がすでに終わっています。

重大な事件と言うものの線引きをどこでするのか、今後の見直しや世論による何かへの介入経路が開かれたに過ぎません。

今はまだ切っ先が切れ込んだ、歯が立った状態でしかありません。
それを切り開くかどうかもまた自分たち次第。


社会を変える方法があります。
そのことについて知りたいですか?問いが目の前にあるだけに過ぎません。


そいつをどうするか自分で考えなければならないめんどくさいことなのです。


さ~てこのような変なことばかり言っている危険な人がいます。
危ない人ってんでしょっ引かれます。

ブログ?みんなが言っていることに賛同できない基地外の行いですね、汚らわしい。

とりあえず殺しておきましょう。

そうやって自分とは異質な人たちを排斥していくと最後にはどうなるのか?


ブログを書いているとかミクシィやっているとかいうとこういう扱いを受けるのが少なくとも日本の選挙権を持つ大半の人の考えです。
まずはこの辺が危ないですよ。
第三次産業はものづくりとはみなされません。
どんなに優れたソフトも評価されず、無駄に品質のいいなんに遣えばいいのかわからない金になる形あるものしか産業とは認められない美しい国がこの世のどこかにあるそうです。
異質なものはすべて消してしまうのでとても平和な国だそうです。いいですね、そこにいけばどんな夢もかなうのですか?誰もみな行きたがるようですね。

選挙権の下限の拡大は別に理念的な問題ではなくこういった政策を選択する人のパワーバランスを換えることになります。

もしかするとブログを書く?普通のことじゃん。といって私は無罪になるかもしれませんが・・・このまま洗脳が続けばデジタルネイティブと言う言葉が死語になるかも知れませんね。


許された発言したできない、許された発言しか耳に入れることができない。
予定された能力しか身につかないようではものづくりの国なんてお先真っ暗ですね。
らぷたーのデザインをパクることはできても生み出すことはできない。
パクりまくってればいいのか。

ただそのための視点すらも閉ざしえしまうようなまさにパラダイスができつつあるの・・・かもしれません。



これ自体は最悪のシナリオなのですが、こういう手を打ったと言うことは少なくとも希望はあるからこそ司法制度改革などをしたに違いありません。

どう転ぶのかわからないので時間が解決するのを待つのが一番いいのかも知れません。
とりあえずどうなるのか様子を見るのが一番いいでしょう。

昔えろい人は言いました、自分のしてほしくないことは人にするな。
決して自分がしてほしいことを人にしろとはいっていないのです。
司法参加と言うものは最終的にこの法律おかしくない?と言うところまでいけてこそのものなのです。そこまでいけない状況では立法、行政の恣意に連帯保証人を送ることと変わりありません。LV1では有害なスキルなのかもしれませんがLVがあがって立法行政の政策に問題提起できる程度にまで手続き関与と取り扱い訴訟が広がるとそれはキラースキルになります。ただそれも異質なものをどうでもいいと放っておける容認スキルがなければただの国民独裁でしかありません。
・・・いい落ちが見つからないので本日はこれまで。
床屋談義 政治編 | コメント:0 | トラックバック:0 |

廃墟萌えはいませんか?

ダム建設をやめるそうですが跡地どうするんですかね?

百億使う予定のものに50億しか使わないと出来るものは廃墟です。

観光資源にはなるのかもしれませんが費用回収には長い年月がかかることでしょう。
ところで古い仮面ライダーとかは団地の屋上で戦っていたんですね、後ろのほうに物干し竿が見えました。撮影現場としてはあまりにも使えなさそうですね、ダム建設跡地と言う名の国有地。

ダム作るぞといって行動していた人たちにとってそれをやめると言うだけでは自分に入るはずだった金が入らんということで反感を買います。これに対してほかの代替策を提示して残り五十億を選ぶか手切れ策の現金10億を選ぶかと言う選択肢を用意するのが普通の交渉です。威圧、脅迫では普通動きません。これは安全策。

次に神技。
国鉄をきるときヤスさんはトラック業者を集めてこういいました、お前ら鉄道の変わりにこの国の流通を支えることが出来るか?うろ覚えなんで仔細は覚えていません。出来るといったらしいトラックのおかげで現代の流通業が成立し東京から通販で二日もあれば商品が届くようになりました。不満を漏らすのは国鉄だけで普通の人には何の影響も与えなかったのです。だから一方的な国鉄きり話が成功したそうです。ちなみにサッチャーさんは似たような状況を石炭を切り離すときに使っています。
この神技では見返りは送らなくても良かったようです。

現在のようにモザイク状にいろんな立場の人たちが混ざって暮らしている現在ではこういう切り離しという政策は難しいのかも知れません。たとえば派遣さんなんかは必死こいてこき使っている業者の見方をする道理がありませんからね。アルバイトも同じく。徳島かどっかの稼動櫃に反対したのは主婦層だったそうです。けれどきったらきったでどういう影響が起こるのかわかりません。

だからダム建設やめるのには誰を敵に回すのか良く考えてから行動する必要があります。主戦場はお金の問題でありましょうがそこにつながっているのは誰なのか、はたまたダムを必要としているのは誰なのか?基本のようでよくわからない報道が続いています。

実質的な労働配分率に問題があると私は思っているのでこの辺を何とかする代案を使って業者以外の人たちを見方にすればいいんじゃないでしょうか?
詳しくは思い浮かびませんが専門にやってる人ならなんか思いつくんではないんでしょうか?


まったく話は変わりますけれど昔ダムを有効活用する案を考えたことがあります。
ダムのそこにたまった泥は栄養たっぷりです。
ダム三つか四つをローてして一年ごとに水をためないダムを一つ作りその中の泥を書き出して肥料として売ります。それを繰り返せば数十年で使えなくなると言うダムは半永久的に使えます。

そしてきれいになったダムはヒーローの戦闘炉けちに・・・なりません。
象徴をつぶすと言う意味合いしかこの話には無いような気がしますがどうでもいいです。さて、明日はこれはゾンビですかを買ってきましょう。
床屋談義 政治編 | コメント:0 | トラックバック:0 |

農林業開発公社とか作ってとにかく土地を国で借り上げて事業単位を確立してから人を送り込んでください。

資源の流動性。

おそらくはあの外人さんの中ではリソースと言う単語を思い浮かべていたんだろう。


国内の生産業が海外に生産拠点を移した場合には移す前の国内拠点で働いていた人たちは次のもっと付加価値、レベルの高い産業に移ることで国内が高付加産業に移行していくというモデルもある。

利益の薄い産業をほかの国の人たちに任せて、国内に生じた余力で次なる産業に挑もうと言うわけであるが日本の次の産業をはじめるためのリソース(資源)にはたとえば八千円のジーンズを千円でかえるようになるのであればその差額の7千円が勤労者の余力となり、暇な時間を学習の時間に当てたり出来る。そしてこれを生かすための学習教育サービスやそこで実った実力を次の産業に引きあわせる仲介の創出、それを受け入れる人事制度や勤務関係。そういった受け皿を整備することによって社会の流動性を高めると言うことを言いたかったんだろう。


日本の雇用制度ではまず無理ですね。むしろ文化か。

なんか年功序列制度というのは人をいったん雇った人は可能な限りいろんな学習をしてレベルアップしてくれ、会社は全力でバックアップするからと言う形が一応の理想系でありました。今のように社会の変化がはやすぎる時代にあっては新しいものの専門家を雇ったほうが早いのかも知れませんが少なくとも父上は結構勉強してましたね。上に行くにしたがってそういうのが必要だったと言うこともあるんでしょうけれども。

ただ経験上現場が即戦力が欲しいといったら経験者募集としかかけないトチ狂った人事しかいないような会社ばかりの国ではそういうの難しいんじゃないんでしょうかね。経験者募集ならまだかわいいんですが即戦力と言われたから即戦力と書きましたとか言うのやめましょうね。一応ヒアリングしましょう。どういう人が足りないのか。どういう技術が取り急ぎ欲しいのか。そういうのを現場の人とちゃんと打ち合わせてから条件を決めていきましょう。理想の何でも出来る火となんていうのは失業なんてしませんよ。あの~してんの人はなんていってたんですか?やつらの言うことなんか聴く必要は無い、完璧なものは無い、完璧を求めてはいけないのだ!・・・?  やめてよかったよほんと、あれで自称地場大手って言うんだから、してんの人たちは偉大だったんでしょうね。


資源と言うとモノというイメージが強いですが現有戦力と訳したほうがいいのかもしれませんね。ようは経営の側から見た物的、人的資源という意味合いですから資源とそのまま訳すよりちょっとひねりを加えて現有戦力・・・と、だめ?


とにかく必要なのは最大利益を求めないと言うところなんじゃないんでしょうかね。最近財務諸表を詳しく読めるようになろうと少し本を読んでるんですが面白いですね。食品業界って基本的に流動的な業種なんですね、肉とか魚使うんだから日々仕入れそして売りと言うのは当たり前と言えば当たり前ですがそういうのはあくまで数字の話。それにくらべればらくやわ~

300円で買えるジーンズは今のところ新品ではありませんありません。そういう具体的な商品の値段を無視したコストカットでは商品の品質は保てないんではないんでしょうか?


まあれですね、現状ではどうにもならんと言うことです。

ところでリソースの流動性を確保したところで次なる産業って果たして何なんでしょうか?
そういう未知の分野を開拓していけるかどうかと言うのはその国の国民性、と言うか遊び心というか発想力と言うものなんでしょうね。そういう新しいものを開発した人を見せしめに逮捕してみたりする国では果たしてカッティングエッジは生まれるのでしょうか?

ぽんと訊かれてぽんとこういう答えが出せるあの人はきっと只者ではないでしょうが、落ち着いて考えてみればもっとその先に文化の問題と言うものが見えてきました。別に私がえらいといっているわけではありません。いつも考えてることだからこの人も似たようなことを考えてるんだなぁとわかっただけです。似たようなことを考えてる人はもっとたくさんいます。ただそういう考えが社会を動かせるまでに至っていないことが問題なのです。

失業者を農業とか林業に流すとか何考えてるんですかね。必要な環境の手配もなしに人を送り込んだだけってただの島流しですね。強制労働開始~!!この世には徳政令だけでなしに帰農令とかなんかいろんな変なものが復活しているような気がします。ここで断っておきますがあの外人さんはこういう例を指示しているわけではないですよ、たぶん。

床屋談義 政治編 | コメント:0 | トラックバック:0 |

一応頭の所にクッションをいれてっと。





外国人参政権。
その地域に住んで消費税も払っているのに選挙権がもらえないかわいそうな人たちに選挙権を与えることがどうしていけないの?

という変な理屈がまかり通りそうです。


現代の日本ではあまり実感の無い話かもしれませんが流民問題とか移民問題とか知ってます?わからない人は50歳以上の人に聞いてみましょう。しゃれにならんかったそうですから、ほんと。

この辺の常識も無くかわいそうだから何でも与えてしまおうとか言うのは権利を信託された人のやるべきことではありませんね。


おそらく今までうざがられてきた政治的作用にってすぐに下火になるとは思いますが、こういう状況では最高裁しか防衛線が無いような気がしています。

大丈夫か、司法・・・
床屋談義 政治編 | コメント:0 | トラックバック:0 |
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。